1937年2月に録音された音楽

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1937年2月に録音された音楽

1937年2月は、政治体制の再編、労働運動、戦争、航空事故が重なった月です。日本では2月2日に林銑十郎(1876–1943)の内閣が成立しました。アメリカ合衆国では2月5日にフランクリン・デラノ・ルーズベルト(Franklin Delano Roosevelt, 1882–1945)が司法手続改革法案(Judicial Procedures Reform Bill of 1937)を示し、アメリカ合衆国連邦最高裁判所(Supreme Court of the United States)をめぐる政治対立が強まりました。2月11日にはゼネラル・モーターズ・コーポレーション(General Motors Corporation)と全米自動車労働組合(United Automobile Workers of America)のフリント座り込みストライキ(Flint sit-down strike)が妥結しました。2月9日にはユナイテッド・エア・ラインズ・トランスポート・コーポレーション(United Air Lines Transport Corporation)のダグラス・ディーシー三エー型(Douglas DC-3A)がサンフランシスコ湾で墜落しました。スペイン内戦(Spanish Civil War)ではハラマの戦い(Battle of Jarama)とマラガ–アルメリア間の民間人の逃避・迫害・虐殺(Éxodo, persecución y masacre de la población civil entre Málaga y Almería en febrero de 1937)が発生しました。エチオピアではイェカティット十二(Yekatit 12)として記憶されるアディスアベバ虐殺(Addis Ababa massacre)が起こりました。

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1937年2月の録音に関する情報のまとめ

1937年2月の録音関連情報では、既存大手によるスウィング、ポピュラー音楽、ジャズ録音、新興レーベルの発売開始、独立系録音事業の準備、地域録音会社の商業レコード化が並行して進みました。アールシーエー・マニュファクチャリング社(RCA Manufacturing Co., Inc.)のヴィクター(Victor)、デッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)、アメリカン・レコード社(American Record Corporation)系のブランズウィック・レコード社(Brunswick Record Corporation)とヴォカリオン(Vocalion)、ミュージックラフト・レコード社(Musicraft Records, Inc.)、マスター・レコード社(Master Records, Inc.)とヴァラエティ・レコード(Variety Records)、ハワイアン・トランスクリプション・プロダクションズ(Hawaiian Transcription Productions)の動きが確認できます。

アールシーエー・マニュファクチャリング/ヴィクター

アールシーエー・マニュファクチャリング社(RCA Manufacturing Co., Inc.)のヴィクター(Victor)では、1937年2月3日にベニー・グッドマン・カルテット(Benny Goodman Quartet)がニューヨークで録音を行いました。このセッションでは「Ida, Sweet As Apple Cider」「Tea For Two」「Runnin’ Wild」が録音され、「Tea For Two」と「Runnin’ Wild」はVictor 25529、「Ida, Sweet As Apple Cider」はVictor 25531として発売されました。ベニー・グッドマン・カルテット(Benny Goodman Quartet)は、ベニー・グッドマン(Benny Goodman, 1909–1986)、テディ・ウィルソン(Teddy Wilson, 1912–1986)、ライオネル・ハンプトン(Lionel Hampton, 1908–2002)、ジーン・クルーパ(Gene Krupa, 1909–1973)による小編成録音として、1937年時点のスウィング録音を代表する動きの一つです。

デッカ・レコード

デッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)では、1937年2月に複数のジャズ・ポピュラー系録音が確認できます。1937年2月16日には、グレン・グレイ・アンド・ザ・カサ・ロマ・オーケストラ(Glen Gray and the Casa Loma Orchestra)がニューヨークで「Too Marvelous for Words」「Zig-Zag」「Sentimental and Melancholy」「Drifting Apart」を録音し、「Too Marvelous for Words」と「Sentimental and Melancholy」はDecca 1158として発売されました。1937年2月26日には、アート・テイタム・アンド・ヒズ・スウィングスターズ(Art Tatum and His Swingsters)がロサンゼルスで「Body And Soul」「With Plenty Of Money And You」「What Will I Tell My Heart?」「I’ve Got My Love To Keep Me Warm」を録音し、Decca 1197、Decca 1198などに結び付く録音となりました。

ブランズウィック・レコード/ヴォカリオン

ブランズウィック・レコード社(Brunswick Record Corporation)は、アメリカン・レコード社(American Record Corporation)系の主要レーベルとして、1937年2月にもスウィング録音を展開していました。1937年2月17日には、バニー・ベリガン・アンド・ヒズ・オーケストラ(Bunny Berigan and His Orchestra)がニューヨークで「I’m Gonna Kiss Myself Goodbye」「Big Boy Blue」「Dixieland Shuffle」「Let’s Do It」を録音しました。これらはBrunswick 7847、Brunswick 7858、Vocalion 547、Vocalion S-75などに結び付く録音で、同一企業系列内で複数レーベルを使い分けるアメリカン・レコード社(American Record Corporation)の流通構造を示しています。

ミュージックラフト・レコード

ミュージックラフト・レコード社(Musicraft Records, Inc.)は、1936年末に創業し、1937年2月に初期発売を広告しました。同社はジェファーソン・トラヴィス・ラジオ・コーポレーション(Jefferson Travis Radio Corporation)の系列として出発し、ミルトン・L・ライン(Milton L. Rein, 生没年不明)とヘンリー・コーエン(Henry Cohen, 生没年不明)が中心となりました。1937年2月の初期発売では、ラルフ・カークパトリック(Ralph Kirkpatrick, 1911–1984)によるヨハン・ゼバスティアン・バッハ(Johann Sebastian Bach, 1685–1750)の「イタリア協奏曲(Italian Concerto)」、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart, 1756–1791)の「弦楽四重奏曲第22番変ロ長調 K.589(String Quartet No. 22 in B-flat major, K.589)」などが示され、同社は大手レーベルが十分に扱っていなかったクラシック音楽の高品質・高価格帯録音を主軸にしました。

マスター・レコード/ヴァラエティ・レコード

マスター・レコード社(Master Records, Inc.)とヴァラエティ・レコード(Variety Records)は、アーヴィング・ミルズ(Irving Mills, 1894–1985)が関与した新しい録音事業として1937年2月に動きを見せました。1937年2月11日には、ニューヨークでラッキー・ミリンダー(Lucky Millinder, 1910–1966)とミルズ・ブルー・リズム・バンド(Mills Blue Rhythm Band)が「Blue Rhythm Fantasy」「Prelude To A Stomp」「Rhythm Jam」「Jungle Madness」を録音しました。1937年2月27日付のビルボード(The Billboard)では、マスター・レコード社(Master Records, Inc.)とヴァラエティ・レコード(Variety Records)を用いるアーヴィング・ミルズ(Irving Mills, 1894–1985)の録音事業が、200点規模のカタログと1937年4月1日の発売開始予定を掲げて報じられました。

ハワイアン・トランスクリプション・プロダクションズ

ハワイアン・トランスクリプション・プロダクションズ(Hawaiian Transcription Productions)は、ホノルルのアドヴァタイザー・パブリッシング社(Advertiser Publishing Company, Ltd.)の一部門として1936年春に設立され、1937年2月に初期の商業レコードを発売しました。初期発売は、エドワード八世(Edward VIII, 1894–1972)の退位放送を盤化したものと、ジプシー・スミス(Gipsy Smith, 1860–1947)のハワイでの説教録音でした。これらはハワイで制作された消費者向け商業レコードの初期例であり、プレスはロサンゼルスのアライド・レコード・マニュファクチャリング(Allied Record Manufacturing)が担当しました。