1940年2月に録音された音楽
1940年2月は、第二次世界大戦(World War II)の軍事・外交・占領政策が各地で進行した月です。フィンランド共和国(Republic of Finland)では冬戦争(Winter War)が続き、ソビエト社会主義共和国連邦(Union of Soviet Socialist Republics)軍がカレリア地峡(Karelian Isthmus)で攻勢を強めました。2月11日にはドイツ国(German Reich)とソビエト社会主義共和国連邦の間でドイツ=ソビエト通商協定(German-Soviet Commercial Agreement)が結ばれ、戦時下の資源・物資取引が制度化されました。2月16日にはノルウェー王国(Kingdom of Norway)領海でアルトマルク号事件(Altmark Incident)が起こり、イギリス海軍(Royal Navy)が捕虜を救出しました。ドイツ占領下ポーランドでは、2月8日の警察命令を契機にウッチ・ゲットー(Łódź Ghetto)への移動が進みました。科学では、2月27日にマーティン・カメン(Martin Kamen, 1913–2002)とサミュエル・ルーベン(Samuel Ruben, 1913–1943)がカリフォルニア大学バークレー校放射線研究所(University of California Radiation Laboratory, Berkeley)で炭素14(carbon-14)を確認しました。文化面では、2月29日の第12回アカデミー賞(12th Academy Awards)でハティ・マクダニエル(Hattie McDaniel, 1893–1952)が『風と共に去りぬ(Gone with the Wind)』によりアカデミー助演女優賞(Academy Award for Best Supporting Actress)を受賞しました。
この月の確認されている録音:0曲
1940年2月の録音に関する情報のまとめ
1940年2月の録音関連では、アメリカ合衆国(United States of America)の主要レコード会社が、ラジオ放送、映画音楽、店頭展示、専門誌広告、ジャズ批評と結びつきながら活動していました。アールシーエー・マニュファクチャリング社(RCA Manufacturing Co., Inc.)はヴィクター・レコード(Victor Records)とブルーバード・レコード(Bluebird Records)を、コロムビア・レコーディング社(Columbia Recording Corporation)はコロムビア・レコード(Columbia Records)、ヴォカリオン・レコード(Vocalion Records)、オーケー・レコード(OKeh Records)を展開し、デッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)もスイング系・ポピュラー系の録音と販促を続けていました。加えて、コモドア・ミュージック・ショップ(Commodore Music Shop)、ホット・レコード・ソサエティ(Hot Record Society)、ブルーノート・レコード(Blue Note Records)、ソロ・アート(Solo Art)など、専門店・小規模レーベル系の活動も当月資料上で確認できます。
アールシーエー・マニュファクチャリング社
アールシーエー・マニュファクチャリング社(RCA Manufacturing Co., Inc.)は、ヴィクター・レコード(Victor Records)とブルーバード・レコード(Bluebird Records)を、ラジオ受信機・レコードプレーヤー販売と結び付けて展開していました。『ラジオ・トゥデイ(Radio Today)』1940年2月号では、ニューヨークのヘインズ=グリフィン(Haynes-Griffin)が映画『ピノキオ(Pinocchio)』への関心を利用し、同映画関連のヴィクター・レコード(Victor Records)アルバムを店頭展示した例が紹介されています。同号広告では、トミー・ドーシー・アンド・ヒズ・オーケストラ(Tommy Dorsey and His Orchestra)をヴィクター・レコード(Victor Records)の録音芸術家として掲げ、アールシーエー・ヴィクター(RCA Victor)のラジオ製品でヴィクター・レコード(Victor Records)とブルーバード・レコード(Bluebird Records)を再生できることを訴求していました。『ダウン・ビート(Down Beat)』1940年2月1日号は、デューク・エリントン・アンド・ヒズ・フェイマス・オーケストラ(Duke Ellington and His Famous Orchestra)のヴィクター・レコード(Victor Records)移籍予定を報じ、同月15日号はハーラン・レナード・アンド・ヒズ・ロケッツ(Harlan Leonard and His Rockets)のブルーバード・レコード(Bluebird Records)関連録音を話題として取り上げています。
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Radio-Today/40s/Radio-Today-1940-02.pdf
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-All-Music/DownBeat/40s/40/Down-Beat-1940-02-01-7-3.pdf
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-All-Music/DownBeat/40s/40/Down-Beat-1940-02-15-7-4.pdf
コロムビア・レコーディング社
コロムビア・レコーディング社(Columbia Recording Corporation)は、コロムビア・レコード(Columbia Records)と、同社系のヴォカリオン・レコード(Vocalion Records)およびオーケー・レコード(OKeh Records)を通じて、放送連動とジャズ録音の両面で活動していました。『ダウン・ビート(Down Beat)』1940年2月15日号は、コロムビア・レコード(Columbia Records)と結びついた放送番組『ヤング・マン・ウィズ・ア・バンド(Young Man With a Band)』が終了し、レコード販売を直接押し上げる後継番組は予定されていないと伝えています。同月の録音としては、1940年2月27日に、フレッチャー・ヘンダーソン(Fletcher Henderson, 1897–1952)が指揮したホレス・ヘンダーソン・アンド・ヒズ・オーケストラ(Horace Henderson and His Orchestra)のシカゴ録音が、ヴォカリオン・レコード(Vocalion Records)およびオーケー・レコード(OKeh Records)系の番号で記録されています。
