1940年8月に録音された音楽

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1940年8月に録音された音楽

1940年8月は、第二次世界大戦(Second World War)が欧州・アフリカ・東欧で同時に拡大した月でした。ソビエト社会主義共和国連邦(Union of Soviet Socialist Republics)はリトアニア共和国(Republic of Lithuania)、ラトビア共和国(Republic of Latvia)、エストニア共和国(Republic of Estonia)の併合手続きを8月上旬に進め、イタリア王国(Kingdom of Italy)は8月3日–19日にイギリス領ソマリランド保護領(British Somaliland Protectorate)へ侵攻しました。英国(United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)では8月13日の鷲の日(Adlertag)以後、ブリテンの戦い(Battle of Britain)が激化しました。メキシコ合衆国(United Mexican States)ではレフ・トロツキー(Leon Trotsky, 1879–1940)が8月20日にラモン・メルカデル(Ramón Mercader, 1913–1978)に襲撃され、翌21日に死亡しました。8月下旬には英国技術科学使節団(British Technical and Scientific Mission)がアメリカ合衆国(United States of America)との軍事科学協力を進め、8月30日の第二次ウィーン裁定(Second Vienna Award)は北トランシルヴァニア地方(Northern Transylvania)の帰属を変更しました。

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1940年8月の録音に関する情報のまとめ

1940年8月の録音関連では、アメリカ合衆国(United States of America)の大手レコード会社による通常録音と、ジャズ愛好家市場に近い小規模レーベルの録音活動が並行して確認できます。アールシーエー・マニュファクチャリング社(RCA Manufacturing Co., Inc.)、デッカ・レコード・インコーポレイテッド(Decca Records, Inc.)、コロンビア・レコーディング・コーポレーション(Columbia Recording Corporation)は、ポピュラー、ジャズ、ブルース系の商業録音を継続しました。一方、シグネチャー・レコード(Signature Records)とデルタ・レコード(Delta Records)は、伝統的ジャズを記録する小規模な録音活動を残しました。

アールシーエー・マニュファクチャリング社

アールシーエー・マニュファクチャリング社(RCA Manufacturing Co., Inc.)では、同社系レーベルのブルーバード(Bluebird)で1940年8月のポピュラー音楽とジャズ系録音が確認できます。ユナ・メイ・カーライル(Una Mae Carlisle, 1915–1956)は8月2日にニューヨークでブルーバード(Bluebird)向けの録音を行い、同月7日にはラリー・クリントンズ・ブルーバード・オーケストラ(Larry Clinton’s Bluebird Orchestra)もニューヨークで録音しました。確認できる範囲では、同月の同社系レーベルは、歌手単独のポピュラー録音とダンス・オーケストラ録音の双方を継続していました。

デッカ・レコード・インコーポレイテッド

デッカ・レコード・インコーポレイテッド(Decca Records, Inc.)では、1940年8月27日にニューヨークでディック・ロバートソン(Dick Robertson, 1903–1979)名義の録音セッションが確認できます。同社はこの時期、ポピュラー歌唱とダンス管弦楽系の録音を継続しており、同日の録音はデッカ(Decca)の商業盤に結び付きました。個別曲の網羅は録音リスト側で扱うべき内容ですが、当月の会社活動としては、同社の通常録音が継続していたことを示す事例です。

コロンビア・レコーディング・コーポレーション

コロンビア・レコーディング・コーポレーション(Columbia Recording Corporation)では、1940年8月にオーケー(Okeh)を含む系列レーベルの録音活動が確認できます。8月5日と8月28日にはカブ・キャロウェイ(Cab Calloway, 1907–1994)名義のニューヨーク録音が行われ、8月6日にはシカゴでジーン・クルーパ・アンド・ヒズ・オーケストラ(Gene Krupa and His Orchestra)の録音が行われました。これらは、同社系レーベルが1940年8月もスウィング、ジャズ、ポピュラー市場向けの録音を継続していたことを示します。アメリカ議会図書館(Library of Congress)には、同月付のオーケー(Okeh)およびヴォカリオン(Vocalion)の分類・販売関連資料も残されています。

シグネチャー・レコード

シグネチャー・レコード(Signature Records)では、1940年8月17日にニューヨークでシカゴ・リズム・キングス(Chicago Rhythm Kings)の録音が確認できます。この録音には、マーティ・マルサラ(Marty Marsala, 1909–1975)、ロッド・クレス(Rod Cless, 1907–1944)、アート・ホーデス(Art Hodes, 1904–1993)らが参加しました。大手会社の通常カタログとは異なり、シグネチャー・レコード(Signature Records)の同月録音は、伝統的ジャズの記録と愛好家市場を意識した小規模レーベル活動として位置づけられます。

デルタ・レコード

デルタ・レコード(Delta Records)は、1940年8月にニューオーリンズの伝統的ジャズを記録した小規模レーベルとして活動が確認できます。1940年8月21日、ルーズヴェルト・ホテル(Roosevelt Hotel)内のダブリューダブリューエル(WWL)ラジオ局スタジオで、ヘンリー・“キッド”・レナズ・ジャズ・バンド(Henry “Kid” Rena’s Jazz Band)の録音が行われました。この録音は、1940年時点で初期ニューオーリンズ・ジャズの演奏様式を記録した重要な事例であり、同月の録音関連情報の中でも独立した項目として扱う価値があります。