1935年5月に録音された音楽

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1935年5月に録音された音楽

1935年5月は、国家祝典、都市交通、司法判断、巨大土木、災害、娯楽文化が同時に目立った月でした。5月6日にはジョージ5世(George V, 1865–1936)の即位25年祝賀行事がロンドンを中心に行われ、15日にはモスクワ地下鉄が最初の路線を開業しました。24日にはメジャーリーグベースボール(Major League Baseball)史上初のナイトゲームが行われ、27日にはアラ・エル・エー・シェクター・ポウルトリー社対アメリカ合衆国事件(A. L. A. Schechter Poultry Corporation v. United States)でアメリカ合衆国最高裁判所(Supreme Court of the United States)が全国産業復興法(National Industrial Recovery Act)に基づく規制を違憲と判断しました。29日にはフーヴァー・ダム(Hoover Dam)の最後のコンクリート打設が終わり、31日には英領インドのクエッタ地震が発生しました。

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1935年5月の録音に関する情報のまとめ

1935年5月の同時代資料を見直すと、当月の録音業界では、祝典向け企画盤、流行歌とダンス音楽の継続投入、録音スタジオ設備の更新、販売現場向けの選曲支援が同時に進んでいました。特にイギリス側では、『ワイヤレス・マガジン』(Wireless Magazine)1935年5月号から、エレクトリック・アンド・ミュージカル・インダストリーズ社(Electric and Musical Industries Limited)系各レーベル、デッカ・レコード社(The Decca Record Co. Ltd.)、ブランズウィック社(Brunswick, Ltd.)系の動きが読み取れます。アメリカ側では、『ラジオ・アンド・エレクトリック・アプライアンス・ジャーナル』(Radio & Electric Appliance Journal)1935年5月号が、アールシーエー・マニュファクチュアリング社(RCA Manufacturing Company, Inc.)のヴィクター(Victor)によるベニー・グッドマン(Benny Goodman, 1909–1986)盤の販促を伝えています。

エレクトリック・アンド・ミュージカル・インダストリーズ

1935年5月号の『ワイヤレス・マガジン』(Wireless Magazine)は、エレクトリック・アンド・ミュージカル・インダストリーズ社(Electric and Musical Industries Limited)系の録音現場と販売現場の双方に当月の動きがあったことを示しています。まず、コロムビア・グラフォフォン社(Columbia Graphophone Company, Limited)とグラモフォン社(The Gramophone Company Limited)の録音スタジオには新しいコントロール・ボードが設けられ、各スタジオの音を混合して録音装置へ送れる体制が整えられていました。誌面は、これにより今後のレコードで「かなり珍しい効果」が期待できると述べています。

同じ号のレコード欄では、コロムビア(Columbia)の当月盤として、ワイヤレス・ミリタリー・バンド(Wireless Military Band)による Columbia DB1518「Silver Jubilee」、Columbia DX675、Columbia DX678、Columbia DX679–680、Columbia DX681、Columbia DB1520、ビリー・メイアール(Billy Mayerl, 1902–1959)による Columbia DB1524 が紹介されています。ヒズ・マスターズ・ヴォイス(His Master’s Voice)では、ニュー・メイフェア・オーケストラ(New Mayfair Orchestra)による His Master’s Voice C2732「Jubilee Dance Memories」、グレイシー・フィールズ(Gracie Fields, 1898–1979)による His Master’s Voice B8298、セルゲイ・クーセヴィツキー(Serge Koussevitzky, 1874–1951)指揮ロンドン・フィルハーモニック・オーケストラ(London Philharmonic Orchestra)による His Master’s Voice DB2343–5 が当月盤として扱われています。

