1937年10月に録音された音楽

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1937年10月に録音された音楽

1937年10月は、戦争・外交・社会不安が世界各地で重なった月です。10月2日–8日、ドミニカ共和国(Dominican Republic)ではラファエル・レオニダス・トルヒーヨ・モリーナ(Rafael Leónidas Trujillo Molina, 1891–1961)の支配下で、ハイチ系住民を対象とするパセリ虐殺(Parsley Massacre)が起きました。10月5日、アメリカ合衆国大統領(President of the United States)のフランクリン・デラノ・ルーズベルト(Franklin Delano Roosevelt, 1882–1945)はシカゴ(Chicago)で演説し、侵略国を国際的に「隔離」する必要を訴えました。10月6日、国際連盟総会(Assembly of the League of Nations)は日中戦争(Second Sino-Japanese War)をめぐる報告を採択し、大日本帝国(Empire of Japan)の行動を条約義務に反すると位置づけました。スペイン内戦(Spanish Civil War)では10月21日にヒホン(Gijón)が反乱軍側に制圧され、スペイン第二共和国(Second Spanish Republic)は北部の重要拠点を失いました。ソビエト社会主義共和国連邦(Union of Soviet Socialist Republics)では10月27日から11月4日にかけて、サンダルモフ(Sandarmokh)でソロヴェツキー特別監獄(Solovki Special Prison)関係の囚人が多数処刑されました。グレートブリテン及び北アイルランド連合王国(United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)のクロイドン(Croydon)では腸チフス流行が表面化し、水道汚染をめぐる公衆衛生問題となりました。10月23日のオーストラリア連邦選挙(Australian federal election)では、ジョゼフ・アロイシアス・ライオンズ(Joseph Aloysius Lyons, 1879–1939)政権が続投しました。アメリカ合衆国(United States of America)では1937年–1938年の景気後退(Recession of 1937–1938)が進み、工業生産と雇用の悪化が深刻化しました。

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1937年10月の録音に関する情報のまとめ

1937年10月の録音関連資料では、商業録音の新譜そのものに加えて、ラジオ販売店がレコード部門を設ける動き、レコード会社による販売店向け助言、レコード再生機器と録音機器の販売促進、録音用ブランク・ディスクの価格改定が同時に確認できます。『ラジオ・トゥデイ(Radio Today)』1937年10月号と『ラジオ・リテーリング(Radio Retailing)』1937年10月号では、ラジオ受信機販売とレコード販売、家庭用録音、店頭実演が結びついており、レコード会社だけでなく、録音機器会社、ブランク・ディスク会社、レコード販売店の活動も当月の録音文化を支える要素として現れています。

アールシーエー・ヴィクター

1937年10月号の『ラジオ・トゥデイ(Radio Today)』では、アールシーエー・ヴィクター(RCA Victor)が、ラジオ販売店のレコード部門開設に向けて、ヴィクター・レコード・カタログ(Victor record catalogue)への理解、クラシック録音とポピュラー録音の双方を扱う在庫構成、試聴室の設置、レコード購入客による継続的な来店効果を説明していました。同じ号では、トミー・ドーシー・アンド・ヒズ・オーケストラ(Tommy Dorsey and His Orchestra)、ベニー・グッドマン・アンド・ヒズ・オーケストラ(Benny Goodman and His Orchestra)、ジャン・サブロン(Jean Sablon, 1906–1994)のヴィクター(Victor)盤や、ブルーバード(Bluebird)7196が注目盤として挙げられています。アールシーエー・マニュファクチャリング社(RCA Manufacturing Co., Inc.)は同月、アールシーエー・ヴィクター・オーバーシーズ・ダイヤル(RCA Victor Overseas Dial)を前面に出し、813Kと816Kを重点販売機種として広告展開していました。『ラジオ・リテーリング(Radio Retailing)』1937年10月号では、同社が人気ダンス・バンド録音を宣伝する大型紙製レコードを月例販促物として出したことも確認できます。

デッカ・レコード

『ラジオ・トゥデイ(Radio Today)』1937年10月号は、デッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)のニューヨーク本部が、レコード売場の開設について販売店向けに助言していたことを掲載しています。同社は、適切な陳列が専門的な音楽知識の不足を補うこと、100ドル未満から始められる場合があること、ダンス愛好家・学生・収集家が主要な購買層であること、最初はポピュラー盤中心で始める方法があることを説明していました。同じ欄では、フランシス・ラングフォード(Frances Langford, 1913–2005)のデッカ(Decca)1441、テッド・フィオ・リト・アンド・ヒズ・オーケストラ(Ted Fio Rito and His Orchestra)のデッカ(Decca)1450、リヒャルト・タウバー(Richard Tauber, 1891–1948)のデッカ・パーソナリティ・シリーズ(Decca Personality Series)23044が注目盤として紹介されています。アメリカ歴史的録音ディスコグラフィー(Discography of American Historical Recordings)では、エドガー・ヘイズ(Edgar Hayes, 1904–1979)の楽団による1937年10月11日のニューヨーク録音《クイーン・イザベラ(Queen Isabella)》と《オールド・キング・コール(Old King Cole)》がデッカ(Decca)1527として確認できます。

