1940年4月に録音された音楽

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1940年4月に録音された音楽

1940年4月は、第二次世界大戦(World War II)が北欧と東欧で急速に拡大した月です。4月1日には1940年アメリカ合衆国国勢調査(1940 United States Census)の基準日を迎え、アメリカ合衆国の人口・就業・教育などの全国調査が行われました。4月–5月には、ソビエト社会主義共和国連邦内務人民委員部(People’s Commissariat for Internal Affairs of the Union of Soviet Socialist Republics)によるカティン虐殺(Katyn Massacre)が進められ、ポーランド人捕虜・政治拘禁者約22,000人が殺害されました。4月7日、アメリカ合衆国郵政省(United States Post Office Department)はブッカー・T・ワシントン(Booker T. Washington, 1856–1915)の10セント切手を発行し、アフリカ系アメリカ人を描いた初のアメリカ合衆国切手となりました。4月9日、ドイツ国防軍(Wehrmacht)はヴェーザー演習作戦(Operation Weserübung)によりデンマーク王国(Kingdom of Denmark)とノルウェー王国(Kingdom of Norway)へ侵攻し、北欧の戦局を一変させました。これを受け、連合王国(United Kingdom)は4月12日にフェロー諸島(Faroe Islands)を占領し、北大西洋の防衛拠点化を進めました。4月27日にはアウシュヴィッツ強制収容所(Auschwitz Concentration Camp)の設置命令が出され、4月30日にはウッチ・ゲットー(Łódź Ghetto)が封鎖され、占領下ヨーロッパにおける迫害体制がさらに強化されました。

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1940年4月の録音に関する情報のまとめ

1940年4月の録音関連では、ニューヨーク、ロサンゼルス、ダラスなど複数の録音拠点で、主要レーベルと独立系ジャズ・レーベルの活動が並行していました。デッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)はスウィング、ポピュラー歌唱、映画関連曲、ハワイアン音楽を幅広く扱い、コロムビア・レコーディング・コーポレーション(Columbia Recording Corporation)はコロムビア(Columbia)本体に加えて、ヴォカリオン(Vocalion)からオーケー(OKeh)への整理を進めました。アールシーエー・マニュファクチャリング社(RCA Manufacturing Co., Inc.)系のブルーバード(Bluebird)は、低価格系列として人気スウィング楽団とジャズ小編成を継続的に扱いました。さらに、ホット・レコード・ソサエティ(Hot Record Society)やジェネラル(General)などの独立系レーベルも、コレクター層を意識したジャズ録音を残しています。

デッカ

デッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)では、1940年4月にカサ・ロマ・オーケストラ(Casa Loma Orchestra)、ボブ・クロスビー・アンド・ヒズ・オーケストラ(Bob Crosby and His Orchestra)、ジミー・ドーシー・アンド・ヒズ・オーケストラ(Jimmy Dorsey and His Orchestra)、ウディ・ハーマン・アンド・ヒズ・オーケストラ(Woody Herman and His Orchestra)などの録音が行われました。4月10日と4月11日には、ルイ・アームストロング・ウィズ・ザ・ミルズ・ブラザーズ(Louis Armstrong with The Mills Brothers)が「W.P.A.」「Boog It」「Cherry」「Marie」を録音し、ジャズとヴォーカル・グループを組み合わせた企画が継続していたことを示しています。ロサンゼルスではビング・クロスビー(Bing Crosby, 1903–1977)やジュディ・ガーランド(Judy Garland, 1922–1969)関連の映画・ポピュラー曲録音も行われ、同社が商業ポピュラー音楽の広い市場を同時に扱っていた月でした。

