1939年8月に録音された音楽

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1939年8月に録音された音楽

1939年8月は、第二次世界大戦(Second World War)開戦直前の国際秩序が急速に崩れた月です。8月2日、アルベルト・アインシュタイン(Albert Einstein, 1879–1955)は、レオ・シラード(Leó Szilárd, 1898–1964)らの働きかけを受け、フランクリン・デラノ・ルーズベルト(Franklin Delano Roosevelt, 1882–1945)宛てにウラン研究と軍事利用の可能性を警告する書簡に署名しました。東アジアでは、8月20日にノモンハン事件(Battles of Khalkhin Gol)でソビエト社会主義共和国連邦(Union of Soviet Socialist Republics)・モンゴル人民共和国(Mongolian People’s Republic)側が大日本帝国(Empire of Japan)・満洲国(State of Manchukuo)側に大規模攻勢をかけました。8月23日、ドイツ国(German Reich)とソビエト社会主義共和国連邦(Union of Soviet Socialist Republics)は独ソ不可侵条約(Treaty of Nonaggression Between Germany and the Union of Soviet Socialist Republics)と秘密追加議定書(Secret Additional Protocol)に署名し、東ヨーロッパの勢力圏を分割する密約を結びました。グレートブリテン及び北アイルランド連合王国(United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)では、8月24日に緊急権限防衛法(Emergency Powers (Defence) Act 1939)が成立し、8月25日にポーランド共和国(Republic of Poland)との相互援助協定(Agreement of Mutual Assistance Between the United Kingdom and Poland)が締結されました。科学技術では、8月27日にハインケル・フルークツォイクヴェルケ(Heinkel Flugzeugwerke)のハインケル・ヘ 178(Heinkel He 178)がターボジェット機として初飛行しました。文化面では、メトロ=ゴールドウィン=メイヤー社(Metro-Goldwyn-Mayer Corp.)の映画『オズの魔法使(The Wizard of Oz)』が8月25日に全米公開されました。8月31日にはグライヴィッツ事件(Gleiwitz Incident)が起こり、翌9月1日のドイツ国(German Reich)によるポーランド共和国(Republic of Poland)侵攻の口実として利用されました。

この月の確認されている録音:0曲

1939年8月の録音に関する情報のまとめ

1939年8月の録音関連では、アメリカ合衆国(United States of America)の主要レーベルが、戦争直前の国際情勢のなかでも商業録音と販売再編を継続していました。コロムビア・ブロードキャスティング・システム社(Columbia Broadcasting System, Inc.)傘下のコロムビア・レコーディング社(Columbia Recording Corporation)では、旧アメリカン・レコード社(American Record Corporation)の資産を引き継いだレーベル整理が進みました。ラジオ・コーポレーション・オブ・アメリカ(Radio Corporation of America)のヴィクター部門(RCA Victor Division)では、ブルーバード・レコード(Bluebird Records)を通じたスウィング録音が継続し、デッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)ではジャズとブルースの録音が続きました。ユナイテッド・ステーツ・レコード社(United States Record Corporation)は、ヴァーシティ(Varsity)とロイヤル(Royale)の低価格レーベルを通じて、大手とは異なる市場参入を進めました。

コロムビア・レコーディング

コロムビア・レコーディング社(Columbia Recording Corporation)は、1939年8月にコロムビア・ブロードキャスティング・システム社(Columbia Broadcasting System, Inc.)傘下の録音事業として、旧アメリカン・レコード社(American Record Corporation)の体制を引き継ぎながら、レーベル再編を進めていました。1939年8月30日には、75セントのブランズウィック・レコード(Brunswick Records)よりも50セントのコロムビア・レコード(Columbia Records)を重視する方針が報じられ、ポピュラー録音の主力表示を移す動きが明確になりました。録音面では、ハリー・ジェイムス・アンド・ヒズ・オーケストラ(Harry James and His Orchestra)による1939年8月録音が確認でき、なかでもフランク・シナトラ(Frank Sinatra, 1915–1998)の初期歌唱を含む「All or Nothing at All」は、後年の再発売で大きな意味を持つ録音として特筆できます。

ラジオ・コーポレーション・オブ・アメリカ

ラジオ・コーポレーション・オブ・アメリカ(Radio Corporation of America)のヴィクター部門(RCA Victor Division)は、1939年8月にブルーバード・レコード(Bluebird Records)を通じてスウィング録音を継続していました。当月の動きとしては、アーティ・ショー・アンド・ヒズ・オーケストラ(Artie Shaw and His Orchestra)の1939年8月27日ニューヨーク録音が確認できます。ブルーバード・レコード(Bluebird Records)は、1930年代末の廉価系ポピュラー録音とスウィング市場で重要な位置を占めており、同月の録音活動もその継続として位置づけられます。

デッカ・レコード

デッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)は、1939年8月にニューヨークでジャズとブルースの商業録音を継続していました。1939年8月11日には、エディ・コンドン・アンド・ヒズ・シカゴアンズ(Eddie Condon and His Chicagoans)が録音を行い、シカゴ・ジャズ系の録音活動を同社カタログに残しました。8月15日には、アルバータ・ハンター(Alberta Hunter, 1895–1984)が「Fine and Mellow」を録音しており、同曲は1939年のブルース録音として重要です。8月29日には、ボブ・クロスビー・アンド・ヒズ・オーケストラ(Bob Crosby and His Orchestra)が録音を行い、デッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)のスウィング系カタログを補強しました。

ユナイテッド・ステーツ・レコード

ユナイテッド・ステーツ・レコード社(United States Record Corporation)は、1939年にエリ・オーバースタイン(Eli Oberstein, 1901–1960)が設立した新興レコード会社で、1939年8月にヴァーシティ(Varsity)とロイヤル(Royale)の実質的な製造・録音体制を動かし始めました。1939年6月29日にヴァーシティ(Varsity)とロイヤル(Royale)の暫定カタログが業界向けに出され、8月4日にはヴァーシティ(Varsity)の最初のレコードがスクラントン・レコード社(Scranton Record Company)でプレスされました。8月7日にはアメリカ音楽家連盟(American Federation of Musicians)から録音許可を得て、8月中にアソシエイテッド・ミュージック・パブリッシャーズ・レコーディング・スタジオ(Associated Music Publishers Recording Studios)で初期録音を始めたことが確認できます。1939年8月の同社は、旧録音の再利用と新規録音の開始を組み合わせた低価格レーベルとして、既存大手とは異なる市場参入を進めていました。