1934年2月に録音された音楽
1934年2月の世界は、政治危機と国際協調、文化の新展開が同時に進んだ月でした。フランスではスタヴィスキー事件(Stavisky Affair)後の緊張が2月6日の暴動に至り、エドゥアール・ダラディエ(Édouard Daladier, 1884–1970)政権は退陣へ追い込まれました。2月9日にはギリシャ、トルコ、ルーマニア、ユーゴスラビアがバルカン協商(Balkan Entente)を結び、地域の現状維持を図りました。アメリカ合衆国ではフランクリン・デラノ・ルーズベルト(Franklin Delano Roosevelt, 1882–1945)の下で輸出入銀行ワシントン(Export-Import Bank of Washington)が設けられ、対外貿易金融の新たな枠組みが整えられました。オーストリアでは2月12日から15日にかけてオーストリア内戦(Austrian Civil War)が起こり、エンゲルベルト・ドルフース(Engelbert Dollfuss, 1892–1934)政権が社会民主党勢力を武力で制圧しました。ベルギーでは2月17日にアルベール1世(Albert I, 1875–1934)が死去し、レオポルド3世(Leopold III, 1901–1983)が王位を継承しました。文化面では、ガートルード・スタイン(Gertrude Stein, 1874–1946)台本、ヴァージル・トムソン(Virgil Thomson, 1896–1989)作曲の『三幕の四聖人』(Four Saints in Three Acts)が2月7日にハートフォードで初演され、2月20日にはニューヨークでも上演されました。
この月の確認されている録音:0曲
1934年2月の録音に関する情報のまとめ
1934年2月の録音市場は、同月の販売誌と業界誌を見る限り、明確な回復局面に入っていました。人気盤売場では「過去三か月の売上が1930年以来でもっとも良い」とする証言が出ており、店頭では人気盤だけでなくクラシックのアルバム物も動いていました。各社は、売れ筋の新曲を需要の高い時点で出すこと、低価格盤と高価格盤を並行して売ること、試聴盤や月刊案内、電話連絡、直送、ウィンドー展示などで既存客を再来店させることに力を入れていました。1934年2月は、レコード会社、携帯型蓄音機の供給側、専門販売店、教育市場向けの販売会社が同時に動いていた月でした。
RCAヴィクター
RCAヴィクター社(RCA Victor Co., Inc.)は、1934年2月の広告で、ヴィクター・レコード(Victor Records)の新しい明瞭な音と販売増を前面に出していました。同月の販促では、ポール・ホワイトマン・アンド・ヒズ・オーケストラ(Paul Whiteman and His Orchestra)、レイ・ノーブル・アンド・ヒズ・オーケストラ(Ray Noble and His Orchestra)、ホーギー・カーマイケル・アンド・ヒズ・オーケストラ(Hoagy Carmichael and His Orchestra)、ドン・ベスター・アンド・ヒズ・オーケストラ(Don Bestor and His Orchestra)、エディ・ダッチン・アンド・ヒズ・オーケストラ(Eddie Duchin and His Orchestra)の新譜が並び、あわせてロッテ・レーマン(Lotte Lehmann, 1888–1976)参加のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(Vienna Philharmonic Orchestra)による『ばらの騎士』(Der Rosenkavalier)の赤ラベル・セットも押し出されていました。さらに同月の『Radio Retailing』では、ブルーバード・レコード(Bluebird Records)が「もっとも速く売れる低価格盤」として訴求され、携帯型の Model 219 phonograph も紹介されており、同社がレコードと蓄音機の両面で市場を広げていたことが確認できます。
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Radio-Retailing/30s/Radio-Retailing-1934-02.pdf
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Radio-Merchant/Radio-Merchant-1934-02.pdf
コロムビア
コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company, Inc.)は、1934年2月の広告で、映画とブロードウェイの新曲を流行の頂点で素早く市場へ出すことを自社の強みとして訴えました。誌面には、ジョージ・オルセン・アンド・ヒズ・ミュージック(George Olsen and His Music)、エンリク・マドリゲラ・アンド・ヒズ・オーケストラ(Enric Madriguera and His Orchestra)、ベン・ポラック・アンド・ヒズ・オーケストラ(Ben Pollack and His Orchestra)、チック・ウェッブ・アンド・ヒズ・オーケストラ(Chick Webb and His Orchestra)、クロード・ホプキンス・アンド・ヒズ・オーケストラ(Claude Hopkins and His Orchestra)、ザ・ヨット・クラブ・ボーイズ(The Yacht Club Boys)などが並び、とくにチック・ウェッブ盤の《オン・ザ・サニー・サイド・オブ・ザ・ストリート》(On the Sunny Side of the Street)は、サヴォイ・ボールルーム(Savoy Ballroom)の本場のハーレム・ダンス音楽として紹介されていました。クラシック分野でも、ロッテ・レーマン(Lotte Lehmann, 1888–1976)やニノン・ヴァラン(Ninon Vallin, 1886–1961)の盤が同月の推奨盤として扱われており、同社が人気盤とクラシック盤の双方を押し出していたことがわかります。
