1932年8月に録音された音楽
1932年8月は、世界恐慌の圧力が続くなかでも、政治・経済・文化・技術の節目が各地で重なった月でした。第10回オリンピック競技大会ロサンゼルス大会(Games of the X Olympiad, Los Angeles 1932)は8月14日に閉幕し、大会運営の近代化を印象づけました。イタリアでは、後にベネチア国際映画祭(Venice International Film Festival)として知られる国際映画芸術展(Esposizione Internazionale d’Arte Cinematografica)が8月6日–21日に開かれ、映画を国際的に評価する恒常的な場の出発点となりました。イギリスのラムゼー・マクドナルド(Ramsay MacDonald, 1866–1937)内閣は8月16日にコミュナル・アワード(Communal Award)を公表し、イギリス領インド帝国(British India)の代表制問題を大きく動かしました。カナダのオタワで開かれた帝国経済会議(Imperial Economic Conference)は8月20日に閉幕し、帝国内特恵関税の方向を鮮明にしました。アメリア・イアハート(Amelia Earhart, 1897–1937)は8月24日–25日に女性初の単独無着陸アメリカ横断飛行を成功させ、8月30日にはクララ・ツェトキン(Clara Zetkin, 1857–1933)がドイツ国会(Reichstag)の開会を担い、ワイマール期ドイツの緊張した政治状況を象徴しました。
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1932年8月の録音に関する情報のまとめ
1932年8月の録音業界は、新作の録音や発売だけでなく、舞台公演との連動、低価格盤の量販、公開録音実演、長時間盤の試行といった複数の方向で動いていました。イギリス市場では、ヒズ・マスターズ・ヴォイス(His Master’s Voice)、コロムビア(Columbia)、パーロフォン(Parlophone)、デッカ(Decca)、ブランズウィック(Brunswick)、リーガル(Regal)、ゾノフォン(Zonophone)、インペリアル(Imperial)、ブロードキャスト(Broadcast)がそれぞれ異なる価格帯や商品性で存在感を示していました。アメリカ合衆国市場では、コロムビア(Columbia)とヴィクター(Victor)が長時間盤をめぐる商品戦略を前へ進めており、1932年8月は廉価盤の厚みと新フォーマット実験が同時に進んだ月として見ることができます。
ヒズ・マスターズ・ヴォイス
エレクトリック・アンド・ミュージカル・インダストリーズ社(Electric and Musical Industries Ltd.)のヒズ・マスターズ・ヴォイス(His Master’s Voice)は、レイ・ノーブル(Ray Noble, 1903–1978)とニュー・メイフェア・オーケストラ(New Mayfair Orchestra)による『アウト・オブ・ザ・ボトル』(Out of the Bottle)関連の「We’ve Got the Moon and Sixpence」「Put That Down in Writing」を押し出し、同時にアメリカ合衆国のヴィクター(Victor)原盤からレオ・レイスマン・アンド・ヒズ・オーケストラ(Leo Reisman and His Orchestra)、クーン=サンダース・オーケストラ(Coon-Sanders Orchestra)、ジョージ・オルセン・アンド・ヒズ・ミュージック(George Olsen and His Music)、ジャック・デニー・アンド・ヒズ・オーケストラ(Jack Denny and His Orchestra)、ジミー・グリア・アンド・ヒズ・オーケストラ(Jimmy Grier and His Orchestra)まで受け入れていました。ロンドンの舞台音楽とアメリカ合衆国ダンス盤の双方を同じ月の販売線上に並べていたことが、この時期のヒズ・マスターズ・ヴォイスの特徴です。
コロムビア
エレクトリック・アンド・ミュージカル・インダストリーズ社(Electric and Musical Industries Ltd.)のコロムビア(Columbia)は、デブロイ・ソマーズ(Debroy Somers, 1898–1952)とデブロイ・ソマーズ・バンド(Debroy Somers Band)による「We’ve Got the Moon and Sixpence」「Put That Down in Writing」を売り出し、同じロンドン舞台音楽をヒズ・マスターズ・ヴォイス盤と競合的に扱っていました。さらに、前月に録音された「50人の著名な英国男性歌手」によるクリスマス・キャロル盤を、職業関係慈善のために発売する準備も進んでおり、話題盤と慈善企画盤の両方を同時に動かしていました。
パーロフォン
エレクトリック・アンド・ミュージカル・インダストリーズ社(Electric and Musical Industries Ltd.)のパーロフォン(Parlophone)は、ルイ・アームストロング(Louis Armstrong, 1901–1971)とルイ・アームストロング・アンド・ヒズ・オーケストラ(Louis Armstrong and His Orchestra)のロンドン・パラディアム出演に合わせ、「Keeping out of Mischief」「Love, You Funny Thing」「I Can’t Believe That You’re in Love with Me」「I Ain’t Got Nobody」の4曲を前面に出していました。舞台出演と発売時期を密着させた販促が明確で、当月のパーロフォンはアメリカ合衆国ジャズの話題性をそのまま英国市場へ移していました。
