1931年11月に録音された音楽

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1931年11月に録音された音楽

1931年11月は、政治・映画・科学・交通インフラ・録音産業がそれぞれ新しい局面に入った月です。11月7日には中国江西省で中国ソビエト共和国(Chinese Soviet Republic)が成立し、中国共産党の根拠地が制度的な国家形態を取りました。11月10日にはロサンゼルスで第4回アカデミー賞授賞式(The 4th Academy Awards)が開かれ、映画が世界的不況の中でも国際的な大衆文化として定着していたことを示しました。11月12日にはロンドンで EMIスタジオ(EMI Studios)が公式に開場し、大規模な常設録音施設の時代が本格化しました。11月15日にはベイヨン橋(Bayonne Bridge)が開通し、当時世界最長の鋼鉄アーチ橋として近代土木技術の象徴となりました。11月20日にはイングランドのベントリー炭鉱(Bentley Colliery)で爆発事故が起こり、11月23日には42人死亡と議会に報告されました。さらに11月下旬にはハロルド・クレイトン・ユーリー(Harold Clayton Urey, 1893–1981)が水素の重い同位体の存在を示す決定的証拠を得て、原子物理学と化学研究の方向を大きく変えました。

この月の確認されている録音:0曲

1931年11月の録音に関する情報のまとめ

1931年11月の録音業界では、ロンドンでは新しい録音拠点の稼働が始まり、アメリカ合衆国では長時間盤、民族語盤、流行歌、スター歌手の販促が同時進行していました。11月の一次資料と同時代業界誌から直接確認できる範囲では、エレクトリカル・アンド・ミュージカル・インダストリーズ社(Electric and Musical Industries Ltd.)、アールシーエー・ヴィクター社(RCA Victor Company, Inc.)、コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company, Inc.)、ブランズウィック・ラジオ社(Brunswick Radio Corporation)の動きが当月資料上で追えます。とくに今月は、録音そのものだけでなく、新製品の売り方、スター歌手との連動、民族語カタログの継続、複合機の販促が業界の中心的テーマになっていました。

エレクトリカル・アンド・ミュージカル・インダストリーズ

エレクトリカル・アンド・ミュージカル・インダストリーズ社(Electric and Musical Industries Ltd.)は、1931年11月12日にロンドンの EMIスタジオ(EMI Studios)を公式開場しました。これはグラモフォン社(The Gramophone Company Ltd.)とコロムビア・グラフォフォン社(Columbia Graphophone Company Ltd.)の統合後に動き始めた新拠点で、アビー・ロードに設けられた世界初の purpose-built recording studios として位置づけられています。開場式ではエドワード・エルガー(Edward Elgar, 1857–1934)がロンドン交響楽団(London Symphony Orchestra)を指揮し、《Land of Hope and Glory》《Nursery Suite》《Falstaff》を演奏しました。さらに同月25日–26日には、ロンドン交響楽団(London Symphony Orchestra)がランドン・ロナルド(Landon Ronald, 1873–1938)の指揮でユーディ・メニューイン(Yehudi Menuhin, 1916–1999)の協奏曲録音を行っており、開場直後から本格的な録音業務が始まっていたことが分かります。

アールシーエー・ヴィクター

アールシーエー・ヴィクター社(RCA Victor Company, Inc.)は、1931年11月の業界誌広告で、片面15分、1枚で交響曲全曲を収められる新しい長時間盤「プログラム・トランスクリプション(Program Transcriptions)」を前面に押し出していました。広告では素材をヴィクトロラック(Victrolac)と説明し、従来盤より軽く、柔軟で、表面雑音が少ないことを訴えています。同じ11月号では、同社が複合型のラジオ・フォノグラフを「今年の大きな流れ」として売り込み、自動レコードチェンジャーやホーム録音装置付きの高級機まで並べていました。また同月の誌面では、エドワード・E・シューメーカー(Edward E. Shumaker)が社長職を辞任し、1932年1月1日付で退任することも報じられており、販促強化と経営体制の整理が同時に進んでいたことが分かります。加えてアメリカ歴史的録音ディスコグラフィー(Discography of American Historical Recordings)には、1931年11月付で BVE-69791「RCA radio record review theme」が記録されており、放送連動物の制作も続いていました。

コロムビア

コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company, Inc.)は、1931年11月の業界誌で、リヒャルト・タウバー(Richard Tauber, 1891–1948)のアメリカ・デビュー・リサイタルと連動した販促を展開していました。11月号の記事では、10月28日のニューヨーク公演を受けて、同社の現行カタログに《微笑みの国》(Das Land des Lächelns)からの G-9042M、G-9039M、G-9040M や《冬の旅》(Die Winterreise)のセットがあることを前面に出し、放送や地方公演と結びつけて売るよう勧めています。流行歌部門でも、ガイ・ロンバード(Guy Lombardo, 1902–1977)の 2-547-D「Good Night Sweetheart」や 2549-D を「今月の実演用ディスク」として押し出しており、クラシックと大衆音楽の両面で販促が行われていました。さらにアメリカ歴史的録音ディスコグラフィー(Discography of American Historical Recordings)では、1931年11月付でギリシア語盤 W206560 と W206561、ポーランド語盤 W113228 が確認でき、同社がこの月にも民族語盤の制作を継続していたことが分かります。

ブランズウィック

ブランズウィック・ラジオ社(Brunswick Radio Corporation)は、1931年11月号の『Radio Retailing』表紙で短波・長波対応の Brunswick Radio Model 25 を大きく掲げており、同号索引でも front cover advertiser として確認できます。その一方で同じ号の「今月のホット・ナンバー」では、ブランズウィック盤としてボズウェル・シスターズ(The Boswell Sisters)の 6173、キャブ・キャロウェイ・アンド・ヒズ・オーケストラ(Cab Calloway and His Orchestra)の 6196、ビング・クロスビー(Bing Crosby, 1903–1977)の 6203 が具体的に推奨されていました。つまり1931年11月の同社は、受信機の販売とレコードの回転を同じ home entertainment merchandising の枠組みで扱っており、複合的な家庭娯楽企業として動いていたことが読み取れます。少なくともこの月の業界誌上では、ブランズウィックが radio と records の双方を同時に売る体制で年末商戦に入っていたことは確実です。