1941年4月に録音された音楽

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1941年4月に録音された音楽

1941年4月は、第二次世界大戦(World War II)の戦線と外交が各地で大きく動いた月です。4月1日、イラク王国(Kingdom of Iraq)でラシード・アリー・アル=ガイラーニー(Rashid Ali al-Gaylani, 1892–1965)を中心とする政変が起き、イギリス帝国(British Empire)との緊張が高まりました。4月6日、ドイツ国(German Reich)はユーゴスラビア王国(Kingdom of Yugoslavia)とギリシャ王国(Kingdom of Greece)へ侵攻し、同日、イギリス軍はイタリア領東アフリカ(Italian East Africa)のアディスアベバを占領しました。北アフリカでは4月10日–14日にトブルク包囲戦(Siege of Tobruk)の初期攻撃が退けられ、地中海戦域の焦点となりました。4月13日には大日本帝国及「ソヴィエト」社会主義共和国聯邦間中立条約(Neutrality Pact between Japan and the Union of Soviet Socialist Republics)がモスクワで署名されました。4月15日–16日にはベルファスト電撃戦(Belfast Blitz)の大規模空襲が起き、北アイルランドの市民生活に深刻な被害を与えました。アメリカ合衆国(United States of America)ではフォード・モーター・カンパニー(Ford Motor Company)のフォード・リヴァー・ルージュ複合工場(Ford River Rouge Complex)で労働争議が起こり、4月18日にはメッサーシュミット Me 262(Messerschmitt Me 262)試作機がユンカース Jumo 210G(Junkers Jumo 210G)ピストンエンジンで初飛行しました。

この月の確認されている録音:0曲

1941年4月の録音に関する情報のまとめ

1941年4月の録音関連資料では、アメリカ合衆国(United States of America)のデッカ・レコード(Decca Records, Inc.)、コロムビア・レコーディング・コーポレーション(Columbia Recording Corporation)とオーケー・レコード(Okeh Records)、アールシーエー・マニュファクチャリング社(RCA Manufacturing Co., Inc.)のアールシーエー・ヴィクター部門(RCA-Victor Division)とブルーバード・レコード(Bluebird Records)、独立系のブルー・ノート・レコード(Blue Note Records)に当月の録音活動が確認できます。イギリスでは、エレクトリック・アンド・ミュージカル・インダストリーズ社(Electric and Musical Industries Ltd.)のコロムビア・レコード(Columbia Records)と、デッカ・レコード社(The Decca Record Company Limited)のデッカ・レコード(Decca Records)で、戦時下にもジャズ/ダンス・バンド系録音が継続していました。1941年4月は、スウィングの大編成録音、小編成ジャズ、ブギー・ウギー、カンザスシティ系の録音が並行し、商業レコード市場が戦時体制の影響を受けながらも多様な録音活動を維持していた月です。

デッカ・レコード

デッカ・レコード(Decca Records, Inc.)では、1941年4月にジャズ、ポピュラー、カントリー/ウェスタン系の録音活動が継続していました。特に重要な動きとして、4月11日にルイ・アームストロング・アンド・ヒズ・オーケストラ(Louis Armstrong and His Orchestra)が録音を行い、4月30日にはジェイ・マクシャン・アンド・ヒズ・オーケストラ(Jay McShann and His Orchestra)がダラスで録音しています。この4月30日のセッションにはチャーリー・パーカー(Charlie Parker, 1920–1955)が参加しており、カンザスシティ系ジャズからビバップ前夜へつながる資料として重要です。ルイ・ジョーダン・アンド・ヒズ・タイムパニー・ファイヴ(Louis Jordan and His Tympany Five)の4月2日録音も確認でき、デッカ・レコード(Decca Records, Inc.)が小編成リズム・アンド・ブルース前史の領域でも活動を続けていたことが分かります。

コロムビア・レコーディング・コーポレーション/オーケー・レコード

コロムビア・レコーディング・コーポレーション(Columbia Recording Corporation)とオーケー・レコード(Okeh Records)では、1941年4月にスウィング系の録音活動が続いていました。特に重要な録音として、4月10日にウィリアム・ジェームズ・“カウント”・ベイシー(William James “Count” Basie, 1904–1984)の編成にコールマン・ホーキンス(Coleman Hawkins, 1904–1969)が加わったセッションが確認できます。このセッションでは「9:20 Special」などが録音され、カンザスシティ系スウィングと主要ソリストの結びつきを示す重要な記録になっています。4月にはハリー・ジェームズ・アンド・ヒズ・オーケストラ(Harry James and His Orchestra)やジーン・クルーパ・アンド・ヒズ・オーケストラ(Gene Krupa and His Orchestra)の録音も確認できますが、本文では同社系レーベルの継続的な大編成スウィング制作を示す補足として扱います。