さらに、パーロフォン(Parlophone)では Parlophone R2050、Parlophone R2052、Parlophone F129、Parlophone F134、リーガル=ゾノフォン(Regal-Zonophone)では Regal-Zonophone MR1626 と、デニス・ゴネー(Denis Gonet, 生没年不明)を載せた Regal-Zonophone MR1633 が当月の新譜欄に現れます。加えて、同誌はグラモフォン社(The Gramophone Company Limited)のヒズ・マスターズ・ヴォイス向け「キー・レコード」制度も紹介しており、ほぼ全てのヒズ・マスターズ・ヴォイス取扱店に、66枚のキー盤を収めた8冊のアルバムが配備され、一般カタログ中のおよそ800点から抜粋を聴いて識別できる仕組みが整えられていました。これは1935年5月時点で、同社が単なる新譜供給だけでなく、販売店での検索・試聴導線まで整備していたことを示します。

また、同月3日付の『ラジオ・ピクトリアル』(Radio Pictorial)では、ニュー・メイフェア・オーケストラ(New Mayfair Orchestra)による「Jubilee Dance Memories」がグラモフォン・レコード番組の曲目に入っており、当月のヒズ・マスターズ・ヴォイス盤が放送用素材としても流通していたことが確認できます。『ワイヤレス・マガジン』(Wireless Magazine)同号には、ジャック・ヒルトン(Jack Hylton, 1892–1965)がヒズ・マスターズ・ヴォイスの録音スタジオで活動している写真も載っており、録音現場の稼働も当月資料で裏づけられます。

デッカ

1935年5月号の『ワイヤレス・マガジン』(Wireless Magazine)では、デッカ・レコード社(The Decca Record Co. Ltd.)の当月盤として、アンブローズ・アンド・ヒズ・オーケストラ(Ambrose and His Orchestra)による Decca K750「Jubilee Cavalcade」、Decca M459、ボブ・クロスビー(Bob Crosby, 1913–1993)による Decca M460、エルシー・カーライル(Elsie Carlisle, 1896–1977)による Decca F5456、バグル・コール・ラガーズ(Bugle Call Raggers)による Decca F5483、エルシー・カーライル(Elsie Carlisle, 1896–1977)、サム・ブラウン(Sam Browne, 1898–1972)、アンブローズ・アンド・ヒズ・エンバシー・クラブ・オーケストラ(Ambrose and His Embassy Club Orchestra)による Decca F5486 が紹介されています。祝典向けメドレー、流行歌、ダンス盤、スキット盤までを同じ月の誌面で押し出している点は、1935年5月のデッカが商品幅をかなり広く持っていたことを示しています。

同月3日付の『ラジオ・ピクトリアル』(Radio Pictorial)にも、エルシー・カーライル(Elsie Carlisle, 1896–1977)の「I’ve Got an Invitation to a Dance」がグラモフォン・レコード番組の曲目として現れます。『ワイヤレス・マガジン』(Wireless Magazine)同号がこの曲を Decca F5456 に載せているため、当月のデッカ盤が放送番組の選曲に入り込んでいたことも確認できます。

ヴィクター

1935年5月号の『ラジオ・アンド・エレクトリック・アプライアンス・ジャーナル』(Radio & Electric Appliance Journal)は、アールシーエー・マニュファクチュアリング社(RCA Manufacturing Company, Inc.)のヴィクター(Victor)が、ベニー・グッドマン(Benny Goodman, 1909–1986)の新譜を取引先向けに売り出していたことを明記しています。誌面は、ヴィクターの新しいベニー・グッドマン盤を「fox trot rhythm に新しいしわを入れる新しい処理」と紹介し、最初の盤として “Hunkadola” と “The Dixieland Band” を挙げています。1935年5月のヴィクターは、少なくともダンス音楽市場に対して、ベニー・グッドマン盤をその月の営業材料として明確に押し出していました。

ブランズウィック

1935年5月号の『ワイヤレス・マガジン』(Wireless Magazine)では、パナコード(Panachord)盤として Panachord 25696 と Panachord 25706 が当月の推薦盤に入っています。前者は軽い歌もの、後者はダンス盤として扱われており、1935年5月の誌面上でパナコードが新譜・流通盤を継続的に市場へ出していたことがわかります。1935年7月号の同誌のラベル案内は、パナコード(Panachord)をブランズウィック社(Brunswick, Ltd.)の一部門として示しているため、1935年5月のパナコード盤はブランズウィック社(Brunswick, Ltd.)系の活動として整理できます。