1934年7月に録音された音楽
1934年6月は、法制度の再編と大衆文化の節目が重なった月です。6月6日にはアメリカ合衆国で証券取引所法(Securities Exchange Act of 1934)が成立し、アメリカ合衆国証券取引委員会(U.S. Securities and Exchange Commission)が発足しました。6月9日には短編映画『かしこいめんどり』(The Wise Little Hen)が公開され、ドナルドダック(Donald Duck)が初登場しました。6月18日にはインディアン再組織法(Indian Reorganization Act)が成立し、翌19日には通信法(Communications Act of 1934)によって連邦通信委員会(Federal Communications Commission)が設置され、同日には国立公文書館設置法(National Archives Act)も成立しました。6月28日にはフランクリン・デラノ・ルーズベルト(Franklin Delano Roosevelt, 1882–1945)が炉辺談話を行い、月末の6月30日–7月2日にはアドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler, 1889–1945)がエルンスト・レーム(Ernst Röhm, 1887–1934)らを排除した「長いナイフの夜」(Night of the Long Knives)として知られる粛清を断行しました。
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1934年7月の録音に関する情報のまとめ
1934年7月は、政治的緊張と大衆文化の拡大が同時に進んだ月でした。アメリカ合衆国では7月11日にアメリカ合衆国連邦通信委員会(Federal Communications Commission)が発足し、放送と通信を統合的に扱う新しい監督体制が動き始めました。ドイツでは7月13日、アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler, 1889–1945)が国会演説で長いナイフの夜(Night of the Long Knives)を正当化し、権力集中をいっそう明確にしました。アメリカ合衆国西海岸では7月16日にサンフランシスコ・ゼネラル・ストライキ(San Francisco General Strike)が始まり、港湾争議が都市全体の機能を揺さぶりました。7月22日にはジョン・ハーバート・ディリンジャー(John Herbert Dillinger, 1903–1934)がシカゴで射殺され、連邦捜査機関の存在感が急速に強まりました。7月25日にはオーストリアで七月クーデター(July Putsch)が起こり、エンゲルベルト・ドルフース(Engelbert Dollfuss, 1892–1934)が殺害され、クルト・フォン・シュシュニク(Kurt von Schuschnigg, 1897–1977)が後継政権を担いました。文化面では7月13日、ベーブ・ルース(George Herman Ruth, Jr., 1895–1948)がメジャーリーグ史上初の通算700本塁打に到達し、新聞とラジオが共有する英雄像をさらに強めました。
1934年7月の録音業界では、既存大手の再編と新規レーベルの立ち上がりが同時に進みました。月内に輪郭がはっきり見える動きとして大きいのは、ニューヨークでのデッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)の発足と、ブランズウィック・レコード社(Brunswick Record Corporation)とコロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Co., Inc.)を一体で扱う販売体制の形成です。1934年7月は、新会社の参入と、既存録音資産・販売網の再編が同時に表面化した転換点として位置づけられます。
デッカ
1934年7月、ニューヨークの799 Seventh Avenueを本拠とするデッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)が発足しました。役員として、E・R・ルイス(E. R. Lewis, 生没年不明)、ジャック・カップ(Jack Kapp, 1901–1949)、E・F・スティーヴンス・ジュニア(E. F. Stevens, Jr., 生没年不明)、ミルトン・ラックミル(Milton Rackmil, 生没年不明)が前面に立ち、英国側のデッカ・レコード社(Decca Record Co., Ltd.)と結びついた新レーベルとして売り出されました。業界誌では、ビング・クロスビー(Bing Crosby, 1903–1977)とガイ・ロンバード・アンド・ヒズ・ロイヤル・カナディアンズ(Guy Lombardo and His Royal Canadians)がデッカ専属として最初の録音を済ませたことが報じられており、会社設立とほぼ同時に実際の録音体制が動き始めていたことがわかります。ジャック・カップはさらに、ミルズ・ブラザーズ(The Mills Brothers)、エセル・ウォーターズ(Ethel Waters, 1896–1977)、ドーシー・ブラザーズ(The Dorsey Brothers)などを含む大型の専属陣をそろえる方針を示し、1934年夏の市場に新しい低価格大衆レーベルの軸を打ち込みました。
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Radio-Merchant/Radio-Merchant-1934-08.pdf
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Radio-Journal/30s/Radio-Journal-1934-08.pdf
ブランズウィックとコロムビア
1934年7月の録音業界では、ブランズウィック・レコード社(Brunswick Record Corporation)とコロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Co., Inc.)の再編も重要でした。業界誌では、ブランズウィック・レコード社(Brunswick Record Corporation)の側がコロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Co., Inc.)の支配権取得を受けて、両社の録音資産と販売網をまとめて扱う方針を打ち出しています。そこでは、コロムビア・マスターワークス・アルバム・シリーズ(Columbia Masterworks Album Series)、コロムビアの著名演奏家盤、三十以上の言語を扱う外国語盤系列を引き続き重視すること、さらにコロムビア側の New Process 特許による積層盤製造をブランズウィック盤にも広げることが示されました。販売面でも、ニューヨーク、シカゴ、ニューオーリンズ、ダラス、サンフランシスコ、ロサンゼルスの六拠点から即納体制を整える広告が出ており、1934年7月の時点で、録音内容だけでなく流通と製造の両面で二社を一体として動かす体制が現実のものになっていたことが読み取れます。
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Radio-Journal/30s/Radio-Journal-1934-08.pdf
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Radio-Merchant/Radio-Merchant-1934-08.pdf
