1934年1月に録音された音楽
1934年1月は、政治・科学・文化・経済が同時に大きく動いた月でした。1月15日にはビハール=ネパール地震(Bihar–Nepal earthquake)が発生し、インド北部とネパールに大きな被害をもたらしました。同日、イレーヌ・ジョリオ=キュリー(Irène Joliot-Curie, 1897–1956)とフレデリック・ジョリオ=キュリー(Frédéric Joliot-Curie, 1900–1958)はフランス科学アカデミー(Académie des Sciences)に人工放射能の発見を報告しました。22日にはドミトリイ・ショスタコーヴィチ(Dmitri Shostakovich, 1906–1975)の『ムツェンスク郡のマクベス夫人』(Lady Macbeth of Mtsensk)がレニングラード小オペラ劇場(Maly State Opera Theater)で初演され、26日にはドイツ=ポーランド不可侵宣言(German-Polish Declaration of Non-Aggression)が調印されました。同日、ニューヨークのアポロ劇場(Apollo Theater)は新方針のもとで開場し、30日にはアメリカ合衆国で金準備法(Gold Reserve Act of 1934)が成立し、ドイツ国ではライヒ再建法(Law for the Reconstruction of the Reich)によって地方国家の主権がさらに中央へ吸収されました。
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1934年1月の録音に関する情報のまとめ
1934年1月のアメリカ合衆国の録音・販売市場では、レコードは単独商品ではなく、ラジオ放送、コンビネーション機、店頭カタログ、参考書籍、直販用印刷物と結び付けて売られていました。当月の『ラジオ・リテーリング』(Radio Retailing)は、ラジオ放送がレコード販売を再び押し上げていると位置付け、オペラ放送、交響楽放送、ダンス音楽放送をそのまま盤の販売へ接続する具体策を示しています。1934年1月の録音業界は、新譜を並べるだけではなく、放送に合わせて既発盤を再訴求し、コンビネーション機の購入者に最初のレコード在庫を抱き合わせ、来店の継続と追加注文を生む体制を整える月でした。
RCAヴィクター
アール・シー・エー・ヴィクター社(RCA Victor Company, Inc.)は、1934年1月に、放送と店頭販促を直接結び付ける販売戦略を強く打ち出していました。『ラジオ・リテーリング』(Radio Retailing)1934年1月号は、レオポルド・ストコフスキー(Leopold Stokowski, 1882–1977)指揮のフィラデルフィア管弦楽団(The Philadelphia Orchestra)の放送に合わせてヴィクター・レコード(Victor Records)のウィンドーを構成するよう勧め、リリー・ポンス(Lily Pons, 1898–1976)やリヒャルト・クルックス(Richard Crooks, 1900–1972)、ジョン・チャールズ・トーマス(John Charles Thomas, 1891–1960)など、放送出演者の盤をその場で聴かせる販売法を具体的に示していました。さらに同号広告では、デューク・エリントン(Duke Ellington, 1899–1974)、キャブ・キャロウェイ(Cab Calloway, 1907–1994)、ルイ・アームストロング(Louis Armstrong, 1901–1971)、ミルズ・ブルー・リボン・バンド(Mills Blue Ribbon Band)などを「ホット・バンド」として前面に出しており、高級音楽と人気ダンス盤を同時に押し出していたことがわかります。
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Radio-Retailing/30s/Radio-Retailing-1934-01.pdf
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Radio-Retailing/30s/Radio-Retailing-1934-02.pdf
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Radio-Retailing/30s/Radio-Retailing-1934-03.pdf
コロムビア
コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Co.)は、1934年1月に、コンビネーション機の販売後に必ずレコード在庫を付けるべきだという方針を明瞭に打ち出していました。同月号に掲載された同社社長ジョン・F・ディッツェル(John F. Ditzell, 生没年不明)の論説は、コンビネーション機の販売だけでは仕事の半分にすぎず、最初のレコード群を合わせて売ってこそ来店と追加購入が続くと述べています。また同号では、同社のマスターワークス盤・セレブリティ盤を担当していたジョージ・C・ジェル(George C. Jell, 生没年不明)の著書も紹介されており、コロムビア・フォノグラフ社が盤だけでなく、オペラや交響楽の理解を助ける書籍も併売材料としていたことが確認できます。1934年1月の同社は、高級盤と普及盤、さらに関連書籍を組み合わせて売る体制を整えていました。
