1940年3月に録音された音楽

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1940年3月に録音された音楽

1940年3月は、第二次世界大戦(Second World War)の戦線と外交が大きく動いた月でした。3月5日、ソビエト社会主義共和国連邦(Union of Soviet Socialist Republics)ではラヴレンチー・ベリヤ(Lavrentiy Beria, 1899–1953)の提案文書が作成され、後のカティンの森虐殺(Katyn massacre)につながるポーランド人捕虜・収監者処刑が決裁されました。3月12日にはフィンランド共和国(Republic of Finland)とソビエト社会主義共和国連邦(Union of Soviet Socialist Republics)がモスクワ平和条約(Moscow Peace Treaty)に署名し、冬戦争(Winter War)が終結しました。3月18日にはドイツ国(German Reich)のアドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler, 1889–1945)とイタリア王国(Kingdom of Italy)のベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini, 1883–1945)がブレンナー峠(Brenner Pass)で会談しました。3月21日、フランス共和国(French Republic)ではポール・レノー(Paul Reynaud, 1878–1966)が首相となり、対独戦争の指導体制が変わりました。3月23日には英領インド(British India)の全インド・ムスリム連盟(All-India Muslim League)がラホール決議(Lahore Resolution)を採択し、後のパキスタン建国運動に重要な政治的根拠を与えました。社会・技術面では、3月上旬に遠洋定期船クイーン・エリザベス(RMS Queen Elizabeth)が戦時下の秘密航海でニューヨークに到着し、民間客船が戦時輸送体制へ組み込まれていく時代を象徴しました。

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1940年3月の録音に関する情報のまとめ

1940年3月の録音関連資料では、アメリカ合衆国(United States of America)の大手レコード会社が映画音楽、ダンス楽団、ジャズ、ヴォーカル、ジュークボックス向け新譜を継続的に供給していたことが確認できます。アールシーエー・マニュファクチャリング社(RCA Manufacturing Co., Inc.)のヴィクター・レコード(Victor Records)およびブルーバード・レコード(Bluebird Records)、デッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)、コロムビア・レコーディング社(Columbia Recording Corporation)の活動が同時代誌と所蔵目録で確認できます。加えて、ブルーノート・レコード(Blue Note Records)とホット・レコード・ソサエティ(Hot Record Society)では、1940年3月に重要なジャズ録音が行われています。

アールシーエー・マニュファクチャリング社

アールシーエー・マニュファクチャリング社(RCA Manufacturing Co., Inc.)では、ヴィクター・レコード(Victor Records)とブルーバード・レコード(Bluebird Records)の1940年3月用販売資料が確認できます。アメリカ議会図書館(Library of Congress)のジョン・D・リード文書(John D. Reid papers)には、『New Victor Records, March 1940』『Victor Record Review, Vol. 2, No. 11, March 1940』『RCA Victor’s Bluebird Popular Records, March 1940』『Bluebird Old Familiar Tunes and Race Records, March 1940』が含まれています。3月9日付『ザ・ニューヨーカー(The New Yorker)』のレコード欄では、ヴィクター・レコード(Victor Records)が映画『ピノキオ(Pinocchio)』関連楽曲を映画音源から収録したアルバムを出していたことが紹介され、ブルーバード・レコード(Bluebird Records)についてもグレン・ミラー・アンド・ヒズ・オーケストラ(Glenn Miller and His Orchestra)の録音が同時代の人気盤として扱われています。

デッカ・レコード社

デッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)では、1940年3月にジャズ、ダンス楽団、ヴォーカル録音の動きが確認できます。ルイ・アームストロング・アンド・ヒズ・オーケストラ(Louis Armstrong and His Orchestra)は3月14日にニューヨークで録音し、リル・アームストロング・アンド・ハー・ディキシーランダーズ(Lil Armstrong and Her Dixielanders)は3月18日にニューヨークで録音しました。カーサ・ローマ・オーケストラ(Casa Loma Orchestra)も3月18日にニューヨークで録音し、コニー・ボズウェル(Connie Boswell, 1907–1976)の3月22日録音もデッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)の流通盤として確認できます。『ザ・ニューヨーカー(The New Yorker)』1940年3月9日号では、ヒルデガード(Hildegarde, 1906–2005)やリー・ワイリー(Lee Wiley, 1908–1975)のデッカ盤が取り上げられ、同社が劇場音楽・ポピュラー歌唱・ジャズ系録音を同時に展開していたことが読み取れます。

