1932年4月に録音された音楽
1932年4月は、政治・社会・文化の各分野で不安定化と再編が同時に進んだ月です。4月4日にはノーベル化学賞受賞者ウィルヘルム・オストワルト(Wilhelm Ostwald, 1853–1932)が死去し、同日にはジョージ・バーナード・ショー(George Bernard Shaw, 1856–1950)の『トゥー・トゥルー・トゥ・ビー・グッド』(Too True to Be Good)がブロードウェイで初演されました。4月5日にはフィンランドで国営酒類販売店が営業を開始し、禁酒法体制の終結が可視化されました。4月7日にはフランクリン・デラノ・ルーズベルト(Franklin Delano Roosevelt, 1882–1945)が「忘れられた人」演説を行い、世界恐慌下の社会政策をめぐる論点を前面に押し出しました。ドイツでは4月10日にパウル・フォン・ヒンデンブルク(Paul von Hindenburg, 1847–1934)が大統領選挙決選投票で再選され、4月13日にはハインリヒ・ブリューニング(Heinrich Brüning, 1885–1970)政権下で突撃隊(Sturmabteilung)と親衛隊(Schutzstaffel)が禁止されました。さらに4月20日には国際連盟調査委員会(League of Nations Commission of Enquiry)が満洲で本格調査に入り、4月24日のプロイセン州議会選挙では国家社会主義ドイツ労働者党(Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei)が大きく議席を伸ばしました。
この月の確認されている録音:0曲
1932年4月の録音に関する情報のまとめ
1932年4月の同時代業界資料では、録音業界が不況下でも新譜供給、廉価盤流通、ラジオ・フォノグラフ複合機販売、長時間再生盤対応の各面で動いていたことが確認できます。『Radio Retailing』1932年4月号では、コロムビア・フォノグラフ・アンド・ラジオ社(The Columbia Phonograph and Radio Company, Inc.)、アールシーエー・ヴィクター社(RCA Victor Company)、ブランズウィック・レコード社(Brunswick Record Corporation)が当月の主要な新譜供給元として並び、別記事ではブランズウィック・レコード社とアメリカン・レコード社(American Record Corporation)の廉価盤系統にも再注文が戻りつつあることが報じられていました。機器面では、コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Co., Inc.)やストロームバーグ=カールソン電話製造社(Stromberg-Carlson Tel. Mfg. Co.)が長時間再生盤対応の複合機や再生装置を打ち出しており、販売会社側でもアールシーエー・ヴィクター社の長時間再生機と自宅録音機能を前面に出す販促が行われていました。ここで確認できるのは当月の販売・宣伝・商品供給・再生機器展開であり、個々の面の実録音日までは同月の業界誌だけでは確定できません。
コロムビア
『Radio Retailing』1932年4月号では、コロムビア・フォノグラフ・アンド・ラジオ社(The Columbia Phonograph and Radio Company, Inc.)について、グリグスビー=グラノウ社(Grigsby-Grunow Company)との統合が録音活動の拡大につながる見通しとして紹介されています。同号の新譜評では、ベン・セルヴィン・アンド・ヒズ・オーケストラ(Ben Selvin and His Orchestra)やテッド・ウォレス・アンド・ヒズ・キャンパス・ボーイズ(Ted Wallace and His Campus Boys)のポピュラー盤、フレッチャー・ヘンダーソン(Fletcher Henderson, 1897–1952)の盤、さらにイングランド録音の『ヨーマン・オブ・ザ・ガード』(Yeomen of the Guard)抜粋盤などが挙げられていました。あわせて製品欄では、コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Co., Inc.)名義で、Model C-53、Model C-59、Model C-256、Model C-54、Model 559、Model C-223、Model C-12が新ラインとして公表され、なかでもModel C-223は10枚自動交換装置を備え、新しい長時間盤と通常78回転盤の双方を再生できる複合機として案内されていました。1932年4月の資料上では、コロムビア系は新譜供給と再生機販売の両面で前に出ていたことが確認できます。
ヴィクター