ブランズウィック・レコード・コーポレーション

『ラジオ・トゥデイ(Radio Today)』1937年10月号では、ブランズウィック・レコード・コーポレーション(Brunswick Record Corporation)が、レコード部門開設に必要な投資を立地条件により1,000ドル以上と見積もり、ポピュラー録音とクラシック録音の両方を扱うこと、試聴室を設けること、最小目安として2,000枚の在庫を持つことを推奨していました。同欄では、ラス・モーガン・アンド・ヒズ・オーケストラ(Russ Morgan and His Orchestra)のブランズウィック(Brunswick)7968と、ユナイテッド・ステーツ・ミリタリー・アカデミー・バンド(United States Military Academy Band)のブランズウィック(Brunswick)4007が注目盤として挙げられています。ブランズウィック・レコード・コーポレーション(Brunswick Record Corporation)は、この時点でレコード販売をラジオ店の来店頻度を高める商品として位置づけていました。

マスター・レコード/ヴァラエティ

マスター・レコード社(Master Records, Inc.)とヴァラエティ・レコード(Variety Records)は、1937年10月に事業上の転機を迎えました。ジム・プロハスカ(Jim Prohaska, 生没年不明)による専門記事では、アーヴィング・ミルズ(Irving Mills, 1894–1985)とアメリカン・レコード・コーポレーション(American Record Corporation)側の合意により、1937年10月22日までにマスター・レコード(Master Records)とヴァラエティ・レコード(Variety Records)を市場から撤退させる方針が固まり、1937年11月1日に正式移行することになったと整理されています。同記事では、ヴァラエティ・レコード(Variety Records)の一部録音が1937年10月25日からヴォカリオン(Vocalion)35セント盤で再発売され、マスター・レコード(Master Records)の一部素材が同年11月からブランズウィック(Brunswick)75セント盤へ移されたことも示されています。これにより、マスター・レコード社(Master Records, Inc.)の録音制作機能は残りつつ、店頭レーベルとしてのマスター・レコード(Master Records)とヴァラエティ・レコード(Variety Records)は短期間で再編されました。

プレスト・レコーディング・コーポレーション

『ラジオ・トゥデイ(Radio Today)』1937年10月号は、プレスト・レコーディング・コーポレーション(Presto Recording Corporation)のR・C・パウエル(R. C. Powell, 生没年不明)が、長距離電話で送られる音声を高速で録音し、受信後に通常の音声速度へ戻して再生する方式を開発していたことを報じています。同記事では、通常の音声メッセージを1分300語から750–1,000語へ高速化して送る構想が示され、遠隔地の新聞社へ長文ニュース原稿を送る用途が想定されていました。同号には、プレスト・レコーディング・コーポレーション(Presto Recording Corporation)の家庭用録音装置も掲載され、フォノグラフ・ラジオに取り付けてラジオ番組やマイク入力を録音できる装置として紹介されています。『ラジオ・リテーリング(Radio Retailing)』1937年10月号でも、同社は録音機とディスクを扱う広告主として確認できます。

ミラー・レコード・コーポレーション

『ラジオ・リテーリング(Radio Retailing)』1937年10月号は、ミラー・レコード・コーポレーション(Mirror Record Corporation)が録音用ブランク・ディスクの新価格表を発表し、新価格を掲載したカタログを出したと報じています。これは市販レコードの新譜ではなく、録音用素材・録音用品側の動きですが、当月の録音環境を支えるブランク・ディスク市場の動きとして確認できます。同じ号の製造業者一覧にも、同社はニューヨークの企業として掲載されています。

ゼネラル・インダストリーズ

『ラジオ・リテーリング(Radio Retailing)』1937年10月号では、ゼネラル・インダストリーズ社(General Industries Co.)のレコード・チェンジャー・ユニット広告が確認できます。同広告は、ラジオ・フォノグラフ複合機の需要が強まっていることを背景に、同社のレコード・チェンジャー・ユニットを使うことで自動再生機能付きのラジオ・フォノグラフを低価格帯へ広げられると訴えていました。商業録音そのものではありませんが、家庭でのレコード再生環境を拡大する機器会社の動きとして、1937年10月のレコード市場と結びついています。

テイラー・エレクトリック

『ラジオ・リテーリング(Radio Retailing)』1937年10月号には、ミルウォーキー(Milwaukee)のテイラー・エレクトリック(Taylor Electric)でレコード販売を担当していたアデル・ホルツ(Adele Holtz, 生没年不明)の販売促進事例が掲載されています。アデル・ホルツ(Adele Holtz, 生没年不明)は、月例のレコード・クラブ、家庭への試聴用レコード貸出、あまり知られていない録音を「隠れた宝」として売り出す広告、ラジオ・フォノグラフ複合機の来店客への実演、ヒット・パレード順位とレコード番号を記した週刊案内状などを活用していました。同記事は、ラジオの急伸で一時低迷したレコード販売が、1937年時点で再び利益を生む部門として扱われていたことを示しています。

ワーリッツァー

『ラジオ・リテーリング(Radio Retailing)』1937年10月号は、ニューヨークのワーリッツァー(Wurlitzer)が、広い店頭スペースを使ってエマーソン(Emerson)製品のほぼ全ラインを見せるだけでなく、フォノグラフ・レコードと録音もあわせて打ち出し、すでに良好だった来店客数をさらに増やした事例を紹介しています。本文中の該当記事ではワーリッツァー(Wurlitzer)の正式社名は確認できませんが、同月の小売展示において、レコード再生と録音を店頭訴求の中心要素として使っていた販売店活動として確認できます。