1934年10月に録音された音楽

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1934年10月に録音された音楽

1934年10月は、国際政治の緊張と大衆娯楽市場の再編が同時に進んだ月でした。9日にはユーゴスラビア王国国王アレクサンダル1世(Alexander I, 1888–1934)とフランス共和国外務大臣ルイ・バルトゥー(Louis Barthou, 1862–1934)がフランス共和国マルセイユで暗殺され、欧州外交は大きく揺れました。中国では10月に中国工農紅軍(Chinese Workers’ and Peasants’ Red Army)が江西ソビエト(Jiangxi Soviet)を離れて長征を開始し、中国政治の流れを変える転機となります。アメリカ合衆国では10日、フランクリン・デラノ・ルーズヴェルト(Franklin Delano Roosevelt, 1882–1945)がロバート・D・W・コナー(Robert D. W. Connor, 1878–1950)を初代アメリカ合衆国公文書館長官に指名し、アメリカ合衆国国立公文書館(National Archives)の体制整備が本格化しました。8日にはブルーノ・リヒャルト・ハウプトマン(Bruno Richard Hauptmann, 1899–1936)がリンドバーグ事件で殺人罪により起訴され、22日にはチャールズ・アーサー・“プリティ・ボーイ”・フロイド(Charles Arthur “Pretty Boy” Floyd, 1904–1934)がオハイオ州近郊で死亡しました。録音業界では同月、デッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)が35セント盤で本格参入し、恐慌下の価格競争のなかで新しい販売戦略を鮮明にしました。

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1934年10月の録音に関する情報のまとめ

1934年10月の録音業界は、アールシーエー・ヴィクター社(RCA Victor Company, Inc.)が既存の録音・発売体制を維持し、アメリカン・レコード社(American Record Corporation)がコロムビア系統とブランズウィック系統の流通を継続し、そこへデッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)が廉価盤で急速に割り込んだ月として整理できます。同時代批評では、クラシック、ダンス音楽、ポピュラー・ヴォーカルの各分野で10月末から11月初頭にかけて新譜が集中的に論じられており、スタジオ録音と市場投入が活発だったことがわかります。確認できる範囲では、1934年10月の会社横断的な動きは、既存大手の継続運営と、デッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)による低価格大量投入の対比がもっとも鮮明です。

アールシーエー・ヴィクター

アールシーエー・ヴィクター社(RCA Victor Company, Inc.)では、1934年10月の録音と新譜流通の双方が確認できます。ディスコグラフィ・オブ・アメリカン・ヒストリカル・レコーディングズ(Discography of American Historical Recordings)の1934年10月3日付一覧には、アールシーエー・ヴィクター社(RCA Victor Company, Inc.)の Victor, BAVE-86661 と Victor, BAVE-86662 が見えており、月初の録音活動が確認できます。また、同時代の『ザ・ニューヨーカー(The New Yorker)』のクラシック新譜評では、フリッツ・ブッシュ(Fritz Busch, 1890–1951)指揮、ブリティッシュ・ブロードキャスティング・コーポレーション管弦楽団(British Broadcasting Corporation Orchestra)によるリヒャルト・シュトラウス(Richard Strauss, 1864–1949)の《ティル・オイレンシュピーゲル》が Victor 11724-5 として扱われています。さらに、ポピュラー部門では、ジョリー・コバーン・アンド・ヒズ・オーケストラ(Jolly Coburn and his Orchestra)の Victor 24743、トム・コークリー・アンド・ヒズ・パレス・ホテル・オーケストラ(Tom Coakley and his Palace Hotel Orchestra)の Victor 24741、ポール・ホワイトマン・アンド・ヒズ・オーケストラ(Paul Whiteman and his Orchestra)の Victor 36131 などが同時代批評に現れており、1934年10月末の市場でアールシーエー・ヴィクター社(RCA Victor Company, Inc.)の新譜供給が継続していたことがわかります。

アメリカン・レコード社

アメリカン・レコード社(American Record Corporation)は、1934年のコロムビア取得後、1934年10月時点でコロムビア系統とブランズウィック系統の両方を市場に並行展開していたとみられます。アメリカ合衆国議会図書館(Library of Congress)のコロムビア文書群案内では、1934年にコロムビアがアメリカン・レコード社(American Record Corporation)へ売却されたことが明記されています。さらに、アメリカ合衆国議会図書館(Library of Congress)のジョン・D・リード文書群目録には “Brunswick Records, October 1934” が含まれており、ブランズウィック系統に当月の月次資料が存在していたことが確認できます。

同時代批評でも、アメリカン・レコード社(American Record Corporation)の配下ラベルは1934年10月末の新譜市場で存在感を示していました。『ザ・ニューヨーカー(The New Yorker)』のポピュラー新譜評では、フランク・パーカー(Frank Parker, 1907–1997)の Columbia 2944-D、アーヴィング・アーロンソン・アンド・ヒズ・コマンダーズ(Irving Aaronson and his Commanders)の Columbia 2946-D、フレディ・マーティン・アンド・ヒズ・オーケストラ(Freddy Martin and his Orchestra)の Brunswick 6892 などが取り上げられています。したがって、1934年10月のアメリカン・レコード社(American Record Corporation)は、会社単位ではコロムビア系統とブランズウィック系統を維持しつつ、ポピュラー盤の市場供給を継続していたと整理できます。

デッカ

デッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)は、1934年10月に最も目立った新規参入企業でした。『タイム(TIME)』1934年10月15日号は、ジャック・カップ(Jack Kapp, 1902–1949)がデッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)を設立し、ビング・クロスビー(Bing Crosby, 1903–1977)、ガイ・ロンバード・アンド・ヒズ・ロイヤル・カナディアンズ(Guy Lombardo and His Royal Canadians)、ミルズ・ブラザーズ(The Mills Brothers)などの盤を35セントで市場に出すと伝えています。アメリカ合衆国議会図書館(Library of Congress)の録音年表でも、1934年にアメリカ部門のデッカがジャック・カップ(Jack Kapp, 1902–1949)の指揮で立ち上がり、有力歌手を廉価盤に載せる方針を採ったことが確認できます。

録音面でも、ディスコグラフィ・オブ・アメリカン・ヒストリカル・レコーディングズ(Discography of American Historical Recordings)の1934年10月3日付一覧には Decca 38781、Decca 38782、Decca 38783 が見えており、月初からスタジオ活動が進んでいました。さらに、『ザ・ニューヨーカー(The New Yorker)』のポピュラー新譜評は、1934年10月末の時点でデッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)がほぼ200枚の盤で出発したと記し、ビング・クロスビー(Bing Crosby, 1903–1977)の Decca 245、エセル・ウォーターズ(Ethel Waters, 1896–1977)の Decca 140、ジェーン・フローマン(Jane Froman, 1907–1980)の Decca 181、ドーシー・ブラザーズ・オーケストラ(Dorsey Brothers’ Orchestra)の Decca 115 などを具体的に紹介しています。1934年10月のデッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)は、価格だけでなく、録音陣の顔ぶれでも既存大手に対抗する体制を明確にしたといえます。