1931年9月に録音された音楽
1931年9月は、帝国秩序、金融制度、東アジア情勢が同時に揺れた月でした。ロンドンでは9月7日に第二次インド円卓会議(Indian Round Table Conference, second session)が始まり、インド統治の再編が改めて協議の中心に置かれました。英領ホンジュラス(British Honduras)では9月10日のハリケーンで首都ベリーズ市が壊滅的被害を受け、被害の大きさはイギリス議会でも直ちに報告されました。9月中旬にはイギリス海軍のインヴァーゴードン反乱(Invergordon Mutiny)が起こり、緊縮財政への反発が軍内部にまで及んでいることが明確になりました。9月18日の柳条湖事件(Mukden Incident)は日本軍の満洲進出を加速させ、東アジアの国際秩序を大きく動かしました。さらに9月21日にはイギリスの金本位制停止が決定的となり、世界恐慌下の金融不安は一段と深まりました。いっぽうアメリカ合衆国では9月5日にアメリカ国立公文書館本館(National Archives Building)の起工が行われ、国家的記録保存の基盤整備も進みました。
この月の確認されている録音:0曲
1931年9月の録音に関する情報のまとめ
1931年9月の同時代業界資料からは、世界恐慌下の録音関連企業が、レコード単体の販売だけでなく、ラジオ受信機、ラジオ蓄音機複合機、ポータブル機、家庭録音機能、長時間盤、自動レコード交換装置、展示会出品、販売網再編、実演用レコード組を組み合わせながら秋商戦に入っていたことが読み取れます。アールシーエー・ヴィクター社(RCA Victor Co., Inc.)は家庭録音と長時間盤を含む新ラインを特約店に提示し、コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Co., Inc.)は販売体制を増強し、ブランズウィック・ラジオ社(Brunswick Radio Corporation)はパナトロープ搭載機を前面に出しました。さらにブルーノ=ニューヨーク社(Bruno-New York, Inc.)はレコード販売を実演販売の中心に据え、グリグスビー=グラナウ社(Grigsby-Grunow Company)は自動レコード交換装置付き複合機を広告し、ソノラ・フォノグラフ社(Sonora Phonograph Co., Inc.)の販売網や、ジェネラル・インダストリーズ社(General Industries Co.)の再生・家庭録音用モーターも同月資料に現れています。
アールシーエー・ヴィクター
1931年9月号の業界誌では、アールシーエー・ヴィクター社(RCA Victor Co., Inc.)の北部ニュージャージーおよび北東ペンシルヴェニア向け卸売組織であるラジオ・ディストリビューティング社(Radio Distributing Corp.)が、ニューアークで特約店向けの新製品内覧会を開いたと報じられています。記事では、低価格機から高級機までのラジオ受信機、ラジオ蓄音機複合機に加え、10インチ盤を使う家庭録音機能と、新しい長時間盤として10インチ片面10–12分、12インチ片面15–16分の再生時間が紹介されていました。また同号のシカゴ卸売名鑑では、E・A・ニコラス社(E. A. Nicholas, Inc.)がヴィクターのポータブル機とレコードを扱うと明記されており、アールシーエー・ヴィクター社(RCA Victor Co., Inc.)の販売網が1931年9月時点でも維持されていたことが確認できます。
コロムビア
1931年9月号の同誌では、コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Co., Inc.)が拡張方針の一環として、アーサー・A・トロストラー(Arthur A. Trostler, 生没年不明)を総販売部長に起用したと報じられています。記事では、アーサー・A・トロストラー(Arthur A. Trostler, 生没年不明)がフリード=アイゼマン社(Freed-Eisemann)とブランズウィック・ラジオ社(Brunswick Radio Corporation)で全国流通の整備に関わった経歴を持つことも紹介されていました。また同号のシカゴ卸売名鑑では、クロスリー・ディストリビューティング社(Crosley Distributing Corp.)の扱い品目として、コロムビア製ラジオ、ポータブル機、レコードが記載されています。販売体制の増強と販路の維持が同月に同時進行していたことが、1931年9月のコロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Co., Inc.)の特徴です。
ブランズウィック
1931年9月号の広告では、ブランズウィック・ラジオ社(Brunswick Radio Corporation)が、ワーナー・ブラザース・ピクチャーズ社(Warner Bros. Pictures, Inc.)の部門として、ラジオ受信機、パナトロープ、ブランズウィック・レコードを一体の事業として示していました。表紙広告のモデル33は、ラジオ受信機と電気式レコード再生装置パナトロープを一体化した機種として掲載され、電気録音盤と放送番組の双方を再生できることが強調されています。さらに同社は9月21–26日にマディソン・スクエア・ガーデン(Madison Square Garden)で開かれるラジオ・エレクトリカル・ワールズ・フェア(Radio Electrical World’s Fair)への出展を告知しており、1931年9月下旬の販促活動が明確に確認できます。
ブルーノ=ニューヨーク
1931年9月号では、ブルーノ=ニューヨーク社(Bruno-New York, Inc.)のフィル・シルヴァーマン(Phil Silverman, 生没年不明)が、ラジオ蓄音機複合機の実演販売に適した25枚組のレコード選定例を誌上で提示しています。記事では、レコード販売が「失われた技術」になった背景として、販売員が他部門に回され、継続購入客が買いにくくなったことを挙げたうえで、複合機所有者へのレコード販売が現金収入の増加に直結すると論じています。さらに、その25枚組は小売総額33.75ドル、原価20.65ドル、差額13.10ドルと具体的な利益計算まで示され、葬儀場、教会、友愛団体、救世軍、民族音楽需要など、用途別のレコード需要が細かく挙げられていました。1931年9月時点で、ブルーノ=ニューヨーク社(Bruno-New York, Inc.)がレコード販売を卸売実務の中核に置いていたことを示す資料です。
メジャスティック
1931年9月号の広告では、グリグスビー=グラナウ社(Grigsby-Grunow Company)が、秋季広告を伴うメジャスティック新ラインを大きく告知していました。誌面では「8つの新モデル、うち5つは100ドル未満」として販売攻勢が示され、上位機種アビーウッドは「同社最上級のラジオ蓄音機」と位置づけられています。この機種は電気式ピックアップとターンテーブル、自動レコード交換装置を備え、10枚のレコードを扱える複合機として掲載されており、1931年9月の段階で、グリグスビー=グラナウ社(Grigsby-Grunow Company)が自動交換式複合機を秋商戦の柱に置いていたことが確認できます。
ソノラ
1931年9月号のニューヨーク欄では、K・W・ラジオ社(K. W. Radio Co., Inc.)が、ソノラ・フォノグラフ社(Sonora Phonograph Co., Inc.)の地域総代理店に任命され、制限区域ごとに限定的に販売店を任命する新方針を採ると報じられています。記事では、同時に5機種が本社に展示され、価格帯は39.50–99.50ドルとされていました。掲載内容はラジオ機種中心ですが、1931年9月時点でソノラ・フォノグラフ社(Sonora Phonograph Co., Inc.)の販売政策そのものが動いていたことは確認できます。
ジェネラル・インダストリーズ
1931年9月号の広告では、ジェネラル・インダストリーズ社(General Industries Co.)が、フライヤー電動ラジオ蓄音機モーターを「音響再生と家庭録音の新用途」に向けた基本設計として売り込んでいました。広告文では、このモーターが約3年間にわたって高い支持を受けてきたこと、交流・直流の双方に対応し、ターンテーブル付きで供給できることが示されています。これはレコード会社そのものの動きではありませんが、1931年9月に家庭録音と再生機構の部品供給が販促対象として明確に扱われていたことを示す資料です。