ブランズウィック
ブランズウィック・レコード(Brunswick Records)は、1934年1月の高級音楽放送と結び付くレーベルとして確認できます。『ラジオ・リテーリング』(Radio Retailing)1934年1月号は、キャディラック・コンサート(Cadillac Concerts)に出演する録音芸術家の一覧の中に、ニコライ・ソコロフ(Nikolai Sokoloff, 1886–1965)とリチャード・ボネッリ(Richard Bonelli, 1889–1980)のブランズウィック盤を挙げていました。確認できる当月資料の範囲では、大規模な制度改編や新シリーズ創設までは読み取れませんが、少なくとも1934年1月の販売現場では、ブランズウィック・レコードが放送番組と連動して売られる高級盤の一角を占めていました。
グラモフォン・ショップ
グラモフォン・ショップ社(The Gramophone Shop, Inc.)は、1934年1月に、総合目録の供給を通じて販売現場を支える役割を果たしていました。『ラジオ・リテーリング』(Radio Retailing)1934年1月号は、同社の『世界最良録音音楽百科』(Encyclopedia of the World’s Best Recorded Music)を、アメリカ盤とヨーロッパ盤を作曲家別などの見出しで横断的に探せる目録として紹介し、新版が準備中であることも伝えています。同号はまた、完全なレコード・カタログを常に客の目に入る場所へ置き、店頭在庫がない盤でも注文を受けるべきだと勧めていました。1934年1月の販売実務では、グラモフォン・ショップ社のような目録供給会社が、在庫販売だけでなく受注販売も支えていました。
マルコーニ・ブラザーズとリバティ・ミュージック・ショップ
1934年初頭のニューヨークでは、マルコーニ・ブラザーズ(Marconi Brothers)とリバティ・ミュージック・ショップ(Liberty Music Shop)が、都市型のレコード専門小売として強い存在感を持っていました。業界誌は、リバティ・ミュージック・ショップとそのマディソン街支店が、国内盤と輸入盤の人気レコードを大量に動かす店として紹介し、両店がそれぞれ独自の月刊レコード一覧を出していたと伝えています。マルコーニ・ブラザーズは、エセル・ウォーターズ(Ethel Waters, 1896–1977)の「Heat Wave」を使った店頭陳列で数日間に百枚超を売ったとされ、1934年1月前後の人気盤販売が、放送だけでなく視覚的な店頭演出でも大きく動いていたことを示しています。
ヘインズ=グリフィン
ヘインズ=グリフィン・ラジオ・サービス(Haynes-Griffin Radio Service)は、1934年初頭に、レコードを家庭娯楽全体の中へ位置付ける販促で注目されました。同社の『家庭で楽しむ方法』(How to Have Fun at Home)は、レコード、コンビネーション機、小型受信機のほか、家庭内娯楽に関わる商品をまとめて紹介する十二頁の月刊印刷物で、洗練された読者層に向けて作られていました。同社はもともとコンビネーション機の補助商品としてヴィクター盤を置く程度でしたが、輸入盤のタンゴ集や月刊レコード一覧を使って直販色を強め、1934年初頭にはダンス盤や歌ものにも市場があると判断していました。録音物を単品で売るのではなく、生活様式そのものと結び付けて売る姿勢が明確でした。
ジー・シャーマー
ジー・シャーマー社(G. Schirmer, Inc.)は、1934年初頭に、教育需要と高級音楽需要の双方を取り込む販売会社として確認できます。業界誌によれば、同社は十五か月前にはごく小規模なレコード売場しか持っていませんでしたが、その後、すべての国内会社の総合目録と多数の輸入盤をそろえる売場へ拡大しました。さらに、アメリカ合衆国とカナダの二十三大学へ、楽譜や書籍に加えて八百二十四枚のレコードと自動レコード交換式のラジオ・フォノグラフを備えた音楽セットを納める契約を得ており、1934年1月前後の録音物が、個人鑑賞だけでなく教育機関向けの体系的需要にも支えられていたことがわかります。
ラブ・サンズ
ラブ・サンズ(Rab Sons)は、1934年初頭に、高価格コンビネーション機と継続的なレコード販売を結び付ける方法を実践していました。同店はヴィクター・アドヴァンス・オーディション盤(Victor Advance Audition discs)を新譜告知に活用し、高価格機を売る際にはディスク・ライブラリーを添えて初回購入額を引き上げていました。さらに、顧客ごとの好みに応じて電話で新譜情報を伝え、必要なら盤をすぐ回すという運用も行っていました。1934年1月前後の録音販売では、単なる陳列よりも、顧客の嗜好を記憶し続ける継続販売の仕組みが重視されていたことを示す事例です。