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Radio-Retailing/30s/Radio-Retailing-1934-02.pdf
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Radio-Merchant/Radio-Merchant-1934-02.pdf
ブランズウィック
ブランズウィック・レコード(Brunswick Records)は、1934年2月の小売現場記事で、人気盤市場回復の代表的なブランドとして扱われていました。ニューヨークの人気盤売場三店は、過去三か月の売上が1930年以来もっとも良いと答えており、その代表例として、ルース・エッティング(Ruth Etting, 1896–1978)による《エヴリシング・アイ・ハヴ・イズ・ユアーズ》(Everything I Have Is Yours)と《ダンシング・イン・ザ・ムーンライト》(Dancing in the Moonlight)を収めた Brunswick No. 6719 が挙げられていました。1934年2月の売場では、ブランズウィック盤が新作映画音楽とポピュラー・ヴォーカルの売れ筋として確実に動いていたことが確認できます。
ハンバーグ・ブラザーズ
ハンバーグ・ブラザーズ(Hamburg Brothers)は、1934年2月の業界誌で、コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company, Inc.)のレコード、携帯型蓄音機、部品を扱う販売網として確認できます。記事によれば、同社はピッツバーグを拠点に、アクロンとウィーリングの倉庫を使って商品を扱うことになっていました。1934年2月は、コロムビア側がレコードだけでなく携帯型機種と補修部品を含めた流通体制を広げていたことも読み取れます。
ヘインズ=グリフィン
ヘインズ=グリフィン・ラジオ・サービス(Haynes-Griffin Radio Service)は、1934年2月の『Radio Retailing』で、販促手法まで具体的に確認できる主要販売会社です。同社は十二ページの月刊案内『How to Have Fun at Home』を発行し、レコード、複合機、小型機、家庭娯楽用品を一体で売る構成を取っていました。店頭では、ダンス盤とヴォーカル盤の需要が確実にあると見ており、輸入盤を組み合わせた独自のタンゴ・アルバムや月刊フォルダーを用いて顧客を育てていました。1934年2月の録音市場では、こうした直販と継続案内の仕組みが再び有効になっていたことがわかります。
マルコーニ・ブラザーズ
マルコーニ・ブラザーズ(Marconi Brothers)は、1934年2月の『Radio Retailing』で、専門的なレコード販売店として活動を確認できます。同店は毎月独自のレコード案内を発行し、目立つウィンドー展示で需要を喚起していました。とくにエセル・ウォーターズ(Ethel Waters, 1896–1977)の《ヒート・ウェイヴ》(Heat Wave)を使った展示は、数日で百枚超を売る成果を上げたとされており、レコード店の店頭演出がまだ強い販売力を持っていたことを示しています。
リバティ・ミュージック・ショップ
リバティ・ミュージック・ショップ(Liberty Music Shop)も、1934年2月の同じ記事で、独立した重要販売店として確認できます。同店とそのマディソン街支店は、国内盤と輸入盤の人気盤を非常に多く扱う店として紹介されていました。高級住宅街の顧客層を相手にしながらも、独自の月刊レコード案内で新譜需要を掘り起こしており、1934年2月の時点で輸入盤と国内盤の両方を束ねる都市型専門店の役割が大きかったことがわかります。
G・シャーマー
G・シャーマー社(G. Schirmer, Inc.)は、1934年2月の『Radio Retailing』で、教育市場と録音市場を結ぶ販売会社として重要です。記事によれば、十五か月前にはレコードを扱っていなかった同社が、1934年2月時点では国内各社の完全カタログと多数の輸入盤を扱うまでに成長していました。さらに、カーネギー財団(Carnegie Corporation)との契約により、アメリカ合衆国とカナダの二十三大学へ、八百二十四枚のレコードと自動レコード交換式のラジオ・フォノグラフ複合機を含む音楽セットを納入することになっていました。1934年2月は、録音物が娯楽商品であるだけでなく、教育機関向けの体系的な教材商品としても流通していた月でした。
ラブ・サンズ
ラブ・サンズ(Rab Sons)は、1934年2月の『Radio Retailing』で、レコード専業店ではない販売会社が録音物を強く売っていた例として確認できます。同店はラジオ、カメラ、映写機、双眼鏡、スポーツ用品と並んでレコードを扱っていましたが、クラシック盤と人気盤の双方がよく動いていました。記事では、ヴィクター・アドヴァンス・オーディション盤(Victor Advance Audition discs)が旧客の呼び戻しに特に有効であり、高価格の複合機にはレコード・ライブラリーを付けて継続的な盤販売へつなげていたことが記されています。
コモドア・ラジオ・ショップ
コモドア・ラジオ・ショップ(Commodore Radio Shop)は、1934年2月の『Radio Retailing』で、流行盤の即応販売を示す店舗として確認できます。同店の店員は、一年ほど前まではヒット盤の到着が遅く販売機会を逃すことがあったが、1934年2月時点ではヒット曲が需要のもっとも高い時点で録音され発売されるようになったと述べています。同店は主としてホット・ジャズの客層を相手にしていましたが、同時にクラシックのアルバム物も日常的に売れており、人気盤とアルバム盤が同じ売場で回復していたことがわかります。
