1932年7月に録音された音楽
1932年7月は、世界恐慌の圧力が政治、経済、社会、放送文化を同時に揺らした月でした。オーストラリアでは7月1日にオーストラリア放送委員会(Australian Broadcasting Commission)が最初の放送を行い、公共放送体制が始動しました。アメリカ合衆国では7月8日にダウ工業株平均(Dow Jones Industrial Average)が41.22で引け、20世紀の最安値を記録しました。7月9日のローザンヌ会議(Lausanne Conference)は、ドイツ賠償の継続が事実上不可能であることを示しました。ドイツでは7月20日、パウル・フォン・ヒンデンブルク(Paul von Hindenburg, 1847–1934)の緊急命令により、プロイセン自由州(Free State of Prussia)政府が排除され、フランツ・フォン・パーペン(Franz von Papen, 1879–1969)が国家委員に就きました。アメリカ合衆国では7月22日に連邦住宅貸付銀行法(Federal Home Loan Bank Act)が成立し、28日にはボーナス遠征軍(Bonus Expeditionary Force)の排除が流血を伴う事態に発展しました。さらに30日には第10回オリンピック競技大会ロサンゼルス大会(Games of the X Olympiad, Los Angeles 1932)がチャールズ・カーティス(Charles Curtis, 1860–1936)副大統領の宣言で開幕し、31日のドイツ国会(Reichstag)選挙では国民社会主義ドイツ労働者党(National Socialist German Workers’ Party)が37.3パーセントを得て第一党となりました。
この月の確認されている録音:0曲
1932年7月の録音に関する情報のまとめ
1932年7月の録音業界では、新譜そのものよりも、録音物をどう売り、どう放送し、どう公開するかという企業活動が前面に出ていました。アメリカ合衆国では、コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company, Inc.)がレコード販売促進策を一括して打ち出し、同時に放送局との提携と電気転写盤供給を強めていました。アールシーエー・ヴィクター社(RCA Victor Company, Inc.)は、エレクトラディスク(Electradisk)によって廉価盤市場へ踏み込み、通常盤とは別の販路を試しました。イギリスでは、デッカ・レコード社(The Decca Record Company Limited)が公開録音を催事化し、グラモフォン社(The Gramophone Company Limited)系のパーロフォン(Parlophone)は、ルイ・アームストロング(Louis Armstrong, 1901–1971)のロンドン出演と新譜を結び付けて市場を動かしていました。1932年7月は、不況下の録音業界が、販売制度、放送連携、公開実演、来演連動販促を組み合わせて需要を掘り起こしていた月として位置づけられます。
コロムビア
コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company, Inc.)は、1932年7月の同時代業界誌で、レコード販売回復のための具体策をまとめて打ち出していました。ラジオ・フォノグラフ購入者へ毎月最新の10インチ盤を1年間無料で送る制度、24枚用の専用陳列台、営業担当者による在庫交換と不良在庫整理、ラジオ・フォノグラフの呼称を「コンビネーション」から「ラジオグラフ」へ切り替える方針、さらに従来盤より再生時間を62パーセント拡大した新しい盤面設計が確認できます。加えて同月には、シカゴの放送局WJJDとの提携により、同社が電気転写盤と生演奏の両面で番組構築に関与することが報じられており、1932年7月のコロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company, Inc.)は、レコード販売と放送事業を一体化して再建を進めていました。
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Radio-Retailing/30s/Radio-Retailing-1932-07.pdf
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Broadcast-Advertising/Broadcast-Advertising-1932-07.pdf
アールシーエー・ヴィクター
アールシーエー・ヴィクター社(RCA Victor Company, Inc.)では、1932年7月にエフ・ダブリュー・ウールワース社(F. W. Woolworth Co.)向けの新廉価盤エレクトラディスク(Electradisk)が発売され、廉価盤市場への本格的な試験投入が始まりました。専門研究が引用する同月15日付の社内報告では、同社が安価盤市場の獲得へ「明確な攻勢」をかけていることが確認でき、同じ月の業界誌では、アールシーエー・ヴィクター社(RCA Victor Company, Inc.)が新型受信機とラジオ・フォノグラフの販促を強め、ヴィクター・レコード(Victor Records)を併売する体制を押し出していました。1932年7月の同社は、通常価格帯の商品群を維持しながら、別系統の廉価盤で需要の下層まで拾おうとしていたといえます。
- https://mainspringpress.org/2025/05/13/rca-victor-enters-the-cut-rate-label-market-1931-1939/
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Radio-Retailing/30s/Radio-Retailing-1932-07.pdf
デッカ
デッカ・レコード社(The Decca Record Company Limited)は、1932年7月にロンドンのセルフリッジ百貨店(Selfridge’s)のパーム・コートを録音スタジオへ転用し、一般来場者に録音工程を公開しました。前週にチェルシーのデッカ・レコード社(The Decca Record Company Limited)スタジオで行われた予選から選ばれた参加者が、百貨店内で録音試験を受け、入賞者には同社との1年契約が与えられました。さらに午後には著名歌手が観客の前で実際に録音を行っており、1932年7月のデッカ・レコード社(The Decca Record Company Limited)は、録音行為そのものを販促、見世物、契約発掘の場へ転換していました。
パーロフォン
グラモフォン社(The Gramophone Company Limited)系のパーロフォン(Parlophone)は、ルイ・アームストロング(Louis Armstrong, 1901–1971)が1932年7月18日にロンドン・パラディアム劇場(London Palladium)で英国初の個人出演を開始した時期に合わせて、新譜4面を発売しました。同時代誌は、この4面を来演記念の新譜として紹介し、舞台出演とレコード販売を同一の話題として扱っています。1932年7月のパーロフォン(Parlophone)は、来英した国際的スターの現地公演を、そのままレコード販促へ接続する戦略をとっていました。
