1933年3月に録音された音楽
1933年3月は、政治危機、自然災害、大衆文化の拡大が同時に進んだ月でした。日本では3月3日に1933年三陸地震(1933 Sanriku earthquake)が発生し、津波被害が東北沿岸を襲いました。アメリカ合衆国ではフランクリン・デラノ・ルーズベルト(Franklin Delano Roosevelt, 1882–1945)が3月4日に大統領へ就任し、6日に全国的な銀行休業を命じ、9日に緊急銀行救済法(Emergency Banking Relief Act)が成立しました。オーストリアではエンゲルベルト・ドルフース(Engelbert Dollfuß, 1892–1934)政権の下で3月4日に議会制民主主義が停止しました。10日にはカリフォルニア州でロングビーチ地震(Long Beach earthquake)が起こり、建築安全基準の見直しを促しました。ドイツでは22日にダッハウ強制収容所(Dachau concentration camp)が設けられ、23日には民族及び国家の苦境を除去するための法律(Gesetz zur Behebung der Not von Volk und Reich)が成立しました。国際政治では3月下旬に日本が国際連盟(League of Nations)脱退を通告し、文化面では3月2日にニューヨークで映画『キング・コング』(King Kong)が初公開されました。
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1933年3月の録音に関する情報のまとめ
1933年3月の録音業界では、世界恐慌の最中でも発売編成、売場再建、地域向けレパートリーの維持が続いていました。アメリカ合衆国ではコロムビア・フォノグラフ・アンド・ラジオ社(Columbia Phonograph & Radio Co.)がレコード売場の再整備を進め、アールシーエー・ヴィクター社(RCA Victor Company, Inc.)はオペラ盤と流行歌盤を併売し、ブランズウィック・レコード(Brunswick Records)は映画と結びついた新譜投入を強めていました。イギリスではグラモフォン社(The Gramophone Company Limited)のヒズ・マスターズ・ヴォイス(His Master’s Voice)、コロムビア・グラフォフォン社(Columbia Graphophone Company Limited)のコロムビア(Columbia)、デッカ・レコード社(Decca Record Company Ltd.)が3月の新譜を継続しており、ドイツでは月末にドイツ・グラモフォン社(Deutsche Grammophon AG)周辺で経営陣の移動が起こりました。
コロムビア
1933年3月の同時代誌では、コロムビア・フォノグラフ・アンド・ラジオ社(Columbia Phonograph & Radio Co.)の蓄音機レコード部門が、北西部と中西部でレコード需要の回復を確認したと報じられています。営業責任者は、大手楽器店と百貨店28店にレコード部門を再設置させたと述べており、同月の同社が単なる新譜販売ではなく、売場そのものの再建を営業課題にしていたことが分かります。販売誌の「Around the Turntable」欄では、アート・カッセル(Art Kassel, 1896–1965)の盤2742-Dが当月の看板ダンス盤として扱われ、ブルーノ・ワルター(Bruno Walter, 1876–1962)指揮盤68090・68091や、ロベール・カサドシュ(Robert Casadesus, 1899–1972)によるショパン作品集Set No.179も3月の主力商品として紹介されていました。さらに同誌は、同社のロイヤル・ブルー・レコード(Royal Blue Records)が静粛な盤面と発売方式の工夫によって広がりつつあると記しています。
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Radio-Journal/30s/Radio-Journal-1933-03.pdf
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Radio-Retailing/30s/Radio-Retailing-1933-03.pdf
RCAヴィクター