アールシーエー・ヴィクター社(RCA Victor Company)は、同月の業界誌でポピュラー盤、長時間盤、クラシック盤の各部門を同時に押し出していました。『Radio Retailing』1932年4月号では、長時間盤としてデューク・エリントン・アンド・ヒズ・オーケストラ(Duke Ellington and His Orchestra)のNo. L-16006、通常の12インチ盤として《ア・クレオール・ラプソディ》(A Creole Rhapsody)No. 36049、さらにレオ・ライスマン・アンド・ヒズ・オーケストラ(Leo Reisman and His Orchestra)、ウォーリングズ・ペンシルヴェニアンズ(Waring’s Pennsylvanians)、ジャック・ヒルトン・アンド・ヒズ・オーケストラ(Jack Hylton and His Orchestra)の盤が売れ筋候補として紹介されていました。クラシック部門では、フィラデルフィア管弦楽団によるピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky, 1840–1893)の《1812年》序曲が、音質実演向きの盤として強く推されています。広告面でも、長時間番組用トランスクリプション、ホーム録音、二速機構、自動演奏複合機、連続演奏複合機などが1932年の強みとして列挙されており、4月時点で同社がレコードと機器を一体で販売していたことがわかります。
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Radio-Retailing/30s/Radio-Retailing-1932-04.pdf
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Early-Radio-Assorted/Radio-Electrical-Record-1932-04.pdf
ブランズウィック
ブランズウィック・レコード社(Brunswick Record Corporation)は、1932年4月の資料上で、アーティスト編成の拡充と12インチ盤重視の両面が確認できます。『Radio Retailing』1932年4月号では、ボズウェル・シスターズ(The Boswell Sisters)、ビング・クロスビー(Bing Crosby, 1903–1977)、ミルズ・ブラザーズ(The Mills Brothers)、ヴィクター・ヤング(Victor Young, 1900–1956)、ベン・バーニー(Ben Bernie, 1891–1943)に加え、新たにガイ・ロンバード(Guy Lombardo, 1902–1977)とデューク・エリントン(Duke Ellington, 1899–1974)を加えたことが紹介されています。さらに、イングランドのデッカ社との交渉をまとめ、ジャック・ヒルトン・アンド・ヒズ・オーケストラ(Jack Hylton and His Orchestra)の盤が扱えるようになったことも明記されています。当月の新譜評では、12インチ盤No. 20103『オブ・シー・アイ・シング』(Of Thee I Sing)や、ガイ・ロンバードのブランズウィック初登場盤として『ザ・キャット・アンド・ザ・フィドル』(The Cat and the Fiddle)由来のメドレーが挙げられており、同社が高価格帯の12インチ商品を軸に商品力を強めていたことがわかります。
アメリカン・レコード
アメリカン・レコード社(American Record Corporation)は、1932年4月の業界誌で廉価盤需要回復の担い手として扱われています。『Radio Retailing』1932年4月号の「Interesting in Records Reviving」では、M. J. シーゲル(M. J. Siegel, 生没年不明)が、ブランズウィック・レコード社(Brunswick Record Corporation)のブランズウィック、ヴォカリオン、メロトーンに加え、アメリカン・レコード社のパーフェクト、バナー、ロメオの各レーベルを挙げながら、レコード販売は1929年以降で最も明るい局面に入ったと述べています。記事では、ここ数年の新譜を扱っていなかった販売店からも再注文が届いており、その背景に新しい人気アーティスト群への関心があると説明されていました。1932年4月時点で、廉価盤系統が単なる在庫処分ではなく、再び売場を動かす商品群として見直されていたことが確認できます。
ストロームバーグ=カールソン
ストロームバーグ=カールソン電話製造社(Stromberg-Carlson Tel. Mfg. Co.)は、1932年4月号の新製品欄で、33 1/3回転の長時間番組用トランスクリプションと78回転盤の両方に対応する単一盤式フォノグラフ・パネルを出していました。記事では、この装置が10インチ盤と12インチ盤の長時間再生用トランスクリプションに対応し、No. 26 convertible consoleへ組み込む構成であることが示されています。レコード会社ではありませんが、蓄音機・再生機器分野の企業として、1932年4月に長時間再生盤対応を具体的に進めていたことが確認できるため、この月の録音関連企業として独立して扱えます。
ラジオ・ディストリビューティング
ラジオ・ディストリビューティング社(Radio Distributing Corporation)は、主要販売会社として1932年4月にアールシーエー・ヴィクター社(RCA Victor Company)商品の販促を明確に展開していました。『Radio-Electrical Record』1932年4月号では、同社が「Three Profits Campaign」を開始し、アールシーエー・ヴィクター社のラジオ・フォノグラフ複合機、とくに長時間再生機とホーム録音機能付き機種を前面に出していたことが確認できます。記事では、消費者は新しいものを求めており、実演さえ行えば長時間再生機や自宅録音機能は売れる、という判断が示されていました。ユーザーの依頼条件にある「主要販売会社」を含めるなら、1932年4月の販売現場で録音機器の上位機種を押し上げようとしていた企業として、この会社も追加できます。
