1931年5月に録音された音楽
1931年5月は、世界恐慌の深まりと、科学技術・都市文化の前進が同時に見えた月でした。5月1日にはエンパイア・ステート・ビルディング(Empire State Building)が正式に開業し、超高層建築の時代を象徴する存在が現実の都市景観に加わりました。5月6日にはパリ植民地博覧会(Exposition coloniale internationale)が開幕し、帝国支配の誇示と大衆消費文化が結び付いた巨大イベントとして注目を集めました。ヨーロッパ経済では、5月にクレディートアンシュタルト銀行(Creditanstalt)の破綻が表面化し、金融危機が国境を越えて拡大していきました。スウェーデンでは5月中旬にオーダレン銃撃事件(Ådalen shootings)が起こり、労働争議の中で軍が発砲して5人が死亡し、国家と労働運動の関係をめぐる大きな転機となりました。5月15日には教皇ピウス11世(Pope Pius XI, 1857–1939)が教皇回勅『クアドラジェジモ・アンノ』(Quadragesimo Anno)を公表し、資本と労働の再編をめぐるカトリック社会思想を示しました。さらに5月27日にはオーギュスト・ピカール(Auguste Piccard, 1884–1962)が成層圏気球飛行で高度15,781メートルに到達し、成層圏探査の新段階を開きました。
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1931年5月の録音に関する情報のまとめ
1931年5月の録音業界は、新譜一覧よりも、企業再編、販売拠点の移動、ラジオと蓄音機の結合、家庭録音装置、33 1/3回転盤対応機、家庭用トーキング・ムービー機器といった周辺市場の拡張が目立つ月でした。当月の同時代業界誌で活動を直接確認できる範囲では、アールシーエー・ヴィクター社(RCA Victor Company, Inc.)、コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Co., Inc.)、ブランズウィック・ラジオ社(Brunswick Radio Corporation)、ゼネラル・エレクトリック社(General Electric Co.)、パセント電気社(Pacent Electric Co.)、ダヴォフォン社(Davophone, Inc.)、スプラーグ・スペシャルティーズ社(Sprague Specialities Company)が、1931年5月の資料上で具体的な動きを示していました。
アールシーエー・ヴィクター
1931年5月の『The Talking Machine & Radio Journal』では、アールシーエー・ヴィクター社(RCA Victor Company, Inc.)に新設された国際部門が報じられ、同社とその子会社群の海外事業を統括する体制が示されました。同記事は、日本で蓄音機製造工場と録音設備を整え、販売網を構築した実績にも触れており、1931年5月時点で同社が海外の製造・録音・流通を重視していたことが確認できます。あわせて、同誌の新製品欄では、ラジオを電気蓄音機化する小型家具としてエンド・テーブル・エレクトローラ(End Table Electrola)が紹介されており、ラジオ受信機とレコード再生機を組み合わせる家庭需要への対応も進んでいました。
コロムビア
コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Co., Inc.)については、1931年5月の同誌で、「Columbia」の名称使用をめぐる訴訟の和解が報じられ、ラジオ、蓄音機、レコード、画像および音響再生装置の分野で同名称の排他的使用を保持するとされています。また、同社は長年の所在地であった1819 Broadwayから55 Fifth Avenueへ移転し、第11階に事務部門、第10階に録音室、試聴室、録音管理部門を集約したと報じられました。さらに同号の広告では、コロムビア・ポータブル(Columbia Portables)の価格帯が17.50ドルから60ドルと示され、50ドルのモデルも訴求されており、同社がブランド防衛と制作拠点再編を進めつつ、携帯型蓄音機の販売も継続していたことが確認できます。
ブランズウィック
ブランズウィック・ラジオ社(Brunswick Radio Corporation)は、1931年5月の『The Talking Machine & Radio Journal』表紙広告で、投げ売りや価格崩れを行わずに販売網との信義を守ったことを強調していました。また本文広告では、自社をラジオ、パナトロープ(Panatrope)、およびブランズウィック・レコード(Brunswick Records)の製造者として位置付けており、1931年5月時点でもレコードと再生機器を一体で訴求する企業姿勢が維持されていたことが読み取れます。広告資料であるため表現は自己申告ですが、当月の販売方針を示す同時代資料として重要です。
ゼネラル・エレクトリック
ゼネラル・エレクトリック社(General Electric Co.)については、1931年5月の同誌新製品欄で、任意の現代式ラジオをラジオ蓄音機の組み合わせに変えるエンド・テーブル・フォノグラフ(End Table Phonograph)が紹介されています。記事では、上面を滑らせて開ける構造、レコードや雑誌を収める棚、ミゼット型ラジオ受信機との組み合わせ利用が説明されており、1931年5月の時点で、独立した大型蓄音機ではなく、室内家具としての小型電気再生機へ市場が移っていたことが確認できます。
パセント
パセント電気社(Pacent Electric Co.)は、1931年5月の同誌広告で家庭録音装置レコードヴォックス(Recordovox)を大きく宣伝していました。広告では、あらかじめ溝の切られた盤を用い、家族や友人の声、さらに保存したいラジオ番組を家庭で録音できると訴えています。本体は27ドル、手持ちマイクは追加10ドルとされており、同社が家庭録音そのものを独立した商品分野として売り込んでいたことが確認できます。
ダヴォフォン
ダヴォフォン社(Davophone, Inc.)については、1931年5月の同誌で、78回転盤と33 1/3回転盤の双方を再生でき、交流・直流のいずれにも対応する多比率フォノグラフが完成したと報じられました。記事によれば、この装置は家庭用映写機に接続して無声映画に同期音楽を付けることができ、さらに放送用の電気転写盤(electrical transcription records)にも対応していました。これは、1931年5月の録音関連市場が、通常の市販盤再生だけでなく、放送素材と家庭映像の同期へも広がっていたことを示しています。
スプラーグ
スプラーグ・スペシャルティーズ社(Sprague Specialities Company)は、1931年5月の同誌で、家庭用トーキング・ムービー機器ヴィジヴォックス(Visivox)を広告と新製品記事の両方で打ち出していました。広告では、家庭映画、トーキング・ムービー、任意サイズのレコード再生を一体化した機器として訴求され、記事では携帯型モデル119ドル、増幅・スピーカー50ドル、スクリーン込みの完成型189ドルとされています。1931年5月時点で、レコード再生技術が家庭映画市場と接続され、新しい娯楽機器として販売されていたことが確認できます。