1933年3月号の販売誌では、アールシーエー・ヴィクター社(RCA Victor Company, Inc.)が当月の販売材料として、ヨハネス・ブラームス(Johannes Brahms, 1833–1897)生誕百年とリヒャルト・ワーグナー(Richard Wagner, 1813–1883)五十年忌に結びつくアルバムを前面に出していました。具体的には、ローズ・バンプトン(Rose Bampton, 1907–2007)とコンラッド・ティボー(Conrad Thibault, 1903–1956)によるM175、ローリッツ・メルヒオール(Lauritz Melchior, 1890–1973)とフローレンス・イーストン(Florence Easton, 1882–1955)、ローベルト・ヘーガー(Robert Heger, 1886–1978)を含むM167が3月の中心商品として挙げられています。ポピュラー盤ではポール・ホワイトマン(Paul Whiteman, 1890–1967)の24238と24225、39000が紹介され、テッド・ウィームス(Ted Weems, 1901–1969)、フレッド・ウォーリング(Fred Waring, 1900–1984)、ジョージ・オルセン(George Olsen, 1893–1971)、ドン・ベスター(Don Bestor, 1889–1978)も同月の売れ筋として並べられていました。1933年3月の同社は、クラシック系アルバムとダンス音楽盤を同時に押し出す編成を維持していたといえます。
ブランズウィック
1933年3月号の販売誌では、ブランズウィック・レコード(Brunswick Records)が映画との結びつきを強く打ち出していました。誌面では、ケイト・スミス(Kate Smith, 1907–1986)が映画『ハロー・エヴリバディ!』(Hello, Everybody!)由来の4曲を6496と6497に収めた新しい看板歌手として扱われています。さらに、メイ・ウエスト(Mae West, 1893–1980)は『彼女は大物』(She Done Him Wrong)に結びつく6495で大きく紹介され、6499も続く売り物として並べられていました。1933年3月のブランズウィック・レコード(Brunswick Records)は、映画出演者の知名度を直接レコード販売へ結びつける編成を進めていたことが確認できます。
ヒズ・マスターズ・ヴォイス
1933年3月11日号の英国誌では、グラモフォン社(The Gramophone Company Limited)のヒズ・マスターズ・ヴォイス(His Master’s Voice)が、軽音楽、器楽、歌曲集、オルガン盤を横断的に供給していたことが分かります。誌面ではB3898、B4237、B4335、C2511、02453が3月の注目盤として紹介されており、ウィーン風の軽音楽、ロンドン交響楽団の器楽録音、バラード、ロバート・バーンズ(Robert Burns, 1759–1796)歌曲集、オルガン録音までが同時に並んでいました。1933年3月の同ブランドは、家庭向けの幅広いレパートリーを維持することで市場を支えていました。
コロムビア(イギリス盤)
同じ1933年3月11日号では、コロムビア・グラフォフォン社(Columbia Graphophone Company Limited)のコロムビア(Columbia)から、DB1037、DB1038、DB1039、DB1040が紹介されています。誌面では、軽音楽、アルバート・サンドラー(Albert Sandler, 1906–1944)のヴァイオリン独奏、軍楽、バラードが横並びで扱われており、英語圏家庭市場向けの総合的な発売編成を維持していたことが確認できます。アメリカ盤コロムビアと同じく、1933年3月の同ブランドも特定分野に偏らない構成を採っていました。
デッカ
1933年3月11日号の英国誌は、デッカ・レコード社(Decca Record Company Ltd.)のF3379を当月の新譜例として取り上げています。記事では、ティタートン(Titterton, 生没年不明)によるアイルランド歌曲が紹介されており、同社が1933年3月の時点でもバラード系の新譜供給を継続していたことが分かります。確認できる件数は多くありませんが、同月の英国市場でデッカ・レコード社(Decca Record Company Ltd.)が確実に動いていたことを示す資料です。
ドイツ・グラモフォン
1933年3月末には、ドイツ・グラモフォン社(Deutsche Grammophon AG)とポリドール(Polydor)周辺で経営陣の移動が起こりました。エミール・ベルリナー・スタジオズ(Emil Berliner Studios)の沿革資料によれば、3月31日にブルーノ・ボルヒャルト(Bruno Borchardt, 生没年不明)とフリッツ・シェーンハイマー(Fritz Schönheimer, 生没年不明)がフランスへ移り、シェーンハイマーはフランスのポリドール運営へ、ボルヒャルトはスイス側のポリドール持株会社(Polydor Holding AG)へ関わる形になりました。録音部門のマリー・フィンケルシュタイン博士(Dr. Marie Finkelstein, 生没年不明)も同時期に国外へ出ており、1933年3月の同社では発売活動と並行して、人事と経営体制の大きな変動が進行していました。
- https://emil-berliner-studios.com/en/history/gallery
- https://emil-berliner-studios.com/en/history/borchardt
