1936年4月に録音された音楽

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1936年4月に録音された音楽

1936年4月は、帝国・植民地秩序の再編、戦争、社会運動、文化の動きが重なった月でした。イギリス領インド(British India)では4月1日にオリッサ州(Province of Orissa)が分離設置され、言語圏に基づく行政再編が実現しました。アメリカ合衆国(United States of America)では4月5日–6日に1936年テューペロ=ゲインズビル竜巻大発生(1936 Tupelo–Gainesville tornado outbreak)が起こり、ミシシッピ州テューペロ(Tupelo, Mississippi)とジョージア州ゲインズビル(Gainesville, Georgia)で大きな被害が出ました。第二次イタリア・エチオピア戦争(Second Italo-Ethiopian War)では、4月26日にピエトロ・バドリオ(Pietro Badoglio, 1871–1956)指揮下のイタリア軍が鉄の意志の行進(March of the Iron Will)を開始し、アディスアベバへ向かいました。パレスチナ英国委任統治領(British Mandate for Palestine)では4月中旬から抗議とゼネストが広がり、1936年–1939年アラブ反乱(1936–1939 Arab Revolt in Palestine)へ発展しました。イギリス(United Kingdom)では4月11日にビリー・バトリン(Billy Butlin, 1899–1980)のバトリンズ・スケグネス(Butlin’s Skegness)が開業しました。4月19日にはバルセロナ(Barcelona)でアルバン・ベルク(Alban Berg, 1885–1935)のヴァイオリン協奏曲(Violin Concerto)が、ルイス・クラスナー(Louis Krasner, 1903–1995)独奏、ヘルマン・シェルヘン(Hermann Scherchen, 1891–1966)指揮、パウ・カザルス管弦楽団(Orquestra Pau Casals)により初演されました。4月26日にはフランス共和国(French Republic)で1936年フランス議会選挙(1936 French legislative election)の第1回投票が行われ、フランス人民戦線(Front populaire)の政権成立へつながりました。エジプト王国(Kingdom of Egypt)では4月28日にフアード1世(Fuad I, 1868–1936)が死去し、ファールーク1世(Farouk I, 1920–1965)が王位を継承しました。

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1936年4月の録音に関する情報のまとめ

1936年4月の録音関連資料では、アメリカ合衆国(United States of America)とイギリス(United Kingdom)を中心に、大手レコード会社の録音活動と、録音サービス・録音機器の拡張が並行して確認できます。アールシーエー・マニュファクチャリング社(RCA Manufacturing Co., Inc.)のヴィクター(Victor)は、クラシック、ラテン系楽団、ブルース、ジャズ小編成を同じ月に扱い、アメリカン・レコード・コーポレーション社(American Record Corporation)もジャズ・ダンス系の録音を継続していました。コロムビア(Columbia (U.K.))はヨーロッパ系歌手の録音を行い、デッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)はアンディ・カーク・アンド・ヒズ・トゥエルヴ・クラウズ・オブ・ジョイ(Andy Kirk and His Twelve Clouds of Joy)の録音を残しました。ハワイではハワイアン・トランスクリプション・プロダクションズ(Hawaiian Transcription Productions)が録音サービスを広告し、イギリスではパーメコ社(Parmeko, Ltd.)が商業用ディスク録音装置を発売しており、録音物の制作だけでなく、地域スタジオや録音設備の拡大も見える月でした。

アールシーエー・マニュファクチャリング社のヴィクター

アールシーエー・マニュファクチャリング社(RCA Manufacturing Co., Inc.)のヴィクター(Victor)は、1936年4月1日の録音記録で複数のマスターを残しています。録音内容は、オルケスタ・アドルフォ・カラベリ(Orquesta Adolfo Carabelli)、オルケスタ・ティピカ・フランシスコ・J・ロムト(Orquesta Típica Francisco J. Lomuto)、ウェスタン・リザーブ大学(Western Reserve University)のユニヴァーシティ・シンガーズ(University Singers)、シカゴ・ファイヴ(Chicago Five)、タンパ・レッド(Tampa Red, 1904–1981)、シカゴ・リズム・キングス(Chicago Rhythm Kings)などに及びます。同日には、キルステン・フラグスタート(Kirsten Flagstad, 1895–1962)による12インチ盤用の声楽録音も行われ、アレクサンダー・スモーレンズ(Alexander Smallens, 1889–1972)指揮の管弦楽伴奏、エドウィン・マッカーサー(Edwin McArthur, 1907–1987)のピアノ伴奏による録音が記録されています。ヴィクター(Victor)は、同じ日付内でラテン・アメリカ系楽団、大学合唱、ブルース、ジャズ、オペラ系声楽を並行して扱っていました。

