1933年10月に録音された音楽

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1933年10月に録音された音楽

1933年10月は、国際秩序の揺らぎと大衆文化の拡張が同時に進んだ月でした。10月7日にはエールフランス(Air France)がル・ブルジェで公式に開業し、フランスの航空輸送再編が新しい段階に入りました。10月10日には反戦・不可侵・調停条約(Anti-War Treaty of Non-Aggression and Conciliation)がリオデジャネイロで調印され、米州の国家間紛争を平和的手段で処理する原則が確認されました。その一方で、ドイツは10月14日に国際連盟(League of Nations)と世界軍縮会議(World Disarmament Conference)からの離脱を表明し、戦間期の国際協調体制に大きな打撃を与えました。10月17日にはアルベルト・アインシュタイン(Albert Einstein, 1879–1955)がアメリカ合衆国へ渡り、プリンストン高等研究所(Institute for Advanced Study)での活動を始めました。10月29日にはホセ・アントニオ・プリモ・デ・リベラ(José Antonio Primo de Rivera, 1903–1936)がファランヘ・エスパニョーラ(Falange Española)を創設し、スペイン政治の急進化が可視化しました。また、エスクァイア(Esquire)の創刊号が10月に刊行され、映画・服飾・酒・都市生活を結びつける新しい男性向け大衆誌文化も立ち上がりました。

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1933年10月の録音に関する情報のまとめ

1933年10月の当月業界誌を改めて点検すると、具体的な新譜投入、契約、店頭販促、販売戦略まで追える録音関連企業は、コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company, Inc.)、ブランズウィック・レコード社(Brunswick Record Corp.)、その系列レーベルであるヴォカリオン(Vocalion)、アールシーエー・ヴィクター社(RCA Victor Co., Inc.)、そして同社系販売店として記載されるプラット・ミュージック社(Platt Music Co.)でした。1933年10月の市場では、映画・舞台の新作と結び付いた楽曲を素早く商品化すること、著名歌手の専属性を前面に出すこと、廉価盤や新しい売場演出によって購買層を広げることが、各社共通の重要施策になっていたことが確認できます。

コロムビア

コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company, Inc.)は、1933年10月号広告で、コロムビア・ロイヤル・ブルー・レコード(Columbia Royal Blue Records)を「ハリウッドでもブロードウェイでも、話題が熱いうちに盤にする」商品として前面に出していました。そこに並ぶ当月の主力は、アール・キャロル(Earl Carroll, 1893–1948)の『マーダー・アット・ザ・ヴァニティーズ』(Murder at the Vanities)、パラマウント映画社(Paramount Pictures)の『トゥー・マッチ・ハーモニー』(Too Much Harmony)と『テイク・ア・チャンス』(Take a Chance)、フォックス・フィルム社(Fox Film Corporation)の『マイ・ウィークネス』(My Weakness)、ユナイテッド・アーティスツ社(United Artists)の『エンペラー・ジョーンズ』(Emperor Jones)、メトロ・ゴールドウィン・メイヤー社(Metro-Goldwyn-Mayer)の『ディナー・アット・エイト』(Dinner at Eight)、ワーナー・ブラザース映画社(Warner Bros. Pictures)の『フットライト・パレード』(Footlight Parade)に結び付いた新譜群で、演奏はジョージ・オルセン・アンド・ヒズ・ミュージック(George Olsen and His Music)、メイヤー・デイヴィス・アンド・ヒズ・オーケストラ(Meyer Davis and His Orchestra)、フラン・フレイ・アンド・ヒズ・オーケストラ(Fran Frey and His Orchestra)、ベン・セルヴィンズ・オーケストラ(Ben Selvin’s Orchestra)などが担っていました。さらに同広告では「The Last Round-Up」をジョージ・オルセン・アンド・ヒズ・ミュージック(George Olsen and His Music)による Record No. 2791-D として押し出しており、同社が当月も映画・舞台・流行歌を直結させる商品編成を進めていたことが確認できます。

ブランズウィック

ブランズウィック・レコード社(Brunswick Record Corp.)は、1933年10月号記事でビング・クロスビー(Bing Crosby, 1903–1977)との契約更新を公表し、パラマウント映画社(Paramount Pictures)の『トゥー・マッチ・ハーモニー』(Too Much Harmony)関連曲で大きな売上を得ていると報じられていました。記事では「Thanks」「Black Moonlight」「The Day You Came Along」「I Guess It Had to Be That Way」に加え、「The Last Round-Up」を重要曲として扱い、これをガイ・ロンバード・アンド・ヒズ・ロイヤル・カナディアンズ(Guy Lombardo and His Royal Canadians)、ビング・クロスビー(Bing Crosby, 1903–1977)、ヴィクター・ヤング・アンド・ヒズ・オーケストラ(Victor Young and His Orchestra)、ザ・ソングスミスズ(The Songsmiths)の名で迅速に発売したことが業者向けの強みとして説明されています。加えて同号では、ウォルター・オキーフ(Walter O’Keefe, 1900–1983)の楽曲「The Man on the Flying Trapeze」をアンソン・ウィークス・アンド・ヒズ・オーケストラ(Anson Weeks and His Orchestra)の盤で売るためのウィンドー・ストリーマーを配布したことも報じられており、1933年10月の同社が専属歌手、話題曲の多名義展開、店頭広告物の投入を同時に進めていたことが確認できます。

ヴォカリオン

ヴォカリオン(Vocalion)は、ブランズウィック・レコード社(Brunswick Record Corp.)の系列レーベルとして、1933年10月号で独立した販促記事を持っていました。そこでは、ラジオ界で「ザ・ストリート・シンガー」として知られていたアーサー・トレイシー(Arthur Tracy, 1899–1997)を新しいスターとして加え、最初の発売を「The Last Round-Up」と「Just a Year Ago Tonight」の組み合わせで出したこと、さらにその盤を宣伝する店頭用ウィンドー・ストリップが配布されていることが記されています。加えて、価格を1枚35セント、3枚1ドルとする新しい価格訴求も明示されており、1933年10月のヴォカリオンが廉価と店頭販促を組み合わせて購買層の拡大を図っていたことが確認できます。

RCAヴィクター

アールシーエー・ヴィクター社(RCA Victor Co., Inc.)は、1933年10月号でコンラッド・ティボー(Conrad Thibault, 1903–1987)をレッド・シール・レコード(Red Seal Records)の歌手でありながらブラック・ラベルの大衆向け盤にも起用する方針を打ち出していました。記事では、同社が広告、ポスター、ストリーマーを用意し、ティボーの新盤「The Last Round-Up」と「Shortnin’ Bread」を広く売り出すと説明しています。また同号では、キャブ・キャロウェイ・アンド・ヒズ・オーケストラ(Cab Calloway and His Orchestra)がヴィクター(Victor)の録音陣に加わり、最初のヴィクター盤として「Evenin’」と「Harlem Hospitality」を出したことも報じられていました。1933年10月の同社は、クラシック系の格付けと大衆向け盤をまたぐ歌手起用、そして新規の人気楽団導入を同時に進めていたことが確認できます。

プラット・ミュージック

プラット・ミュージック社(Platt Music Co.)は、ロサンゼルスのアールシーエー・ヴィクター社(RCA Victor Co., Inc.)系販売店として、1933年10月号で新しいレコード売場を開いたことが報じられていました。記事は、この新しい record salon で album sets と new picture records の販売が好調であると述べており、1933年10月時点でヴィクター系販売網が盤の内容だけでなく売場演出そのものを更新しながら需要を掘り起こしていたことを示しています。