1931年3月に録音された音楽
1931年3月は、世界恐慌の影響が続くなかで、産業・政治・社会の各分野に長く影響する出来事が重なった月でした。3月1日には石橋正二郎(1889–1976)が福岡県久留米市でブリヂストンタイヤ社(Bridgestone Tire Co., Ltd.)を設立し、日本資本によるタイヤ製造の独自展開が新しい段階に入りました。3月3日にはアメリカ合衆国(United States of America)で『星条旗』(The Star-Spangled Banner)を国歌とする法が成立し、ハーバート・フーヴァー(Herbert Hoover, 1874–1964)の署名によって正式な国歌として定められました。3月5日にはモーハンダース・カラムチャンド・ガンディー(Mohandas Karamchand Gandhi, 1869–1948)とエドワード・フレデリック・リンドリー・ウッド(Edward Frederick Lindley Wood, 1881–1959)の間でガンディー=アーウィン協定(Gandhi-Irwin Pact)が成立し、塩の行進以来の市民的不服従運動はいったん停止に向かいました。3月にはドイツ国(German Reich)とオーストリア共和国(Republic of Austria)の関税同盟構想が具体化し、フランス共和国(French Republic)や小協商(Little Entente)の反発を招きました。同じ月にはアメリカ合衆国(United States of America)ネヴァダ州で賭博合法化法が成立しました。さらに3月23日にはバガット・シン(Bhagat Singh, 1907–1931)がラホールで処刑され、インド独立運動の象徴的存在として広く記憶されることになります。
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1931年3月の録音に関する情報のまとめ
1931年3月の録音業界は、単独の蓄音機よりも、ラジオと電気式フォノグラフを一体化した複合機、自動レコード交換機、コイン作動式機器、家庭録音装置の販売が前面に出ていました。同月の業界誌では、自動交換式コンビネーション機が高級需要向け商品として扱われ、機械本体だけでなくレコード販売も継続収益源として重視されていました。また、家庭用トーキー機の流通も話題になっており、コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company, Inc.)のフィルムとレコード、ユニヴァーサル・ピクチャーズ社(Universal Pictures Corporation)の作品群が、ラジオ販売網を通じて家庭内娯楽市場へ入ろうとしていました。周辺市場では、自動交換式機向け専用針や既存蓄音機をラジオ増幅で再生する補助装置も広告されており、1931年3月は録音再生装置の複合化と販路の細分化がはっきり見える月でした。
ヴィクター
アールシーエー・ヴィクター社(RCA Victor Company, Inc.)のヴィクター部門(Victor Division)は、1931年3月に新型受信機R-34を市場に出し、5回路のスクリーン・グリッド式マイクロシンクロナス機として告知していました。同時に流通面でも動きがあり、イリノイ州ピオリア地域ではクラウス・ラジオ・アンド・エレクトリック社(Klaus Radio & Electric Co.)から、ケンタッキー州ルイヴィル地域ではスミス・ラジオ社(Smith Radio Corporation)からヴィクター製品が供給される体制が報じられていました。機械投入と販売網再編が同月に並行していたことが確認できます。
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Radio-Journal/30s/Radio-Journal-1931-03.pdf
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Radio-Retailing/30s/Radio-Retailing-1931-03.pdf
コロムビア
コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company, Inc.)は、1931年3月号でテレフォーカル・ラジオ(Telefocal Radio)を核にした新製品群を押し出していました。自動レコード交換式フォノグラフ付きのModel 991、ラジオ・フォノグラフ複合機のModel 930、ラジオ単体のModel C20とModel C21が同時に示され、各コンビネーション機には新しい電気再生式フォノグラフが含まれるとされていました。同月時点で同社が電気式再生を前面に出し、ラジオとレコード再生を一体の商品群として売り込んでいたことが明瞭です。
ブランズウィック
ブランズウィック・ラジオ社(Brunswick Radio Corporation)は、1931年3月号で自社をラジオ、パナトロープ(Panatrope)、ブランズウィック・レコード(Brunswick Records)の製造者として掲げていました。『The Talking Machine & Radio Journal』ではブランズウィック・オートマティック・パナトロープ・ウィズ・ラジオ(Brunswick Automatic Panatrope-with-Radio)が、家庭用だけでなく、クラブ、学校、ダンスホール、レストラン、キャバレーでも売れる商品として宣伝され、コイン作動式娯楽装置としての収益性も強調されていました。また同月には、カール・T・マッケルヴィ(Karl T. McKelvey, 生没年不明)が同社音楽機器部門の販売責任者に就任したことも報じられており、販促と販売組織の双方が強化されていました。