アールシーエー・ヴィクター部門/ブルーバード・レコード

アールシーエー・マニュファクチャリング社(RCA Manufacturing Co., Inc.)のアールシーエー・ヴィクター部門(RCA-Victor Division)は、1941年4月にヴィクター・レコード(Victor Records)とブルーバード・レコード(Bluebird Records)の両系統で録音活動を行っていました。特に重要な録音として、4月18日にシドニー・ベシェズ・ワンマン・バンド(Sidney Bechet’s One-Man Band)が「The Sheik Of Araby」と「Blues Of Bechet」を録音し、4月28日にはシドニー・ベシェ・アンド・ヒズ・ニュー・オーリンズ・フィートウォーマーズ(Sidney Bechet and His New Orleans Feetwarmers)が録音を行っています。これらは、シドニー・ベシェ(Sidney Bechet, 1897–1959)の多重録音的な試みとニューオーリンズ系小編成録音を示す重要な資料です。また、4月8日にはライオネル・ハンプトン・アンド・ヒズ・セクステット(Lionel Hampton and His Sextette)の録音も確認でき、同社系レーベルが小編成ジャズの制作にも力を入れていたことが分かります。

ブルー・ノート・レコード

ブルー・ノート・レコード(Blue Note Records)は、1941年4月9日にニューヨークでミード・“ラックス”・ルイス(Meade “Lux” Lewis, 1905–1964)のピアノ録音を行いました。ミード・“ラックス”・ルイス(Meade “Lux” Lewis, 1905–1964)はブギー・ウギー・ピアノの代表的演奏者であり、この録音は同社が初期からブギー・ウギーやホット・ジャズを重視していたことを示します。大手レーベルの大編成録音が多い同月の中で、ブルー・ノート・レコード(Blue Note Records)の活動は、独立系レーベルが専門性の高いジャズ録音を継続していた例として重要です。

イギリスのコロムビア・レコード

エレクトリック・アンド・ミュージカル・インダストリーズ社(Electric and Musical Industries Ltd.)のコロムビア・レコード(Columbia Records)では、1941年4月にナット・ゴネラ・アンド・ヒズ・ニュー・ジョージアンズ(Nat Gonella and His New Georgians)の録音が確認できます。ナット・ゴネラ(Nat Gonella, 1908–1998)は英国ジャズ/ダンス・バンド録音の中心的奏者の一人であり、4月8日と4月21日の録音は、ロンドン空襲期を経ても商業録音が継続していたことを示します。個別曲の詳細は録音リストで扱う対象とし、本文では戦時下の英国ジャズ録音継続を示す会社活動として位置づけます。

イギリスのデッカ・レコード

デッカ・レコード社(The Decca Record Company Limited)のデッカ・レコード(Decca Records)では、1941年4月9日にロンドンでステファン・グラッペリ・アンド・ヒズ・カルテット(Stéphane Grappelli and His Quartet)の録音が確認できます。ステファン・グラッペリ(Stéphane Grappelli, 1908–1997)はフランス出身のヴァイオリン奏者で、戦時下のロンドンにおけるジャズ録音の重要人物です。同月には英国デッカ系のピアノ・ソロ録音も確認できますが、本文ではステファン・グラッペリ・アンド・ヒズ・カルテット(Stéphane Grappelli and His Quartet)の録音を中心に、デッカ・レコード社(The Decca Record Company Limited)が戦時下のロンドンでジャズ/ダンス音楽の録音を継続していたことを示します。

パーティー・レコード社

パーティー・レコード社(Party Record Company)は、1941年4月に広告を開始した新興レコード会社として確認できます。同社はニューヨーク州ブルックリンの138 Broadwayに事務所を置き、成人向けの滑稽・風刺系レコードを専門としました。音楽録音を中心とする大手レーベルとは異なりますが、1941年4月の録音関連市場に現れた独立系レコード会社の動きとして位置づけられます。