1931年10月に録音された音楽

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1931年10月に録音された音楽

1931年10月は、政治、社会、技術、文化が同時に大きく動いた月でした。10月1日、スペイン制憲議会(Cortes Constituyentes)ではクララ・カンポアモール(Clara Campoamor, 1888–1972)らの働きかけを経て女性参政権が承認され、スペインの選挙制度は大きく転換しました。10月5日にはクライド・パングボーン(Clyde Pangborn, 1894–1958)とヒュー・ハーンドン・ジュニア(Hugh Herndon Jr., 1899–1952)が日本からアメリカ合衆国への太平洋無着陸飛行を達成しました。10月18日にはアル・カポネ(Al Capone, 1899–1947)に有罪評決が下され、同日、トーマス・アルバ・エジソン(Thomas Alva Edison, 1847–1931)が死去しました。10月24日には国際連盟理事会(Council of the League of Nations)が満洲事変(Manchurian Incident)をめぐる決議を採択し、同日から翌日にかけてジョージ・ワシントン橋(George Washington Bridge)が開通しました。さらに10月27日の1931年イギリス総選挙(1931 United Kingdom general election)では国家政府(National Government)が圧勝し、世界恐慌下の政治再編がいっそう鮮明になりました。

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1931年10月の録音に関する情報のまとめ

1931年10月の録音関連業界は、単純な新譜拡張よりも、長時間再生盤、自動レコード・チェンジャー、家庭内遠隔操作、ホーム・レコーディング機能を備えた複合機の提案によって需要を掘り起こす方向が鮮明でした。アールシーエー・ヴィクター社(RCA Victor Company, Inc.)は33 1/3回転の長時間盤と対応複合機を強く押し出し、コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company, Inc.)はテレフォーカル・ラジオ(Tele-focal Radio)と並行してヴィヴァトーナル蓄音機(Vivatonal Phonographs)およびニュー・プロセス・レコード(New Process Records)を扱い続けていました。ブランズウィック・ラジオ社(Brunswick Radio Corporation)、ストロンバーグ=カールソン社(Stromberg-Carlson Telephone Mfg. Co.)、ケープハート社(The Capehart Corporation)、ゼネラル・エレクトリック社(General Electric Company)、ユー・エス・ラジオ・アンド・テレヴィジョン社(U. S. Radio & Television Corp.)も、それぞれ異なる形でディスク再生を家庭娯楽の中心に据え直そうとしていました。さらにデュリウム・プロダクツ社(Durium Products Corp.)は低価格で流通させやすい新型レコードを打ち出しており、1931年10月は記録媒体、再生機器、流通経路が同時に組み替えられていた月として見ることができます。

アールシーエー・ヴィクター

1931年10月のアールシーエー・ヴィクター社(RCA Victor Company, Inc.)は、33 1/3回転のヴィクター・プログラム・トランスクリプションズ(Victor Program Transcriptions)を前面に出し、10インチ盤1枚で従来よりはるかに長い再生時間を実現することを販売の中心に据えていました。10月号の業界誌では、30分再生をうたう新しい長時間盤と、それに対応するフォノグラフ・コンビネーションが大きく広告され、さらに自動レコード・チェンジャーや放送局型マイクロフォンを用いたホーム・レコーディング機能まで訴求されていました。西部では新型ラジオ・コンビネーションの最初の実演会が開かれており、1931年10月のアールシーエー・ヴィクター社(RCA Victor Company, Inc.)は、新しい記録媒体と新しい再生機器を同時に市場へ浸透させようとしていました。

コロムビア

1931年10月のコロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company, Inc.)は、テレフォーカル・ラジオ(Tele-focal Radio)の新製品群を主力にしながら、ヴィヴァトーナル蓄音機(Vivatonal Phonographs)とニュー・プロセス・レコード(New Process Records)も継続して扱っていました。西部の同時代業界誌では、コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company, Inc.)のサンフランシスコ拠点がエフ・エー・ディー・アンドレア社(F. A. D. Andrea, Inc.)のファダ・ラジオ(Fada radio)を北カリフォルニア、ネヴァダ、ハワイで独占配給することになり、同時にコロムビアのラジオ、蓄音機、レコード、ラジオ・フォノグラフ複合機を引き続き供給していたことが確認できます。また、全支店で販売会議が行われ、9月売上が前月を上回り、10月はさらにそれを上回る見通しと報じられていました。1931年10月のコロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company, Inc.)は、商品群の拡張と地域流通の再編を同時に進めていたといえます。

