1937年6月に録音された音楽

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1937年6月に録音された音楽

1937年6月は、航空、政治、戦争、自然災害、舞台芸術、消費文化が大きく動いた月でした。アメリア・イアハート(Amelia Earhart, 1897–1937年消息不明)とフレッド・ヌーナン(Fred Noonan, 1893–1937年消息不明)は、1日にマイアミから世界一周飛行へ出発しました。2日にはアルバン・ベルク(Alban Berg, 1885–1935)の歌劇『ルル(Lulu)』第1幕・第2幕がチューリヒ歌劇場(Opera House, Zurich)で初演され、8日にはカール・オルフ(Carl Orff, 1895–1982)の『カルミナ・ブラーナ(Carmina Burana)』がフランクフルト歌劇場(Opernhaus Frankfurt)で初演されました。3日、ウィンザー公爵エドワード(Edward, Duke of Windsor, 1894–1972)とウォリス・ウォーフィールド・シンプソン(Wallis Warfield Simpson, 1896–1986)がフランス共和国(French Republic)のシャトー・ド・カンデ(Château de Candé)で結婚しました。4日にはシルヴァン・ゴールドマン(Sylvan Goldman, 1898–1984)がオクラホマシティのハンプティ・ダンプティ・スーパーマーケット・チェーン(Humpty Dumpty supermarket chain)で買い物カートを導入しました。5月29日–6月2日にはラバウル(Rabaul)で大規模噴火が発生し、火砕流、降灰、津波により約500人が死亡しました。ソビエト社会主義共和国連邦(Union of Soviet Socialist Republics)では、ミハイル・ニコラエヴィチ・トゥハチェフスキー(Mikhail Nikolayevich Tukhachevsky, 1893–1937)ら労農赤軍(Workers’ and Peasants’ Red Army)幹部への粛清が進みました。20日にはヴァレリー・パヴロヴィチ・チカロフ(Valery Pavlovich Chkalov, 1904–1938)らが北極横断無着陸飛行を達成し、ワシントン州バンクーバーのピアソン飛行場(Pearson Field)に着陸しました。19日にはスペイン内戦(Spanish Civil War)でビルバオ(Bilbao)がナショナリスト軍(Nationalist forces)に占領され、フランス共和国(French Republic)ではレオン・ブルム(Léon Blum, 1872–1950)内閣が財政危機を背景に退陣しました。

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1937年6月の録音に関する情報のまとめ

1937年6月の録音関連資料では、アールシーエー・マニュファクチャリング社(RCA Manufacturing Company, Inc.)のヴィクター・レコード(Victor Records)およびブルーバード・レコード(Bluebird Records)、デッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)、アメリカン・レコード・コーポレーション(American Record Corporation)系のブランズウィック・レコード(Brunswick Records)およびヴォカリオン(Vocalion)、マスター・レコード社(Master Records, Inc.)のマスター・レコード(Master Records)およびヴァラエティ・レコード(Variety Records)に、当月の具体的な録音・販売・制作活動が見られます。大手3社の商業録音に加え、独立系クラシック・レーベルとしてガマット・レコード(Gamut Records)が始動したことも、1937年6月の録音産業を示す動きです。

アールシーエー・マニュファクチャリング社

アールシーエー・マニュファクチャリング社(RCA Manufacturing Company, Inc.)系では、ヴィクター・レコード(Victor Records)とブルーバード・レコード(Bluebird Records)で、スウィング、ポピュラー、ジャズ系録音が継続しました。3日には、シェップ・フィールズ(Shep Fields, 1910–1981)率いるシェップ・フィールズ・アンド・ヒズ・リップリング・リズム・オーケストラ(Shep Fields and His Rippling Rhythm Orchestra)がニューヨークで「ザ・メリー・ゴー・ラウンド・ブローク・ダウン(The Merry-Go-Round Broke Down)」を録音しました。この録音はブルーバード・レコード(Bluebird Records)から発売され、1937年のポピュラー録音として広く流通しました。11日には、ファッツ・ウォーラー(Fats Waller, 1904–1943)率いるファッツ・ウォーラー・アンド・ヒズ・リズム(Fats Waller and His Rhythm)がニューヨークで「スマーティ(Smarty)」などをヴィクター・レコード(Victor Records)向けに録音しました。

デッカ・レコード社

デッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)では、1937年6月にビッグバンド・スウィングとカントリー系録音の双方が確認できます。15日には、ジミー・ランスフォード(Jimmie Lunceford, 1902–1947)率いるジミー・ランスフォード・アンド・ヒズ・オーケストラ(Jimmie Lunceford and His Orchestra)がニューヨークのデッカ・スタジオ(Decca Studios)で「フォー・ダンサーズ・オンリー(For Dancers Only)」を録音しました。この曲はサイ・オリヴァー(Sy Oliver, 1910–1988)の作曲・編曲による代表的なスウィング録音として位置づけられます。17日–18日には、カーター・ファミリー(The Carter Family)がニューヨークでデッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)向けの一連の録音を行い、「ラヴァーズ・レーン(Lover’s Lane)」「イン・ザ・シャドウ・オブ・クリンチ・マウンテン(In the Shadow of Clinch Mountain)」「ハニー・イン・ザ・ロック(Honey in the Rock)」「ダーク・ヘアード・トゥルー・ラヴァー(Dark Haired True Lover)」などが同社のカントリー系カタログに加わりました。

