1933年8月に録音された音楽

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1933年8月に録音された音楽

1933年8月は、国家統治、労働政策、外交、巨大土木、宇宙技術、スポーツが同時に動いた月でした。ソビエト連邦では8月2日に白海・バルト海運河(White Sea–Baltic Canal)の建設完了と開通が打ち出され、ハイチでは8月7日に1933年8月7日協定(Agreement of August 7, 1933)が結ばれて、財政管理、軍のハイチ化、アメリカ海兵隊撤収をめぐる転換点になりました。アメリカ合衆国では8月5日に国立労働委員会(National Labor Board)が設けられ、国家が労使紛争の調整を直接担う体制が強まりました。キューバでは8月12日にヘラルド・マチャド・イ・モラレス(Gerardo Machado y Morales, 1871–1939)が辞任し、政権は短期の移行局面に入りました。8月17日にはソビエト連邦の反動運動調査グループ(Group for the Study of Reactive Motion)がソビエト連邦初の液体燃料ロケット打ち上げを実現し、同じ日にニューヨーク・ヤンキースのルー・ゲーリッグ(Lou Gehrig, 1903–1941)が連続試合出場の新記録を樹立しました。

この月の確認されている録音:0曲

1933年8月の録音に関する情報のまとめ

1933年8月の同時代業界誌では、蓄音機レコード業界が過去数か月で目立って持ち直し、視覚訴求を伴う新商品、録音内容の改善、人気曲の補強が小売利益を押し上げていると受け止められていました。実際に同月の記事と広告を見比べると、コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company, Inc.)、アールシーエー・ヴィクター社(RCA Victor Company, Inc.)、ブランズウィック・レコード社(Brunswick Record Company)の三社が、それぞれ専属人材の補強、商品系列の再編、スター盤の継続投入を進めていたことが確認できます。1933年8月の資料上、単月の企業活動を具体的に追えるのは主としてこの三社であり、少なくとも同月号の主要業界誌では、それ以外の録音関連企業について同じ密度では確認できません。

コロムビア

1933年8月のコロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company, Inc.)は、再編後の体制のもとで新録音人材の補強を前面に出していました。『Radio Merchant』8月号の「With the Record Makers」は、同社が新しい録音人材の獲得に最善の力を注いでいると述べ、ジョージ・オルセン(George Olsen, 1893–1971)率いるジョージ・オルセン・アンド・ヒズ・ミュージック(George Olsen and His Music)、クライド・マッコイ(Clyde McCoy, 1903–1990)率いるクライド・マッコイ・アンド・ヒズ・オーケストラ(Clyde McCoy and His Orchestra)、ポール・アッシュ(Paul Ash, 1891–1958)の復帰録音などを新しい柱として紹介しています。広告面でも、ジョージ・オルセン・アンド・ヒズ・ミュージック(George Olsen and His Music)の8月発売盤として “Lou’siana Lullaby” と “The Last Roundup” など4面が押し出され、同時にマスターワークス・シリーズ(Masterworks Series)ではベドルジハ・スメタナ(Bedřich Smetana, 1824–1884)の《ヴルタヴァ》とフランツ・リスト(Franz Liszt, 1811–1886)の《ピアノ協奏曲第1番 変ホ長調》が追加されていました。8月のコロムビアは、ポピュラー盤の話題性とクラシック盤の継続販売を同時に強めていたと言えます。

アールシーエー・ヴィクター

1933年8月のアールシーエー・ヴィクター社(RCA Victor Company, Inc.)では、商品系列の拡張と販売組織の専門化がはっきり確認できます。『Radio Merchant』8月号は、同社のピクチャー・レコードが好反応を得ており、標準盤より高価でありながら販売が励みになっていると報じています。また同じ記事は、通常盤ではレイ・ノーブル(Ray Noble, 1903–1978)、レオ・ライスマン(Leo Reisman, 1897–1961)、ジャン・ガーバー(Jan Garber, 1894–1977)、ポール・ホワイトマン(Paul Whiteman, 1890–1967)、イシャム・ジョーンズ(Isham Jones, 1894–1956)、ルイ・アームストロング(Louis Armstrong, 1901–1971)らの楽団録音を、赤盤ではミッシャ・エルマン(Mischa Elman, 1891–1967)、フョードル・シャリアピン(Feodor Chaliapin, 1873–1938)、レオポルド・ストコフスキー(Leopold Stokowski, 1882–1977)らの録音を並べていました。さらに同月の人事記事では、映画用、トランスクリプション用、特殊目的用の録音を扱う独立区分が必要になったとされ、標準盤の家庭向け販売も別枠で強化されていました。広告面でも、ヴィクター・レコード(Victor Records)とラジオ・フォノグラフの一体販売が打ち出されており、1933年8月の同社は記録媒体そのものと再生機器の両方を結びつけて秋商戦へ入ろうとしていました。

ブランズウィック

1933年8月のブランズウィック・レコード社(Brunswick Record Company)は、主力歌手と人気楽団の継続投入で販売を支えていました。『Radio Merchant』8月号は、同社が最新の人気曲の「最新かつ最良の」録音を続けているとし、とくにビング・クロスビー(Bing Crosby, 1903–1977)の盤が映画『College Humor』の成功もあって以前にも増して売れていると伝えています。同じ記事では、ガイ・ロンバード(Guy Lombardo, 1902–1977)とドーシー・ブラザーズ(Dorsey Bros.)の人気上昇にも触れており、1933年8月のブランズウィックは、映画と結びついたスター販売と楽団人気の両面で商機を広げていました。加えて『Radio Retailing』8月号では、ブランズウィック・レコード社(Brunswick Record Company)出身者がアールシーエー・ヴィクター社(RCA Victor Company, Inc.)のレコード販売責任者に移ったことが報じられており、同時期の競争が人材面にも及んでいたこともわかります。