アメリカン・レコード・コーポレーション社

アメリカン・レコード・コーポレーション社(American Record Corporation)は、1936年4月1日にジャズ・ダンス系の録音を行っています。ヘンリー・アレン・アンド・ヒズ・オーケストラ(Henry Allen and his Orchestra)では「The Touch of Your Lips」「Lost」「Every Minute of the Hour (Every Hour of the Day)」が記録され、レッド・アレンズ・オーケストラ(Red Allen’s Orchestra)名義では「I’ll Bet You Tell That to All the Girls」が確認できます。テディ・ヒル・オーケストラ(Teddy Hill Orchestra)は「Uptown Rhapsody」と「Christopher Columbus」を録音しており、同社が1936年4月も都市部のジャズ・ダンス系市場を継続して扱っていたことが分かります。

コロムビア

コロムビア(Columbia (U.K.))は、1936年4月1日に10インチ盤用の録音を行っています。エンツォ・デ・ムーロ・ロマント(Enzo De Muro Lomanto, 1902–1952)は「A canzone ’è Napule」「Napule è surriento」「Mandulinata a mare」「L’ultima canzone」を録音し、ティノ・ロッシ(Tino Rossi, 1907–1983)は「Romance」「Où voulez-vous aller?」を残しています。1936年4月の同日付記録では、コロムビア(Columbia (U.K.))がイタリア語・フランス語圏の歌唱録音を扱っていたことが確認できます。

デッカ・レコード社

デッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)は、1936年4月2日にアンディ・カーク・アンド・ヒズ・トゥエルヴ・クラウズ・オブ・ジョイ(Andy Kirk and His Twelve Clouds of Joy)による「Until the Real Thing Comes Along」と「Walkin’ and Swingin’」を録音し、Decca 809として発売しました。4月14日にはライリー=ファーリー・アンド・ゼア・オーケストラ(Riley-Farley and their Orchestra)の録音も記録されています。これらの録音は、同社が1936年春にジャズ・ダンス系の市場を継続的に扱っていたことを示します。

チャンピオン

チャンピオン(Champion)は、デッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)が1935年8月に25セントの廉価サイドラインとして復活させたレーベルでしたが、1936年4月に生産停止となりました。チャンピオン(Champion)は、スター・ピアノ社(Starr Piano Co.)のジェネット・レコード(Gennett Records)由来の録音素材を多く再利用し、一部のライセンス済み素材は後にデッカ(Decca)で再発されました。この動きは、デッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)が廉価レーベル市場を短期間で整理した事例として位置付けられます。

ハワイアン・トランスクリプション・プロダクションズ

ハワイアン・トランスクリプション・プロダクションズ(Hawaiian Transcription Productions)は、1936年春にアドヴァタイザー・パブリッシング社(Advertiser Publishing Company, Ltd.)の部門としてホノルル(Honolulu)で発足しました。同社の録音スタジオは、ホノルル・アドヴァタイザー(The Honolulu Advertiser)を発行するアドヴァタイザー・パブリッシング社(Advertiser Publishing Company, Ltd.)のアドヴァタイザー・ビルディング(Advertiser Building)3階に置かれ、放送スタジオとは別施設として運営されました。録音スタジオは即時録音用ラッカー盤と標準的なワックス・マスターの双方に対応し、1936年4月から商業録音および個人録音サービスを広告しました。

パーメコ社

パーメコ社(Parmeko, Ltd.)は、イギリスのレスター(Leicester)で録音関連機器を扱った企業で、1936年4月にディスク録音装置一式を発売しました。この装置はワイヤレス・ワールド(Wireless World)で取り上げられ、最上位構成ではクリスタル・マイクロフォンと前置増幅器を含めて173ポンドに達する機材でした。家庭用録音機器というより、地方録音スタジオ、映画スタジオ、商業用途に近い装置であり、1930年代半ばにレコード会社以外の録音拠点が拡大していく流れを示しています。