1935年3月に録音された音楽
1935年3月は、国際秩序の再編と新しいメディア技術の実用化が同時に進んだ月でした。1日には国際連盟(League of Nations)管理下のザール地域(Territory of the Saar Basin)がドイツ国(German Reich)へ復帰し、ギリシャでは同日にエレフテリオス・ヴェニゼロス(Eleftherios Venizelos, 1864–1936)派による武装蜂起が始まりました。ドイツでは9日に国家社会主義ドイツ労働者党(Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei)政権が空軍の存在を公表し、16日にはアドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler, 1889–1945)政権が徴兵制を再導入して再軍備を公然化しました。19日–20日にはアメリカ合衆国ニューヨーク市ハーレムで暴動が起こり、世界恐慌下の不満と人種的不信が噴出しました。21日にはペルシア(Persia)が対外呼称をイラン(Iran)へ改め、22日にはベルリンでフェルンゼーゼンダー・パウル・ニプコウ(Fernsehsender Paul Nipkow)によるドイツテレビ放送(Deutscher Fernseh Rundfunk)の定期放送が始まりました。政治、社会、外交、放送技術の各分野で、後の時代を方向づける動きが重なった月です。
この月の確認されている録音:0曲
1935年3月の録音に関する情報のまとめ
1935年3月の同時代業界誌とレコード誌からは、アメリカ合衆国ではアールシーエー・マニュファクチャリング社(RCA Manufacturing Co., Inc.)のヴィクター・レコード(Victor Records)とブルーバード・レコード(Bluebird Records)、コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Co.)のコロムビア(Columbia)とオーケー・レコード(Okeh Records)、デッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)、ブランズウィック・レコード社(Brunswick Record Corp.)の系統が販売線を維持していたことが確認できます。イギリスでは、グラモフォン社(The Gramophone Co., Ltd.)のヒズ・マスターズ・ヴォイス(His Master’s Voice)、コロムビア・グラフォフォン社(Columbia Graphophone Co., Ltd.)、デッカ・レコード社(The Decca Record Co., Ltd.)、パーロフォン社(Parlophone Co., Ltd.)が、当月の新譜案内、録音評、再生機器広告を通じて継続的に活動していました。
RCAヴィクターとブルーバード
1935年3月号の『Radio & Electric Appliance Journal』では、アールシーエー・マニュファクチャリング社(RCA Manufacturing Co., Inc.)がヴィクター・レコード(Victor Records)とレコード再生機の販売を前面に出し、「Get These New Victor Releases」として当月の新譜訴求を行っていました。同じ号では、ブルーバード・レコード(Bluebird Records)も低価格帯の速販商品として扱われており、1935年3月の時点でヴィクターとブルーバードが並行して市場を押さえる構図が明確になっています。高価格帯の本流ブランドと廉価盤ブランドを併走させるこの構成は、当月のアメリカ市場でアールシーエー・マニュファクチャリング社(RCA Manufacturing Co., Inc.)が価格帯別の需要を意識していたことを示しています。
コロムビアとオーケー
1935年3月の業界誌では、コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Co.)の扱いの中に、コロムビア(Columbia)とオーケー・レコード(Okeh Records)が含まれていました。したがって当月のコロムビア系は、主力のコロムビアとオーケー・レコードを同一販売線で動かしながら市場を維持していたとみられます。今回確認できた資料では当月の全新譜一覧までは確定できませんが、少なくとも1935年3月の時点で両ブランドが販売上の実体を持って並立していたことは確認できます。
デッカ(アメリカ)
デッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)も、1935年3月のアメリカ市場で主要な販売線の一つとして確認できます。この時期のデッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)は、比較的新しい全国ブランドとして存在感を強めていた段階であり、業界誌上で独立した流通主体として扱われていました。今回確認できた範囲では当月の全発売一覧までは確定できませんが、販売網の維持と業界誌への露出は明確です。
ブランズウィック
ブランズウィック・レコード社(Brunswick Record Corp.)も、1935年3月の業界誌で独立した販売系列として確認できます。誌面上ではブランズウィック(Brunswick)に加え、系統ブランドのメロトーン(Melotone)も見えており、同社が当月も複数ブランドを通じて市場を維持していたことがうかがえます。コロムビア系やアールシーエー・マニュファクチャリング社(RCA Manufacturing Co., Inc.)系と並んで掲載されていることから、この時点でもなお有力な販売系列として認識されていたことがわかります。
ヒズ・マスターズ・ヴォイス
イギリスでは、『The Gramophone』1935年3月号に、グラモフォン社(The Gramophone Co., Ltd.)のヒズ・マスターズ・ヴォイス(His Master’s Voice)がモデル570のオートラジオグラムを大きく告知していました。広告は販売店での試聴とカタログ請求を促しており、同社が1935年3月の時点で再生機器販売を強く押し出していたことがわかります。誌面上では、レコードを含む家庭内娯楽の総合的な提案としてヒズ・マスターズ・ヴォイス(His Master’s Voice)が扱われており、同ブランドの活動が当月も継続していたことは明らかです。
コロムビア(イギリス)
『The Gramophone』1935年3月号には、コロムビア・グラフォフォン社(Columbia Graphophone Co., Ltd.)の「Columbia March List」が掲載され、デブロイ・サマーズ・バンド(Debroy Somers Band)と、ヘンリー・ホール(Henry Hall, 1898–1989)指揮の英国放送協会(British Broadcasting Corporation)のザ・B.B.C.ダンス・オーケストラ(The B.B.C. Dance Orchestra)のダンス盤が案内されていました。さらに同号巻頭では、デリアス協会(Delius Society)の第1アルバムとして紹介された、サー・トマス・ビーチャム(Sir Thomas Beecham, 1879–1961)のコロムビア録音にも触れています。したがって1935年3月のコロムビア・グラフォフォン社(Columbia Graphophone Co., Ltd.)は、軽音楽・ダンス盤とクラシック盤の双方で新譜展開を続けていたとみてよいです。
デッカ(イギリス)
イギリスのデッカ・レコード社(The Decca Record Co., Ltd.)は、『The Gramophone』1935年3月号でデッカ・ポータブル・ラジオグラムを訴求していました。誌面では再生機器の性能を前面に出した広告展開が見られ、レコード再生と機器販売を一体で進めていたことがわかります。加えて同号の批評欄では、デッカ・ポリドール(Decca-Polydor)名義の録音も論評対象となっており、1935年3月のデッカ系が国内商品だけでなく外来カタログも含めて市場に出していたことが確認できます。
パーロフォン
パーロフォン社(Parlophone Co., Ltd.)も、『The Gramophone』1935年3月号で当月新譜一覧の無償送付を告知し、あわせて新しいダンス・カタログの配布を進めていました。同号には「Parlophone Music of All Nations Series」に関する記事もあり、一般のダンス盤だけでなく、各国音楽シリーズを継続的に編成していたことがわかります。つまり1935年3月のパーロフォン社(Parlophone Co., Ltd.)は、ダンス・レコード、国際音楽シリーズ、カタログ配布を組み合わせて販売を進めていました。
