1938年12月に録音された音楽

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1938年12月に録音された音楽

1938年12月は、欧州の戦争危機と難民救済、科学技術の転換点が重なった月です。12月2日、キンダートランスポート(Kindertransport)の最初の輸送で、迫害を逃れた約200人のユダヤ人児童が英国ハリッジに到着しました。12月6日にはパリでフランス・ドイツ宣言(Franco-German Declaration)が署名され、ジョルジュ・ボネ(Georges Bonnet, 1889–1973)とヨアヒム・フォン・リッベントロップ(Joachim von Ribbentrop, 1893–1946)が両国関係の確認を行いました。12月10日の1938年ノーベル賞授賞式(Nobel Prize Award Ceremony 1938)では、パール・バック(Pearl S. Buck, 1892–1973)やエンリコ・フェルミ(Enrico Fermi, 1901–1954)らが顕彰されました。科学分野では、オットー・ハーン(Otto Hahn, 1879–1968)とフリッツ・シュトラスマン(Fritz Strassmann, 1902–1980)のウラン実験が、リーゼ・マイトナー(Lise Meitner, 1878–1968)とオットー・ロベルト・フリッシュ(Otto Robert Frisch, 1904–1979)による核分裂理解へつながりました。中国では汪兆銘(Wang Jingwei, 1883–1944)が12月19日に重慶を離れて河内へ入り、日中戦争(Second Sino-Japanese War)の政治情勢に新たな動きが生じました。スペイン内戦(Spanish Civil War)ではカタルーニャ方面の攻勢が始まり、12月24日には第八回米州国際会議(Eighth International Conference of American States)でリマ宣言(Declaration of Lima)が承認されました。

この月の確認されている録音:0曲

1938年12月の録音に関する情報のまとめ

1938年12月の同時代資料では、アメリカ合衆国のレコード販売が回復期にあったことが示されています。『Radio Today』1938年12月号は、1938年の蓄音機レコード販売を約35,000,000枚、1937年の約30,000,000枚から約16%増と見込み、ラジオ受信機と蓄音機を組み合わせた機器や小型ポータブル蓄音機の普及を背景として挙げています。同月の音楽誌『Tempo』では、旧録音の再発、35セント盤市場、スイング系新譜・再発盤、専門店での私的録音サービスが並んでおり、録音産業がレコード発売だけでなく、ラジオ、販売店、教育用録音、個人録音を含む広い音声流通のなかで展開していたことが確認できます。

アールシーエー

『Radio Today』1938年12月号では、ラジオ・コーポレーション・オブ・アメリカ(Radio Corporation of America)が、ナショナル・ブロードキャスティング・カンパニー(National Broadcasting Company)の放送活動と、アールシーエー・マニュファクチャリング社(RCA Manufacturing Co., Inc.)のラジオ・蓄音機製品を結びつけて宣伝しています。同号では、ヴィクター・レコード(Victor Records)、ブルーバード・レコード(Bluebird Records)、ヴィクトローラ(Victrola)、ヴィクトローラ用アタッチメント(Victrola Attachments)が、家庭で音楽を反復して聴く手段として位置づけられています。

同号の製品欄には、アールシーエー・マニュファクチャリング社(RCA Manufacturing Co., Inc.)のラジオ蓄音機モデルU-115(Model U-115)も掲載され、低価格帯の複合機が年末商戦の録音再生機器として提示されていました。『Tempo』1938年12月号でも、ヴィクター・レコード(Victor Records)とブルーバード・レコード(Bluebird Records)がスイング市場で取り上げられており、同系レーベルが放送と家庭用再生機器の双方を背景に販売されていたことが確認できます。

デッカ・レコード

『Tempo』1938年12月号では、デッカ・レコード・インコーポレーテッド(Decca Records, Inc.)の盤が、スイング、ブルース、ジャズ再発、ポピュラー歌手の商業盤を含む幅広いカタログとして紹介されています。同誌の扱いからは、デッカ・レコード・インコーポレーテッド(Decca Records, Inc.)が1938年末に、旧録音の再評価と新しいスイング需要の両方を取り込む形で販売展開していたことが確認できます。

ロサンゼルス発の音楽出版欄では、ビング・クロスビー(Bing Crosby, 1903–1977)によるデッカ・レコード・インコーポレーテッド(Decca Records, Inc.)盤の商業的成功も取り上げられています。これにより、同社の1938年12月の動きは、ジャズ専門層だけでなく、一般のポピュラー音楽市場にも広がっていたことが分かります。

アメリカン・レコード・コーポレーション

『Tempo』1938年12月号は、アメリカン・レコード・コーポレーション(American Record Corporation)のコロンビア・ブロードキャスティング・システム社(Columbia Broadcasting System, Inc.)への売却が、同号執筆時点で実質的に完了に近い段階にあったと報じています。同記事は、対象となるレコード事業としてブランズウィック・レコード(Brunswick Records)、コロムビア・レコード(Columbia Records)、ヴォカリオン・レコード(Vocalion Records)を挙げ、放送事業と録音事業の結びつきが強まっていたことを示しています。

同月号では、ヴォカリオン・レコード(Vocalion Records)とブランズウィック・レコード(Brunswick Records)のジャズ、スイング、ヴォーカル盤が重点的に紹介されています。1938年12月時点のアメリカン・レコード・コーポレーション(American Record Corporation)は、企業再編の進行と、複数レーベルを通じた低価格・大衆市場向け録音の展開が重なっていました。

ヴォカリオン・レコード

『Tempo』1938年12月号では、ヴォカリオン・レコード(Vocalion Records)がジャズとスイングの重要レーベルとして扱われています。同号のニューヨーク欄では、シドニー・ベシェ(Sidney Bechet, 1897–1959)のヴォカリオン・レコード(Vocalion Records)向け録音活動が報じられ、同レーベルが1938年末のジャズ録音で存在感を示していたことが確認できます。

同じ号の新譜評でも、ヴォカリオン・レコード(Vocalion Records)は女性ヴォーカル、スイング、ジャズ伴奏を含む盤で取り上げられています。個別曲の詳細は録音リストに譲るとしても、同レーベルがアメリカン・レコード・コーポレーション(American Record Corporation)系のなかで、1938年末のジャズ市場を支える主要ブランドであったことは当月資料から確認できます。

ハリウッド・ハウス・オブ・ミュージック

『Tempo』1938年12月号の広告では、ハリウッド・ハウス・オブ・ミュージック(Hollywood House of Music)が、アル・ジャーヴィス・レコード・ショップ(Al Jarvis Record Shop)を併記し、専門レコード販売と個人録音サービスを同時に掲げています。同広告は、伴奏用レコード、スイング専門盤、ホット・クラブ系レコードを扱い、さらに個人の演奏や歌唱を録音するサービスを訴求していました。

1938年12月25日までの割引も示されており、ロサンゼルス地域では、大手レコード会社の新譜とは別に、専門店が録音文化の受け皿になっていたことが確認できます。この事例は、1938年末の録音関連市場が、販売店、専門盤、個人録音サービスを含む形で拡張していたことを示しています。

ラルストン・レコード

『Radio Today』1938年12月号の製品欄では、ラルストン・レコード社(Ralston Record Co.)による無線符号学習用のレコード・コースが紹介されています。同商品は、3枚の両面10インチ盤と教本から成り、78回転蓄音機で使用できる教材として示されていました。

この商品は音楽レコードではありませんが、録音媒体が教育・通信訓練にも利用されていたことを示す当月の事例です。1938年12月の録音関連市場では、音楽鑑賞用レコードだけでなく、音声記録を使った実用教材も販売対象になっていました。