1941年11月に録音された音楽

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1941年11月に録音された音楽

1941年11月は、第二次世界大戦(World War II)の戦線拡大と、太平洋戦争開戦前夜の外交緊張が重なった月です。11月7日、ソビエト社会主義共和国連邦(Union of Soviet Socialist Republics)では、モスクワ赤の広場(Red Square in Moscow)で軍事パレードが行われました。同日、アメリカ合衆国(United States of America)はソビエト社会主義共和国連邦向けレンドリース援助の実施を進めました。11月14日にはイギリス海軍空母アーク・ロイヤル(HMS Ark Royal)が沈没し、11月18日には北アフリカでクルセーダー作戦(Operation Crusader)が始まりました。11月19日にはオーストラリア海軍軽巡洋艦シドニー(HMAS Sydney II)とドイツ仮装巡洋艦コルモラン(HSK Kormoran)が交戦し、両艦が失われました。11月17日、アメリカ合衆国中立法(Neutrality Act of 1939)の主要条項が撤廃され、11月26日には合衆国対日覚書(United States Note to Japan)が大日本帝国(Empire of Japan)へ提示されました。11月30日にはラトビアでルンブラ虐殺(Rumbula massacre)が始まりました。音楽文化では、11月3日にグレン・ミラー・アンド・ヒズ・オーケストラ(Glenn Miller and His Orchestra)が『真珠の首飾り(A String of Pearls)』を録音し、戦時下のアメリカ合衆国の大衆音楽を代表する録音のひとつとなりました。

この月の確認されている録音:0曲

1941年11月の録音に関する情報のまとめ

1941年11月の録音関連情報では、アメリカ合衆国(United States of America)の大手レーベルと低価格盤業者の双方に、当月日付で確認できる動きがあります。ラジオ・コーポレーション・オブ・アメリカ(Radio Corporation of America)系のヴィクター部門(RCA Victor Division)とブルーバード・レコード(Bluebird Records)では、グレン・ミラー・アンド・ヒズ・オーケストラ(Glenn Miller and His Orchestra)による代表的録音が行われました。コロムビア・レコーディング・コーポレーション(Columbia Recording Corporation)系のオーケー・レコード(Okeh Records)では、カウント・ベイシー・アンド・ヒズ・オーケストラ(Count Basie and His Orchestra)とキャブ・キャロウェイ・アンド・ヒズ・オーケストラ(Cab Calloway and His Orchestra)の録音が確認できます。デッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)では、エラ・フィッツジェラルド(Ella Fitzgerald, 1917–1996)のニューヨーク録音が確認できます。また、インペリアル・レコード社(Imperial Record Company [II])は、エリート(Elite [1])を用いて低価格盤市場への参入を進めました。

アールシーエー・ヴィクター/ブルーバード

ラジオ・コーポレーション・オブ・アメリカ(Radio Corporation of America)系のヴィクター部門(RCA Victor Division)とブルーバード・レコード(Bluebird Records)では、1941年11月3日、グレン・ミラー・アンド・ヒズ・オーケストラ(Glenn Miller and His Orchestra)がニューヨークで『真珠の首飾り(A String of Pearls)』を録音しました。同作はジェリー・グレイ(Jerry Gray, 1915–1976)による楽曲・編曲で、ブルーバード・レコード(Bluebird Records)から発売され、1942年2月にはビルボード(The Billboard)の売上上位に入ったことが確認できます。1941年11月のアールシーエー・ヴィクター系録音のなかでは、同作が当月を代表する大衆音楽録音として特筆できます。

コロムビア/オーケー

コロムビア・レコーディング・コーポレーション(Columbia Recording Corporation)系のオーケー・レコード(Okeh Records)では、1941年11月にカウント・ベイシー・アンド・ヒズ・オーケストラ(Count Basie and His Orchestra)のニューヨーク録音が確認できます。11月17日のセッションには『Down For Double』と『Harvard Blues』が含まれ、同月の同楽団の活動を示す重要な記録となっています。また、11月3日にはキャブ・キャロウェイ・アンド・ヒズ・オーケストラ(Cab Calloway and His Orchestra)がニューヨークのオーケー録音スタジオ(Okeh Recording Studio)で録音を行い、『A Smo-o-oth One』などを残しました。1941年11月の同系統では、スウィング時代を代表する2つの黒人楽団の録音活動が同日に近い時期に集中していた点が確認できます。

デッカ

デッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)では、1941年11月5日にエラ・フィッツジェラルド(Ella Fitzgerald, 1917–1996)のニューヨーク録音が確認できます。この録音は、エラ・フィッツジェラルド(Ella Fitzgerald, 1917–1996)がチック・ウェブ(Chick Webb, 1905–1939)の死後に自名義の歌手として活動を広げていた時期のデッカ録音にあたります。1941年11月のデッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)の動きとしては、同社がジャズ、ポピュラー歌唱、ダンス音楽の領域で主要歌手の録音を継続していたことを示す例として位置づけられます。

インペリアル/エリート

インペリアル・レコード社(Imperial Record Company [II])は、エリ・オバーシュタイン(Eli Oberstein, 生没年不明)が1941年後半にニューヨークで立ち上げたレコード会社で、製品名としてエリート(Elite [1])を用いました。同社の原盤供給元はワールド・トランスクリプション・スタジオ(World Transcription studios)、プレスはスクラントン・レコード社(Scranton Record Company)とされています。1941年11月11日には、ブルー・バロン・アンド・ヒズ・オーケストラ(Blue Barron and His Orchestra)による同社最初の録音セッションが行われ、同社が低価格盤市場へ参入する動きが具体化しました。