コロムビア

コロムビア・レコーディング・コーポレーション(Columbia Recording Corporation)では、1940年4月にコロムビア(Columbia)、ヴォカリオン(Vocalion)、オーケー(OKeh)の運用が重なっていました。コロムビア(Columbia)本体では、ベニー・グッドマン・アンド・ヒズ・オーケストラ(Benny Goodman and His Orchestra)、ケイ・カイザー・アンド・ヒズ・オーケストラ(Kay Kyser and His Orchestra)、エディ・デューチン・アンド・ヒズ・オーケストラ(Eddy Duchin and His Orchestra)、ジーン・クルーパ・アンド・ヒズ・オーケストラ(Gene Krupa and His Orchestra)などの録音が確認できます。4月23日のジーン・クルーパ・アンド・ヒズ・オーケストラ(Gene Krupa and His Orchestra)のセッションでは、「My Wonderful One, Let’s Dance」「Make-Believe Island」などがコロムビア(Columbia)番号で発売されました。4月29日にはジョー・サリヴァン(Joe Sullivan, 1906–1971)の録音がヴォカリオン(Vocalion)とオーケー(OKeh)に分かれて確認でき、オーケー(OKeh)が1940年に再稼働する流れの中で、ジャズ、ブルース、カントリー系の整理が進んでいたことが分かります。

アールシーエー

アールシーエー・マニュファクチャリング社(RCA Manufacturing Co., Inc.)系のブルーバード(Bluebird)では、1940年4月にファッツ・ウォーラー・アンド・ヒズ・リズム(Fats Waller and His Rhythm)とグレン・ミラー・アンド・ヒズ・オーケストラ(Glenn Miller and His Orchestra)の重要な録音が続きました。4月11日にはファッツ・ウォーラー・アンド・ヒズ・リズム(Fats Waller and His Rhythm)が「Little Curly Hair In A High Chair」「Old Grand Dad」「Send Me, Jackson」「You’re A Square From Delaware」などを録音しました。4月28日にはグレン・ミラー・アンド・ヒズ・オーケストラ(Glenn Miller and His Orchestra)が「Bugle Call Rag」「Mister Meadowlark」「The Nearness Of You」「Pennsylvania Six-Five Thousand」などを録音し、ブルーバード(Bluebird)がスウィング時代の主要楽団を扱う低価格系列として機能していたことを示しています。

ホット・レコード・ソサエティ

ホット・レコード・ソサエティ(Hot Record Society)では、1940年4月6日にベシェ=スパニア・ビッグ・フォー(Bechet-Spanier Big Four)のニューヨーク録音が行われました。この録音は、3月28日の同グループ録音に続くもので、「If I Could Be With You One Hour Tonight」「That’s A Plenty」「Squeeze Me」「Sweet Sue, Just You」が残されました。大手会社の通常の商業録音とは異なり、ホット・レコード・ソサエティ(Hot Record Society)はジャズ愛好家・収集家に向けた独立系録音を行っており、1940年4月の録音史では小編成ジャズの重要な活動として位置づけられます。

ジェネラル

ジェネラル(General)では、1940年4月4日にジョー・マーサラ・アンド・ヒズ・デルタ・フォー(Joe Marsala and His Delta Four)のニューヨーク録音が行われました。「Wandering Man Blues」「Salty Mama Blues」「Three O’Clock Jump」「Reunion In Harlem」が記録され、このうち「Three O’Clock Jump」は12インチ78回転盤としても知られます。同セッションは、ジェネラル(General)番号での発売に加え、後年コモドア(Commodore)系の再発・集成にも組み込まれた録音で、1940年4月の独立系ジャズ録音として重要です。

ユナイテッド・ステーツ・レコード社

ユナイテッド・ステーツ・レコード社(United States Record Corporation)は、イーライ・オーバースタイン(Eli Oberstein, 1901–1960)によって1939年に設立された短命のレコード会社で、ヴァーシティ(Varsity)とロイヤル(Royale)を運用しました。1940年4月には、ヴァーシティ(Varsity)の商標公告が行われており、同社が低価格レコード市場での展開を進めていた時期にあたります。ヴァーシティ(Varsity)はポピュラー音楽を中心とする低価格系列、ロイヤル(Royale)はより高価格のクラシック系系列として扱われ、1940年前後のアメリカ合衆国レコード市場における価格帯分化を示す事例です。