ブランズウィック

1931年10月のブランズウィック・ラジオ社(Brunswick Radio Corporation)は、秋商戦向けの総合的な販売計画を西部各地で押し進めていました。業界誌では、ロサンゼルス、サンフランシスコ、ソルトレイク、デンヴァーの各販売支店で会議が開かれ、秋冬期の販売とマーチャンダイジングの方針が共有されたことが報じられています。さらにソルトレイクでは配給業者主催の販売会議と昼食会が開かれ、同社の総販売責任者も出席していました。技術面でもサービス担当者が各地の技術者会合で説明を行っており、1931年10月のブランズウィック・ラジオ社(Brunswick Radio Corporation)は、店頭販売とアフターサービスの両面から複合機需要の拡大を図っていました。

ストロンバーグ=カールソン

1931年10月のストロンバーグ=カールソン社(Stromberg-Carlson Telephone Mfg. Co.)は、マルチレコード式複合機と住宅用遠隔操作設備を組み合わせた、高価格帯の家庭娯楽システムを提示していました。10月号の業界誌では、同社製品の価格帯のなかにマルチレコード・ラジオが含まれていたことに加え、新しい住宅用電気式リモート・コントロール・システムが公表されています。この方式では、離れた場所から押しボタンでラジオの起動停止、マルチレコード式フォノグラフの起動停止、ラジオからフォノグラフへの切替、音量調整、複数スピーカーの制御まで行えるとされていました。1931年10月のストロンバーグ=カールソン社(Stromberg-Carlson Telephone Mfg. Co.)は、ディスク再生を単独機器ではなく住宅設備の一部として位置づけていたことがわかります。

ケープハート

1931年10月のケープハート社(The Capehart Corporation)は、自動レコード交換機構を備えた高級ラジオ・フォノグラフ複合機を秋の主力商品として打ち出していました。10月号の業界誌では、シリーズ400が自動フォノグラフと13球スーパー・ヘテロダイン・ラジオを組み合わせた家庭用高級音楽機器として紹介され、両面盤を裏返しながら自動交換し、混在したサイズのレコードを連続再生できる機構が強調されています。より廉価なモデル21にもケープハート10–12レコード・チェンジャー(Capehart 10-12 record changer)が採用されており、1931年10月のケープハート社(The Capehart Corporation)は、自動連続再生そのものを高級機の差別化要素として販売していました。

ゼネラル・エレクトリック

1931年10月のゼネラル・エレクトリック社(General Electric Company)は、新しいラジオ・フォノグラフ複合機と販売店会議の両面で録音関連需要を押し広げようとしていました。業界誌では、自動複合キャビネットが10インチ盤を30分連続再生でき、33 1/3回転と78回転の切替機構を備え、新しい長時間盤に対応し、6インチ盤と10インチ盤の録音も可能とされていました。同じ月にはポートランドで140人規模の販売店会議が開かれ、新製品の紹介に加えて、配給、販売、割賦金融の方法まで議論されています。1931年10月のゼネラル・エレクトリック社(General Electric Company)は、長時間再生盤への対応を機械の魅力として示すだけでなく、その販売体制の整備も同時に進めていました。

ユー・エス・ラジオ・アンド・テレヴィジョン

1931年10月のユー・エス・ラジオ・アンド・テレヴィジョン社(U. S. Radio & Television Corp.)は、遠隔操作、自動レコード交換、ホーム・レコーディングを併せ持つ複合機を新製品として提示していました。業界誌では、10インチ盤対応の自動レコード・チェンジャー、音量制御、遠隔操作、放送局型二ボタン・マイクロフォンによる家庭録音機能を備えた大型複合機が紹介されており、その直後に同社の新型7球機と5球機も発表されたことが記されています。1931年10月のユー・エス・ラジオ・アンド・テレヴィジョン社(U. S. Radio & Television Corp.)は、ラジオ受信機にフォノグラフを付加する段階を越えて、録音まで含む家庭内音響装置として商品を設計していました。

デュリウム

1931年10月のデュリウム・プロダクツ社(Durium Products Corp.)は、デュリウム・マイクロ・チャンネル・レコード(Durium Micro-Channel record)を公表し、低価格で広範に流通させやすいレコード市場の開拓を狙っていました。記事によれば、この新型盤は溝間の壁を薄くすることで標準サイズ盤に約5分の音を収め、合成樹脂製で従来盤より多く再生できるとされていました。しかも販売場所は専門店に限られず、ニューススタンド、ドラッグ・ストア、シガー・ストアにまで広げられ、毎週新しい盤を出す計画でした。1931年10月のデュリウム・プロダクツ社(Durium Products Corp.)は、録音物の材質と販売経路の両方を変えることで新しい市場を作ろうとしていたことがわかります。