1932年11月に録音された音楽

この記事は約8分で読めます。
スポンサーリンク

1932年11月に録音された音楽

1932年11月は、政治と社会の不安定さが各地でいっそう可視化された月でした。ドイツでは11月6日の国会選挙で、国家社会主義ドイツ労働者党(National Socialist German Workers’ Party)がなお第一党を保ちながらも後退し、議会政治の停滞はむしろ深まりました。アメリカ合衆国では11月8日の大統領選挙でフランクリン・デラノ・ルーズヴェルト(Franklin Delano Roosevelt, 1882–1945)が大勝し、世界恐慌への対応をめぐる政策転換が鮮明になりました。カリブ海では11月にサンタ・クルス・デル・スル・ハリケーン(Santa Cruz del Sur hurricane)がキューバを襲い、甚大な人的被害を出しました。アメリカ合衆国西部では11月にボルダー・ダム(Boulder Dam)の導水トンネル完成によってコロラド川の付け替えが進み、大規模土木事業は新段階へ入りました。文化面では11月18日の第5回アカデミー賞(5th Academy Awards)で『グランド・ホテル(Grand Hotel)』が作品賞を受賞し、映画産業の存在感がさらに強まりました。

この月の確認されている録音:0曲

1932年11月の録音に関する情報のまとめ

1932年11月の録音業界では、正価盤の新録音を維持しながら、廉価盤と新型再生機器で需要を掘り起こす動きが同時に進んでいました。アールシーエー・ヴィクター社(RCA Victor Co., Inc.)はダンス盤の新録音を前面に出し、アメリカン・レコード社(American Record Corporation)配下のブランズウィック・レコード社(Brunswick Record Corporation)はブランズウィック、ヴォカリオン、メロトーンの各系列を束ねて販売を続けていました。コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company, Inc.)はラジオ兼用機とレコードの販路維持を図り、周辺では自動連続再生機や即時録音機といった装置も売り場に入り込んでいました。1932年11月は、不況下の録音産業が、レコード制作そのものだけでなく、価格帯の細分化、販売網の再編、再生・録音機器の拡張によって市場をつなぎ止めていた月といえます。

RCAヴィクター

アールシーエー・ヴィクター社(RCA Victor Co., Inc.)は、1932年11月号の業界誌でダンス盤を強く押し出していました。同誌は、ドン・ベスター・アンド・ヒズ・オーケストラ(Don Bestor and His Orchestra)のVictor 24135とVictor 24136をその月の注目盤として取り上げ、低音強調のために別マイクとバス・ドラムを組み合わせる録音上の工夫まで紹介しています。あわせて、ニューヨーク州西部ではニューヨーク・トーキング・マシン社(New York Talking Machine Co.)の人事が報じられ、アールシーエー・ヴィクター社(RCA Victor Co., Inc.)製品の販売体制も更新されていました。さらに同社は同年夏からエレクトラディスクと初期ブルーバードをウールワース向け廉価盤として並行展開しており、1932年11月時点のヴィクター部門は、正価盤の新録音と廉価盤実験を同時進行させていたことが確認できます。

ブランズウィック/アメリカン・レコード

アメリカン・レコード社(American Record Corporation)と、その傘下で運営されたブランズウィック・レコード社(Brunswick Record Corporation)は、1932年11月にも販売と録音の両面で活発でした。11月号の業界誌は、ブランズウィックに対して『ショウ・ボート(Show Boat)』アルバム販売用の宣伝資材請求を促し、同時にビング・クロスビー(Bing Crosby, 1903–1977)の Brunswick 6406、フレディ・マーティン・アンド・ヒズ・オーケストラ(Freddie Martin and His Orchestra)の Brunswick 6407、ザ・ドーシー・ブラザーズ(The Dorsey Brothers)の Brunswick 6409、ガイ・ロンバード・アンド・ヒズ・ロイヤル・カナディアンズ(Guy Lombardo and His Royal Canadians)の Brunswick 6399 を注目盤として挙げていました。会社構造の面では、ブランズウィック・レコード社(Brunswick Record Corporation)は1776 Broadwayに本拠を置き、原盤はアメリカン・レコード社(American Record Corporation)のスタジオ、プレスはスクラントン・ボタン社(Scranton Button Company)が担う体制でした。録音日でも、レッド・ニコルズ・アンド・ヒズ・オーケストラ(Red Nichols and His Orchestra)が11月28日に、キャブ・キャロウェイ・アンド・ヒズ・オーケストラ(Cab Calloway and His Orchestra)が11月30日に録音しており、11月後半の新録音が翌年初頭の発売へつながっていきました。

コロムビア

コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company, Inc.)は、1932年11月号の業界誌広告で販売店に対して同社ラインとの提携を呼びかけていました。広告は55 Fifth Avenue, New Yorkを連絡先としており、1932年11月時点で同社がラジオ兼用機とレコードを一体で扱う販路政策を続けていたことが読み取れます。不況期の同社は廉価盤競争から部分的に後退しつつありましたが、主要都市の販売網を保ちながら自社ブランドの位置づけを維持していました。1932年11月のコロムビアは、録音日そのものよりも、販売店との結び直しと商品ラインの再整理に重点を置いていたと見てよい月です。

ジョージ・R・セイヤー

ジョージ・R・セイヤー社(George R. Thayer Co., Inc.)は、1932年11月号の業界誌でカウンター型の連続式蓄音機を売り出していました。記事によれば、この機械は10枚のレコードを連続順再生でき、満載状態のまま反復運転も可能で、コイン作動にも対応していました。家庭用の単純な再生機だけでなく、店舗や公共空間向けの自動再生機が販売対象になっていたことを示す材料であり、1932年11月の市場が「録音物の販売」だけでなく「再生装置の使い方の拡張」でも支えられていたことが分かります。

ラジオ・レセプター

ラジオ・レセプター社(Radio Receptor Company, Inc.)は、1932年11月号の業界誌で RM-1 Recorder を紹介していました。これは販売店が顧客向けの音声録音、宴会での演説録音、さらには警察での会話記録にまで利用できる携帯型録音機で、録音後すぐに再生へ切り替えられる設計でした。1932年11月の録音関連市場では、既製レコードの販売と並行して、その場で声を刻む即時録音の商機も意識されていたことになります。業界誌がこれを新商品として扱っている点は、録音の用途が娯楽から実務・記録へ横に広がっていたことを示しています。