コロムビア・レコーディング社

コロムビア・レコーディング社(Columbia Recording Corporation)では、1940年3月の販売資料として『A Complete Listing of Columbia Popular Records, March 1940』と『New Columbia Popular Record Releases, March 1940』がアメリカ議会図書館(Library of Congress)のジョン・D・リード文書(John D. Reid papers)に記録されています。3月9日付『ザ・ニューヨーカー(The New Yorker)』のレコード欄では、レイモンド・スコット(Raymond Scott, 1908–1994)のコロムビア盤が紹介され、同社が大編成による実験的なポピュラー・オーケストラ録音を扱っていたことが確認できます。ジャズ録音では、カウント・ベイシー・アンド・ヒズ・オーケストラ(Count Basie and His Orchestra)が3月19日と3月20日にニューヨークでコロムビア系の録音を行い、ベニー・グッドマン・アンド・ヒズ・オーケストラ(Benny Goodman and His Orchestra)も3月15日にニューヨークで録音しています。

オーケー・レコードおよびヴォカリオン

コロムビア・レコーディング社(Columbia Recording Corporation)系のオーケー・レコード(OKeh Records)およびヴォカリオン(Vocalion)では、1940年3月8日にキャブ・キャロウェイ・アンド・ヒズ・オーケストラ(Cab Calloway and His Orchestra)がシカゴで録音しています。曲目には『Pickin’ the Cabbage』『Chop, Chop, Charlie Chan』『Paradiddle』『Boog It』が含まれ、ヴォカリオン(Vocalion)およびオーケー・レコード(OKeh Records)での発売が確認できます。キャブ・キャロウェイ(Cab Calloway, 1907–1994)の録音は、同社系レーベルが1940年時点でもスウィングと黒人楽団録音の重要な流通経路であったことを示しています。

ブルーノート・レコード

ブルーノート・レコード(Blue Note Records)では、1940年3月20日にニューヨークでシドニー・ベシェズ・ブルー・ノート・カルテット(Sidney Bechet’s Blue Note Quartet)の録音が行われました。編成はシドニー・ベシェ(Sidney Bechet, 1897–1959)、テディ・バン(Teddy Bunn, 1909–1978)、ポップス・フォスター(Pops Foster, 1892–1969)、シドニー・キャトレット(Sidney Catlett, 1910–1951)で、『Lonesome Blues』『Dear Old Southland』『Bechet’s Steady Rider』『Saturday Night Blues』が記録されています。3月28日にはテディ・バン(Teddy Bunn, 1909–1978)のギター・ソロ録音も行われ、ブルーノート・レコード(Blue Note Records)が初期ジャズ再評価と少人数録音を重視していたことが確認できます。

ホット・レコード・ソサエティ

ホット・レコード・ソサエティ(Hot Record Society)は、1940年3月28日にニューヨークでベシェ=スパニア・ビッグ・フォー(Bechet-Spanier Big Four)の録音を行いました。編成はマグシー・スパニア(Muggsy Spanier, 1901–1967)、シドニー・ベシェ(Sidney Bechet, 1897–1959)、カーメン・マストレン(Carmen Mastren, 1913–1981)、ウェルマン・ブロード(Wellman Braud, 1891–1966)で、『Four or Five Times』『Sweet Lorraine』『Lazy River』『China Boy』が記録されています。商業大手とは異なる収集家向けのホット・ジャズ録音として、1940年3月のジャズ録音史における重要な小規模レーベル活動と位置づけられます。

スター・レコード

スター・レコード(Star Records)は、1940年3月9日付『ザ・ニューヨーカー(The New Yorker)』のレコード欄で、新会社として紹介されています。同記事によれば、同社は『Hollywood Screen Test』というアルバムを出し、映画監督レイ・フォスター(Ray Foster, 生没年不明)が聴取者に演技テストの指示を与える内容で、リバティ・ミュージック・ショップス(Liberty Music Shops)でのみ販売されました。音楽録音ではなく会話・演技参加型の娯楽レコードですが、映画文化と家庭用レコードを結びつけた1940年3月時点の録音メディア企画として確認できます。