デッカ
デッカ・レコード社(Decca Record Company Ltd.)は、セルフリッジズ(Selfridge’s)のパーム・コートを録音実演会場に変え、一般公開の録音催事を展開しました。応募者約1,500人を50人まで絞り、さらに11人を最終段階に進める新人発掘を行い、並行して著名演奏家の録音実演も毎日2回公開していました。さらに同月には、ジャック・ヒルトン(Jack Hylton, 1892–1965)が大きく関わるデッカの「Anna Gramm」競技会も始まり、賞金500ポンドが掲げられていました。1932年8月のデッカは、録音そのものを見せることで販売促進と新規契約者の確保を同時に進めていました。
ブランズウィック
ブランズウィック(Brunswick)は、カーサ・ロマ・オーケストラ(Casa Loma Orchestra)の「All of a Sudden」「Happy-go-lucky You」、コニーズ・イン・オーケストラ(Connie’s Inn Orchestra)の「Casa Loma Stomp」「Goodbye Blues」、バロン・リー・アンド・ヒズ・ブルー・リズム・バンド(Baron Lee and His Blue Rhythm Band)の「Heat Waves」「The Growl」、ドン・レッドマン・アンド・ヒズ・オーケストラ(Don Redman and His Orchestra)の「How’m I Doin’」「Try Getting a Good Night’s Rest」などを注目盤として並べていました。広告面ではワーナー=ブランズウィック社(Warner-Brunswick)に「最新のオールスター・リスト」を請求するよう促しており、1932年8月には個別の人気盤紹介と販売店向け販促資料の配布が連動していました。
リーガル
リーガル(Regal)は、ビリー・コットン・アンド・ヒズ・バンド(Billy Cotton and His Band)による「I’ve Gone and Lost My Little Yo-Yo」と「The “Oi” Song」を押し出していました。評論欄でもこの2曲は明るい娯楽性をもつ盤として扱われており、広告面では「YO-YO」がコメディー・ヒットの最初のレコードとして訴求されていました。1932年8月のリーガルは、ダンス音楽だけでなく、流行語や舞台的な笑いを含むコメディー盤で廉価市場を強く狙っていました。
ゾノフォン
ゾノフォン(Zonophone)は、「Please Don’t Mention It」「I Want to Sing to Ivy」「The Flies Crawled up the Window」などをザ・ブルー・ライアーズ(The Blue Lyres)名義で出していましたが、評論欄では、少なくともゾノフォン6153の演奏実体はラベル記載の楽団名と一致しない可能性が強く示唆されていました。1932年8月のゾノフォンは、映画『ジャックス・ザ・ボーイ』(Jack’s the Boy)関連曲を含む軽快な流行歌を廉価盤として供給すると同時に、変名や名義運用を含んだ柔軟な商品編成を行っていました。
インペリアル/ブロードキャスト
インペリアル(Imperial)とブロードキャスト(Broadcast)は、クリスタレイト・グラモフォン・レコード製造社(The Crystalate Gramophone Record Manufacturing Co., Ltd.)の広告で、驚くべき販売実績を持つ人気盤として強く訴求されていました。価格は1シリング、1シリング3ペンス、1シリング6ペンスで、9インチ盤と10インチ盤の双方が用意されており、有名歌手と有名バンドによる録音を「誰にでも手の届く価格」で売ることが前面に出されていました。1932年8月のこの系列は、明確に量販向けの中核商品でした。
コロムビア(米国盤)
アメリカ合衆国市場のコロムビア(Columbia)は、通常の78回転で再生できる長時間盤の販売反応を踏まえ、12インチ長時間盤を通常黒ラベル価格1.25ドルで投入していました。片面にテッド・ルイス(Ted Lewis, 1890–1971)、もう片面にケイト・スミス(Kate Smith, 1907–1986)を配した構成が紹介されており、1932年8月のコロムビアは、廉価盤や通常盤と並行して長時間盤の市場拡張を試みていました。
ヴィクター
アメリカ合衆国市場のヴィクター(Victor)は、33⅓回転盤の普及を試みている最中とされており、同時にデュアル・スピード・ターンテーブルが7.50ドルで一般販売に入りました。評論では、長時間盤への関心はある一方で、既存の蓄音機を新型機に丸ごと置き換える負担は大きいと受け止められていました。さらに同月には、フロンザレー・カルテット(Flonzaley Quartet)の遺産盤として、アルフレッド・ポション(Alfred Pochon, 1877–1959)編曲による「Old Zip Coon」「Turkey in the Straw」「Sally in Our Alley」を収めた10インチ盤も出ており、新フォーマットの試行と既存レパートリーの再編が同時に進んでいました。
