1941年2月に録音された音楽

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1941年2月に録音された音楽

1941年2月は、第二次世界大戦(Second World War)の軍事的拡大と、科学・医療・出版文化の転換が重なった月です。北アフリカではベダ・フォムの戦い(Battle of Beda Fomm)が1941年2月6日–7日に起こり、コンパス作戦(Operation Compass)のなかでイタリア王国陸軍第10軍(Italian Tenth Army)が大きな打撃を受けました。直後の1941年2月11日には、エルヴィン・ロンメル(Erwin Rommel, 1891–1944)率いるドイツ・アフリカ軍団(Deutsches Afrikakorps)がトリポリへ到着し、北アフリカ戦線(North African campaign)の性格が変わりました。アメリカ合衆国では1941年2月8日、アメリカ合衆国下院(United States House of Representatives)がH.R. 1776、合衆国防衛促進法案(A Bill to Promote the Defense of the United States)を260対165で可決し、のちの武器貸与法(Lend-Lease Act)成立へ進みました。ドイツ占領下のアムステルダムでは、1941年2月25日からユダヤ人拘束に抗議する二月ストライキ(February Strike)が起こりました。英国では1941年2月19日–21日にスウォンジー空襲(Swansea Blitz)が激化しました。医療では1941年2月12日、アルバート・アレクサンダー(Albert Alexander, 1896–1941)へのペニシリン治療が行われ、原子力研究ではグレン・シーボーグ(Glenn T. Seaborg, 1912–1999)らが1941年2月23日–24日にプルトニウムの化学的同定を進めました。出版文化では、ヘンリー・ルース(Henry R. Luce, 1898–1967)が『ライフ』(Life)1941年2月17日号に「The American Century」を発表しました。

この月の確認されている録音:0曲

1941年2月の録音に関する情報のまとめ

1941年2月の録音関連資料では、アメリカ合衆国の主要盤会社がスウィング、ポピュラー・ソング、ジャズの商業録音を継続し、英国でも戦時下のロンドン録音が続いていたことが確認できます。アールシーエー・マニュファクチャリング社(RCA Manufacturing Co., Inc.)のヴィクター(Victor)とブルーバード(Bluebird)、デッカ・レコード・インコーポレイテッド(Decca Records, Inc.)、コロムビア・レコーディング・コーポレーション(Columbia Recording Corporation)のコロムビア(Columbia)とオーケー・レコード(OKeh Records)、コロムビア・グラフォフォン社(Columbia Graphophone Company Ltd.)、ブルー・ノート・レコード(Blue Note Records)に、当月の録音または発売と結びつく動きが見られます。

アールシーエー・マニュファクチャリング

アールシーエー・マニュファクチャリング社(RCA Manufacturing Co., Inc.)のヴィクター(Victor)では、1941年2月15日にハリウッドでデューク・エリントン・アンド・ヒズ・フェイマス・オーケストラ(Duke Ellington and His Famous Orchestra)が「Take the “A” Train」を録音しました。同曲はビリー・ストレイホーン(Billy Strayhorn, 1915–1967)の作品で、同楽団の代表的録音として後世に大きな位置を占めます。1941年2月17日には、トミー・ドーシー・アンド・ヒズ・オーケストラ(Tommy Dorsey and His Orchestra)がニューヨークで「Yes Indeed!」を録音し、同録音ではサイ・オリヴァー(Sy Oliver, 1910–1988)とジョー・スタッフォード(Jo Stafford, 1917–2008)のヴォーカル・リフレインが確認できます。ブルーバード(Bluebird)でも1941年2月4日のボブ・チェスター・アンド・ヒズ・オーケストラ(Bob Chester and His Orchestra)録音が確認でき、同社系列のポピュラー音楽録音はヴィクター(Victor)本体と低価格系列の双方で継続していました。

デッカ・レコード・インコーポレイテッド

デッカ・レコード・インコーポレイテッド(Decca Records, Inc.)では、1941年2月3日にニューヨークでジミー・ドーシー・アンド・ヒズ・オーケストラ(Jimmy Dorsey and His Orchestra)が「Amapola (Pretty Little Poppy)」を録音しました。同録音はヘレン・オコネル(Helen O’Connell, 1920–1993)とボブ・エバリー(Bob Eberly, 1916–1981)のヴォーカルを含み、Decca 3629として1941年の同社ポピュラー路線を代表するヒット録音になりました。同じ1941年2月3日には「Yours (Quiéreme Mucho)」も録音され、デッカ・レコード・インコーポレイテッド(Decca Records, Inc.)がラテン系旋律を英語圏ポピュラー市場へ展開していたことを示しています。1941年2月24日には、ミルドレッド・ベイリー(Mildred Bailey, 1907–1951)がデルタ・リズム・ボーイズ(The Delta Rhythm Boys)とともに「When That Man Is Dead And Gone」「Jenny」を録音し、戦時下の風刺性を帯びたポピュラー録音として整理できます。

コロムビア・レコーディング・コーポレーション

コロムビア・レコーディング・コーポレーション(Columbia Recording Corporation)では、1941年2月13日にハリー・ジェイムズ・アンド・ヒズ・オーケストラ(Harry James and His Orchestra)が「The Flight of the Bumble Bee」と「The Carnival of Venice」を録音し、Columbia 36004として整理されています。同社のオーケー・レコード(OKeh Records)系列では、1941年2月6日にレス・ブラウン・アンド・ヒズ・オーケストラ(Les Brown and His Orchestra)が、ドリス・デイ(Doris Day, 1922–2019)のヴォーカルを含む「Celery Stalks at Midnight」を録音し、1941年2月17日には同じOKeh 6098に結びつく「Beau Night in Hotchkiss Corners」も録音されています。コロムビア(Columbia)本体とオーケー・レコード(OKeh Records)の双方で、スウィング系の商業録音が当月も継続していました。

コロムビア・グラフォフォン

コロムビア・グラフォフォン社(Columbia Graphophone Company Ltd.)では、英国コロムビア(Columbia)系の録音として、ロンドンで1941年2月6日と1941年2月7日にナット・ゴネラ・アンド・ヒズ・ニュー・ジョージアンズ(Nat Gonella and His New Georgians)のセッションが行われたことが確認できます。1941年2月6日には「That’s My Home」「Vox Poppin」「Ay, Ay, Ay」「If You Were the Only Girl in the World」、1941年2月7日には「Oh Mo’nah!」「Oh Susannah!」「Oh! Buddy, I’m in Love」「We Three」が記録されています。戦時下の英国でも、ジャズ/ダンス・バンド系録音が継続していたことを示す当月資料です。

ブルー・ノート・レコード

ブルー・ノート・レコード(Blue Note Records)では、1941年2月5日にニューヨークでエドモンド・ホール・セレスト・カルテット(Edmond Hall Celeste Quartet)が録音を行いました。同セッションには、エドモンド・ホール(Edmond Hall, 1901–1967)、ミード・ルクス・ルイス(Meade Lux Lewis, 1905–1964)、チャーリー・クリスチャン(Charlie Christian, 1916–1942)、イスラエル・クロスビー(Israel Crosby, 1919–1962)が参加した録音として整理され、「Celestial Express」「Profoundly Blue」はBlue Note 17、「Jamming In Four」「Edmond Hall Blues」はBlue Note 18に結びつきます。ブルー・ノート・レコード(Blue Note Records)が、1941年時点で小編成ジャズを明確な商品方針として記録していたことを示す重要な当月録音です。