1933年6月に録音された音楽

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1933年6月に録音された音楽

1933年6月は、世界恐慌への制度対応と大衆文化の変化、さらに政治的暴力の拡大が同時に進んだ月でした。アメリカ合衆国では6月5日に金条項を無効化する共同決議が成立し、6月13日には住宅所有者貸付法(Home Owners’ Loan Act of 1933)、6月16日には全国産業復興法(National Industrial Recovery Act)と1933年銀行法(Banking Act of 1933)が相次いで成立しました。国際面では6月12日にロンドン通貨経済会議(London Monetary and Economic Conference)が開幕し、通貨安定と貿易回復が主要議題となりました。文化面では6月6日にニュージャージー州ペンサウケン(Pennsauken)で世界初のドライブイン映画館が開業しました。一方、社会と政治の面では、6月17日のカンザスシティ虐殺事件(Kansas City Massacre)がアメリカ合衆国の治安不安を象徴し、6月下旬のケーペニック血の週(Köpenicker Blutwoche)はベルリンにおける初期ナチズムの暴力を強く印象づけました。

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1933年6月の録音に関する情報のまとめ

1933年6月の同時代業界紙を見ると、録音産業は不況下でも流通再編、販促強化、新人発掘、そして自動式フォノグラフ機器の拡充を続けていました。『Radio & Electric Appliance Journal』1933年6月号では、連邦のラジオ・蓄音機レコード5パーセント物品税の1933年4月徴収額が138,587.02ドルと報じられており、レコード市場がなお相応の規模で動いていたことが分かります。同月の業界紙で直接確認できる動きとしては、アールシーエー・ヴィクター社(RCA Victor Co., Inc.)の夏季販売攻勢、ポーク・ミュージカル・サプライ社(Polk Musical Supply Co.)への南部流通移管、コロムビア・ラジオ・アンド・レコード社(Columbia Radio & Record Corp.)の販売部門強化、ブランズウィック・レコード社(Brunswick Record Corp.)の原盤話題化、アメリカン・レコード社(American Record Corp.)のパーフェクト・レコード(Perfect Records)による新人売り出し、さらにストロムバーグ=カールソン電話製造社(Stromberg-Carlson Telephone Mfg. Co.)やオペラディオ製造社(Operadio Mfg. Co.)による自動式フォノグラフ関連機器の展開が挙げられます。

アールシーエー・ヴィクター

1933年6月の広告では、アールシーエー・ヴィクター社(RCA Victor Co., Inc.)が「夏の大販売運動」を掲げ、ヴィクター・レコード(Victor Records)とラジオ・フォノグラフ複合機RE-40を一体で訴求していました。さらに同月の製品紹介欄では、同社のコイン作動ヴィクトローラ(Coin Victrola)が新製品として掲載され、10インチ盤10枚を連続再生できるホッパー式チェンジャーと、標準盤・長時間盤の両方に対応する仕様が示されています。1933年6月時点で、アールシーエー・ヴィクター社(RCA Victor Co., Inc.)は家庭向け販売だけでなく、業務用の自動再生機器まで含めてレコード需要の拡大を図っていました。

ポーク・ミュージカル・サプライ

1933年6月号の『Radio & Electric Appliance Journal』では、C・L・エグナー(C. L. Egner, 生没年不明)が率いるレコード部門の説明として、ポーク・ミュージカル・サプライ社(Polk Musical Supply Co.)がアトランタ地域でヴィクター・レコード(Victor Records)とブルーバード(Bluebird)の流通を新たに担うことになったと報じられています。これはディキシー・ディストリビューティング社(Dixie Distributing Co.)が担当していた南部の一部流通網が1933年6月に再編されたことを示しており、販売会社の組み替えが当月の重要な動きだったことが分かります。

コロムビア

1933年6月号では、E・F・スティーブンス・ジュニア(E. F. Stevens, Jr., 生没年不明)がコロムビア・ラジオ・アンド・レコード社(Columbia Radio & Record Corp.)に加わり、蓄音機レコード部門を担当することになったと報じられています。記事は、同人がレコード販売拡大の経験を持つ人物であることを強調しており、1933年6月の時点で同社が販売面の立て直しと強化を進めていたことを示しています。

ブランズウィック

1933年6月号には、アメリカ合衆国財務長官ウィリアム・ハートマン・ウーディン(William Hartman Woodin, 1868–1934)が、自作曲「A Lullaby」のマスター原盤を、ジャック・ナップ(Jack Knapp, 生没年不明)とともに確認している写真説明が掲載されています。記事は短いものの、ブランズウィック・レコード社(Brunswick Record Corp.)が当月に原盤制作を話題化し、企業イメージ形成に利用していたことを示す同時代資料です。

アメリカン・レコード社のパーフェクト

1933年6月号には、「Perfect Record Executive Discovers New Talent」という見出しで、W・R・コロウェイ(W. R. Colloway, 生没年不明)が南部での販売巡回を終えてニューヨークへ戻ったこと、さらにジョシュア・ホワイト(Joshua White, 生没年不明)を新しいレコード歌手として見いだしたことが紹介されています。A・E・サザリー(A. E. Southerly, 生没年不明)に紹介されたこの新人について、記事はパーフェクト・レコード(Perfect Records)が「So Sweet — So Sweet」と「Bad Depression Blues」をすでに売り出していると伝えており、アメリカン・レコード社(American Record Corp.)が1933年6月にも廉価盤市場で新譜投入を続けていたことが確認できます。

ストロムバーグ=カールソン

1933年6月の広告では、ストロムバーグ=カールソン電話製造社(Stromberg-Carlson Telephone Mfg. Co.)が、テレクター(Te-lek-tor)の上位機としてNo.52とNo.54を掲げ、No.54をラジオと自動式フォノグラフの複合機として前面に出していました。説明では、家のどこからでもラジオまたは自動式フォノグラフの始動・停止、音量調整、スピーカー切替、放送局選択ができることが強調されており、同社が当月の高級家庭市場において自動式再生機能を販売上の大きな魅力として用いていたことが分かります。

オペラディオ

1933年6月の『Radio Retailing』では、オペラディオ製造社(Operadio Mfg. Co.)が「トーク・ア・ライト(Talk-A-Lite)」自動式同期装置を新製品として発表したと報じられています。これはフォノグラフ・レコードの音声や効果音を、照明変化や機械動作などと自動同期させる装置で、3分、4分半、6分、9分、12分、15分の録音に対応し、説明用講演だけに用いるModel 53も用意されていました。1933年6月時点で、レコードは家庭娯楽だけでなく、展示装置や販促空間を動かす実務的メディアとしても利用範囲を広げていました。