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Radio-Journal/30s/Radio-Journal-1931-03.pdf
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Radio-Retailing/30s/Radio-Retailing-1931-03.pdf
ケープハート
ケープハート社(Capehart Corp.)は、1931年3月に家庭用と業務用の新しい自動交換式機ラインを発表しました。家庭用ではラジオ付きのNo.15とNo.20、既存ラジオ接続用のNo.900とNo.1000をそろえ、業務用ではNo.1、No.5、さらに「ミステリー・ミュージック」用のNo.2を示し、新しい10-12C交換機によって10インチ盤と12インチ盤の双方に対応させていました。さらに同月には、この10-12C交換機のカナダでの独占製造ライセンスがデ・フォレスト・ラジオ社(De Forest Radio Corp.)に与えられたことも報じられており、同社が北米市場全体で交換機事業を拡張していたことがわかります。
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Radio-Journal/30s/Radio-Journal-1931-03.pdf
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Radio-Retailing/30s/Radio-Retailing-1931-03.pdf
アレン=ハフ・キャリオーラ
アレン=ハフ・キャリオーラ社(Allen-Hough Carryola Company)は、1931年3月号でコイン作動式自動蓄音機を295ドルで提示していました。この機械はガラスと鏡を備えたケースに収められ、レコード交換の様子を見せる構造で、10枚交換機を持ち、ブース用や個室用の壁掛けコインボックスにも対応していました。また同社は別売の改良型交換機も用意し、10インチ盤と12インチ盤の双方を扱えるようにしていました。販売面でも同月に補強が加えられており、ミルウォーキー拠点の営業体制が強化されていました。
パセント
パセント・エレクトリック社(Pacent Electric Co., Inc.)は、1931年3月号で家庭録音用のレコーダヴォックス(Recordovox)、既存蓄音機の再生改善用のマスター・フォノヴォックス(The New Master Phonovox)、オイル・ダンプト・フォノヴォックス(The New Oil Damped Phonovox)、さらにラジオ・フォノグラフ用の電動モーターをまとめて広告していました。とくにレコーダヴォックスは家庭で蓄音機レコードを作れる装置として、フォノヴォックスは古い蓄音機に新しい再生音を与える商品として訴求されていました。1931年3月時点で、家庭録音と既存機改良の両方を市場化しようとする企業活動が確認できます。
ハードレイ
ハードレイ社(Hardray, Inc.)は、1931年3月号で20枚掛けの自動レコード交換機を新製品として出していました。この機構はレコードを直立位置で再生し、20枚の10インチ盤を連続再生でき、任意の盤を反復または除外できるとされていました。小型家庭機にも重負荷のコインスロット機にも使えることが強調されており、自動交換機単体を供給する専門企業として同月の資料上に明確に現れています。
ミッド・ウェスタン
ミッド・ウェスタン・ディストリビューターズ社(Mid-Western Distributors, Inc.)は、1931年3月にナイト=キャンベル・ミュージック社(Knight-Campbell Music Company)の子会社としてデンヴァーで組織されました。同社はヴィクター製品の卸売に特化する目的で設立され、1608 Wynkoop Street の倉庫を母体会社と共用して営業する体制が報じられていました。製造会社ではありませんが、同月の資料上でヴィクター流通を専門に担う主要販売会社として確認できます。
スミス・ラジオ
スミス・ラジオ社(Smith Radio Corporation)は、1931年3月にルイヴィル地域におけるヴィクター製品の新しい配給会社として示されていました。同月の業界誌では、ルイヴィル地域が同社の供給地域になることが記されており、1931年3月のヴィクター販路再編を示す会社として重要です。
ディットソン
ディットソン・ディストリビューターズ社(Ditson Distributors, Inc.)は、1931年3月にオリヴァー・ディットソン社(Oliver Ditson Co.)の音楽出版事業売却後も、ヴィクターのラジオ、レコード、ラジオトロン(Radiotron)、楽器部門を継続して扱う会社として示されていました。ボストン拠点だけでなく、オールバニ部門も同じ名称で機能するとされており、既存音楽商から録音・ラジオ販売会社への組織転換の一例として確認できます。