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-All-Music/DownBeat/40s/40/Down-Beat-1940-02-15-7-4.pdf
- https://www.78discography.com/
デッカ・レコード社
デッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)は、ポピュラー音楽とスイング領域で録音・発売・宣伝を続けていました。『ダウン・ビート(Down Beat)』1940年2月1日号は、ウッディ・ハーマン・アンド・ヒズ・オーケストラ(Woody Herman and His Orchestra)のデッカ・レコード(Decca Records)録音に触れ、同楽団のレコードがスイング市場で注目されていたことを伝えています。『ダウン・ビート(Down Beat)』1940年2月15日号には、エラ・フィッツジェラルド(Ella Fitzgerald, 1917–1996)のデッカ・レコード(Decca Records)録音を使った楽曲広告も掲載され、同社盤が楽譜・放送・実演の宣伝回路に組み込まれていたことが分かります。同月の録音としては、1940年2月21日にアースキン・バターフィールド・アンド・ヒズ・ブルー・ボーイズ(Erskine Butterfield and His Blue Boys)がニューヨークでデッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)向けに録音しており、当月の制作活動を示します。
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-All-Music/DownBeat/40s/40/Down-Beat-1940-02-01-7-3.pdf
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-All-Music/DownBeat/40s/40/Down-Beat-1940-02-15-7-4.pdf
- https://www.78discography.com/
コモドア・ミュージック・ショップ
コモドア・ミュージック・ショップ(Commodore Music Shop)は、ニューヨークの専門店として、コモドア・レコード(Commodore Records)名義のレコード活動と、ジャズ・レコード収集家向けの販売活動を行っていました。『ダウン・ビート(Down Beat)』1940年2月15日号には、コモドア・ミュージック・ショップ(Commodore Music Shop)の署名付きコメントと広告欄が確認でき、同店がヴィクター・レコード(Victor Records)、ブルーバード・レコード(Bluebird Records)、デッカ・レコード(Decca Records)、ヴォカリオン・レコード(Vocalion Records)などと並ぶ専門市場の販売拠点として扱われていました。主要会社の月次新譜とは別に、専門店系の選盤・販売・再発活動が、1940年2月のジャズ録音文化を支えていました。
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-All-Music/DownBeat/40s/40/Down-Beat-1940-02-15-7-4.pdf
- https://www.78discography.com/
ホット・レコード・ソサエティ
ホット・レコード・ソサエティ(Hot Record Society)は、新録音だけではなく、歴史的録音の再発と保存を通じて1940年2月の録音文化に関わっていました。『ダウン・ビート(Down Beat)』1940年2月1日号は、ビックス・バイダーベック(Bix Beiderbecke, 1903–1931)が参加したザ・ウルヴァリンズ(The Wolverines)の10インチ盤10面の再発を取り上げ、原盤が失われていたため原盤プレスからのダビングが必要だったと説明しています。この活動は、同時代の新録音市場とは別に、1920年代ジャズ録音を対象にした収集家向け再発市場が1940年2月時点で機能していたことを示します。
ブルーノート・レコード
ブルーノート・レコード(Blue Note Records)は、1940年2月時点で専門誌を通じて販売網の拡大と録音物の訴求を行っていました。『ダウン・ビート(Down Beat)』1940年2月15日号では、ピート・ジョンソン(Pete Johnson, 1904–1967)関連のブルーノート・レコード(Blue Note Records)盤が批評対象となり、同号広告では販売代理人募集が掲げられています。ブルーノート・レコード(Blue Note Records)は大手会社とは異なり、専門誌読者やジャズ愛好家を直接意識した販路形成を進めており、1940年2月の小規模ジャズ・レーベル活動として重要です。
ソロ・アート
ソロ・アート(Solo Art)は、ピアノ・ブルースおよびブギウギ系の専門的なレコード活動として確認できます。『ダウン・ビート(Down Beat)』1940年2月1日号では、ジミー・ヤンシー(Jimmy Yancey, 1894–1951)の「The Fives」と「Jimmy’s Stuff」がソロ・アート(Solo Art)で発売されたことが批評されています。ジミー・ヤンシー(Jimmy Yancey, 1894–1951)の録音は、商業的大量販売を前提にした大手会社の新譜とは異なり、専門的な聴取層を対象とするピアノ・ブルース、ブギウギ系レコードの動きを示します。
ソノラ・ラジオ・アンド・テレビジョン社
ソノラ・ラジオ・アンド・テレビジョン社(Sonora Radio and Television Corporation)は、レコード会社ではありませんが、1940年2月の販売資料でレコード再生環境を支える蓄音機・ラジオ複合機メーカーとして確認できます。『ラジオ・アンド・テレビジョン・リテーリング(Radio & Television Retailing)』1940年2月号には、同社の営業代表会議に関する記事が掲載されています。同号の新製品欄では、ソノラ・ラジオ・アンド・フォノグラフ社(Sonora Radio & Phonograph Corp.)表記で、内蔵アンテナ、5インチ・ダイナミック・スピーカー、10インチ盤および12インチ盤の再生機能を備えた製品が紹介されています。1940年2月の録音関連市場では、レコード制作会社だけでなく、家庭用再生機器の販売展開もレコード消費を支える要素になっていました。
