1933年に録音された音楽

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1933年に録音された音楽

1933年は、大恐慌の深刻さが各国の政治と社会を揺さぶり、国家が「非常時」を名目に統制を強める動きと、失業・金融不安に対する大規模な介入策が同時進行した転換点でした。国際協調は通貨・貿易・安全保障のいずれでも行き詰まりが目立ち、世界が分断へ傾く兆候が輪郭を帯びます。

ヨーロッパでは、アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler, 1889–1945)が1933年1月30日に首相に任命され、2月27日の国会議事堂放火事件を口実に、翌28日の「国民と国家の保護のための大統領令(Decree for the Protection of People and the Reich/いわゆる国会議事堂放火令)」で基本権が停止されました。3月22日には政治的反対派の拘禁を目的とする強制収容所がダッハウ(Dachau)に設置され、3月23日の「全権委任法(Ermächtigungsgesetz; Gesetz zur Behebung der Not von Volk und Reich)」によって立法権が内閣に集中し、議会制は急速に空洞化します。文化面でも統制は露骨で、5月10日の焚書は「望ましい思想」を国家が選別する象徴となりました。さらに10月14日、ドイツは国際連盟(League of Nations)と世界軍縮会議からの脱退を表明し、第一次世界大戦後の枠組み自体が揺らいでいきます。

一方、アメリカ合衆国(United States)では、フランクリン・D・ルーズベルト(Franklin D. Roosevelt, 1882–1945)が3月4日に大統領に就任し、銀行休業と金融再建を経て、3月9日の「緊急銀行法(Emergency Banking Act of 1933)」で制度的な火消しを急ぎました。失業対策では3月31日の立法と4月5日の「大統領令6101号(Executive Order 6101)」によってCivilian Conservation Corps(CCC)が動き出し、同日付の「大統領令6102号(Executive Order 6102)」は金保有の制限を通じて通貨・金融政策の転換を促します。続いて5月12日の「農業調整法(Agricultural Adjustment Act)」、5月18日の「テネシー川流域開発公社法(Tennessee Valley Authority Act)」、6月16日の「国家産業復興法(National Industrial Recovery Act)」など、政府が需要と雇用を押し上げる政策が矢継ぎ早に整備されました。国際面では6月12日–7月27日のロンドン世界経済会議(London Monetary and Economic Conference of 1933)が通貨安定などで成果を出せず、国内優先の姿勢が国際協調を難しくする現実が露呈します。年末の12月5日にはアメリカ合衆国憲法修正第21条(Twenty-first Amendment to the United States Constitution)の批准で禁酒法体制が終わり、税収と産業の再編を含む「平時への出口」も模索されました。

東アジアでは、日本(Japan)が1933年3月27日付で国際連盟への脱退意思を通告し、集団安全保障の枠組みから距離を取る流れが固定化します。外交の再配置も進み、アメリカ合衆国は11月16日にソビエト連邦(Soviet Union)を承認して国交を樹立し、マクシム・リトビノフ(Maxim Litvinov, 1876–1951)との交渉を通じて現実主義的な関係構築へ踏み出しました。同時期、1932–1933年のウクライナなどでは大飢饉(ホロドモール)が発生し、ヨシフ・スターリン(Joseph Stalin, 1878–1953)体制下の政策と結び付けて「人為的飢饉」と位置付ける研究・教育資料もあり、国家が社会を動員する力の陰の側面もまた世界史に刻まれます。

科学・技術・大衆文化の領域でも、1933年は「新しい日常」を準備しました。ノーベル物理学賞はエルヴィン・シュレーディンガー(Erwin Schrödinger, 1887–1961)とポール・ディラック(Paul A. M. Dirac, 1902–1984)に授与され、量子論が20世紀の基礎言語として定着していきます。材料科学ではImperial Chemical Industries(ICI)のレジナルド・ギブソン(Reginald O. Gibson, 1900–1979)とエリック・フォーセット(Eric W. Fawcett, 1899–1963)が1933年の高圧実験でポリエチレンの生成に到達し、のちの包装・電気絶縁など大量消費社会の素材基盤へつながりました。都市と娯楽の側面では、シカゴ(Chicago)で5月27日に「A Century of Progress International Exposition(1933–1934)」が開幕し、科学と産業の未来像を大衆に提示します。災害も社会を変え、3月10日のロングビーチ地震(Long Beach earthquake)は脆弱な組積造建築の被害を通じて耐震設計・規制の議論を加速させました。映画と自動車文化の結節点としては、6月6日にニュージャージー州でドライブイン・シアターが開業し、移動と鑑賞が結び付く「郊外型の大衆娯楽」も姿を現します。政治の急進化、国家介入の拡大、国際秩序の動揺、そして科学技術と娯楽の更新が同じ年に重なったこと自体が、1930年代の歴史の不穏さと創造性を同時に物語っています。