アメリカン・レコード・コーポレーション

アメリカン・レコード・コーポレーション(American Record Corporation)系では、ブランズウィック・レコード(Brunswick Records)、ヴォカリオン(Vocalion)、オーケー・レコード(OKeh Records)などを通じて、ジャズとブルースの重要録音が残されました。1日には、テディ・ウィルソン(Teddy Wilson, 1912–1986)率いるテディ・ウィルソン・アンド・ヒズ・オーケストラ(Teddy Wilson and His Orchestra)がニューヨークで録音を行い、ビリー・ホリデイ(Billie Holiday, 1915–1959)の歌唱による「フーリン・マイセルフ(Foolin’ Myself)」「イージー・リヴィング(Easy Living)」などがブランズウィック・レコード(Brunswick Records)系の録音として残りました。19日–20日には、ロバート・ジョンソン(Robert Johnson, 1911–1938)がテキサス州ダラスのブランズウィック・レコード・ビルディング(Brunswick Records Building)で、ドン・ロー(Don Law, 1902–1982)の監督下に録音を行いました。このダラス録音には「フロム・フォー・アンティル・レイト(From Four Until Late)」「ヘルハウンド・オン・マイ・トレイル(Hell Hound on My Trail)」「ラヴ・イン・ヴェイン・ブルース(Love in Vain Blues)」などが含まれ、1930年代ブルース録音の中でも特に重要な一群になりました。

ヴォカリオン

ヴォカリオン(Vocalion)では、アメリカン・レコード・コーポレーション(American Record Corporation)系のブルース録音が1937年6月も継続しました。シカゴでは、マーライン・ジョンソン(Merline Johnson, 生没年不明)の録音が9日と22日に行われ、リル・ジョンソン(Lil Johnson, 生没年不明)の録音も10日と29日に行われました。これらの録音は、ヴォカリオン(Vocalion)が1930年代後半に都市ブルース、ヴォードヴィル系ブルース、女性ブルース歌手の録音を継続していたことを示しています。同じアメリカン・レコード・コーポレーション(American Record Corporation)系では、ロバート・ジョンソン(Robert Johnson, 1911–1938)の1937年6月ダラス録音も、後年のブルース史に大きな影響を与える録音群となりました。

マスター・レコード社

マスター・レコード社(Master Records, Inc.)は、アーヴィング・ミルズ(Irving Mills, 1894–1985)が主導した新興録音会社で、1937年にマスター・レコード(Master Records)とヴァラエティ・レコード(Variety Records)を展開しました。1937年6月23日、アーヴィング・ミルズ(Irving Mills, 1894–1985)はクイーン・メアリー号(RMS Queen Mary)でイングランドへ向かい、マスター・レコード(Master Records)とヴァラエティ・レコード(Variety Records)の国外販売網拡大を図りました。6月下旬には、パラマウント・ピクチャーズ社(Paramount Pictures, Inc.)の撮影班がマスター・レコード社(Master Records, Inc.)の録音スタジオに入り、デューク・エリントン(Duke Ellington, 1899–1974)率いるデューク・エリントン・アンド・ヒズ・オーケストラ(Duke Ellington and His Orchestra)を題材にした短編映画『レコード・メイキング・ウィズ・デューク・エリントン・アンド・ヒズ・オーケストラ(Record Making with Duke Ellington and His Orchestra)』の制作を進めました。

ヴァラエティ・レコード

ヴァラエティ・レコード(Variety Records)は、マスター・レコード社(Master Records, Inc.)が1937年に展開した低価格帯レーベルで、マスター・レコード(Master Records)より安価な価格設定でスウィング、ダンス音楽、ジャズ系録音を発売しました。1937年4月1日に発売が始まった同レーベルは、6月時点でもアーヴィング・ミルズ(Irving Mills, 1894–1985)の録音事業の一部として継続していました。ヴァラエティ・レコード(Variety Records)は短命でしたが、キャブ・キャロウェイ(Cab Calloway, 1907–1994)、レイモンド・スコット(Raymond Scott, 1908–1994)、チック・ウェッブ(Chick Webb, 1905–1939)関連の録音を含む1937年の独立系スウィング録音市場を支えました。

ガマット・レコード

ガマット・レコード(Gamut Records)は、1937年6月にダニエル・ウォルファート(Daniel Wolfert, 生没年不明)によってニューヨークで始められた独立系クラシック・レーベルです。ダニエル・ウォルファート(Daniel Wolfert, 生没年不明)はブルックリン・カレッジ(Brooklyn College)の音楽鑑賞講師で、ガマット・レコード(Gamut Records)は大手レーベルが扱いにくい古典作品、近現代作品、知名度の低い作曲家の作品を録音・発売する方針を掲げました。同レーベルの初期制作にはリーヴス・サウンド・スタジオ(Reeves Sound Studios)が関わり、1930年代後半のアメリカ合衆国(United States of America)における小規模クラシック録音事業の一例となりました。