1942年4月に録音された音楽

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1942年4月に録音された音楽

1942年4月は、第二次世界大戦(Second World War)の戦局がアジア太平洋とインド洋で大きく動いた月です。イギリス領インド(British India)ではリチャード・スタッフォード・クリップス(Richard Stafford Cripps, 1889–1952)によるクリップス使節団(Cripps Mission)が合意に至らず、戦時協力と自治要求の対立が深まりました。イギリス領セイロン(British Ceylon)周辺では日本海軍によるインド洋作戦(Indian Ocean raid / Operation C)が行われ、通商路と軍事拠点が脅かされました。フィリピンでは4月9日にバターン半島(Bataan Peninsula)のアメリカ合衆国軍・フィリピン軍が降伏し、バターン死の行進(Bataan Death March)につながりました。4月18日にはジェームズ・ハロルド・ドゥーリトル(James Harold Doolittle, 1896–1993)指揮下のドゥーリトル空襲(Doolittle Raid)が東京などを攻撃しました。4月27日にはカナダで1942年カナダ徴兵制国民投票(1942 Canadian conscription plebiscite)が行われ、海外派兵をめぐる地域差が明確になりました。文化面では4月16日にサミュエル・オズモンド・バーバー2世(Samuel Osmond Barber II, 1910–1981)の管弦楽のための第二エッセイ(Second Essay for Orchestra, Op. 17)が、ニューヨーク・フィルハーモニック交響楽団(New York Philharmonic-Symphony Orchestra)とブルーノ・ワルター(Bruno Walter, 1876–1962)により初演されました。4月26日には本渓湖炭鉱爆発事故(Benxihu Colliery disaster)が発生し、1,549人の死亡が記録されています。

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1942年4月の録音に関する情報のまとめ

1942年4月の録音産業では、戦時下の原材料統制と主要レーベルの録音継続が同時に進みました。アメリカ合衆国戦時生産局(War Production Board)によるシェラック配給制限は、78回転盤の製造環境に直接影響しました。その一方で、アールシーエー・マニュファクチャリング社(RCA Manufacturing Co., Inc.)、デッカ・レコード・インコーポレイテッド(Decca Records, Inc.)、コロムビア・レコーディング社(Columbia Recording Corporation)は、ジャズ、スウィング、歌唱録音を継続しました。ロサンゼルスでは、リバティ・レコード(Liberty Records)として始動した後のキャピトル・レコード・インコーポレイテッド(Capitol Records, Inc.)が録音活動を始め、西海岸のレコード制作拠点化を示す動きが現れました。ヨーロッパでも、イギリスのデッカ・レコード社(The Decca Record Company Limited)とベルギーのリトム(Rythme)で録音活動が続きました。

キャピトル・レコード

後のキャピトル・レコード・インコーポレイテッド(Capitol Records, Inc.)は、1942年4月にリバティ・レコード(Liberty Records)として始動しました。中心人物はジョニー・マーサー(John Herndon Mercer, 1909–1976)、バディ・デシルヴァ(George Gard DeSylva, 1895–1950)、グレン・E・ウォリックス(Glenn E. Wallichs, 1910–1971)です。1942年4月6日には、ジョニー・マーサー(John Herndon Mercer, 1909–1976)が監督した初期録音で、マーサ・ティルトン(Martha Tilton, 1915–2006)が「Moon Dreams」を録音しました。同社は同年6月にキャピトル・レコード・インコーポレイテッド(Capitol Records, Inc.)へ改称され、ロサンゼルスを拠点とする新興レーベルとして商業展開を進めました。

アールシーエー・ヴィクター

アールシーエー・マニュファクチャリング社(RCA Manufacturing Co., Inc.)は、1942年4月にもヴィクター(Victor)およびブルーバード(Bluebird)系列の録音を継続しました。4月2日にはハリウッドのヴィクター・スタジオ(Victor Studios)でグレン・ミラー・アンド・ヒズ・オーケストラ(Glenn Miller and His Orchestra)の録音が行われ、「American Patrol」などが記録されました。4月30日にはトミー・ドーシー・アンド・ヒズ・オーケストラ(Tommy Dorsey and His Orchestra)の録音も行われ、同社の大規模スウィング楽団録音は戦時下でも継続しました。

デッカ・レコード・インコーポレイテッド

デッカ・レコード・インコーポレイテッド(Decca Records, Inc.)では、1942年4月に歌唱録音とジャズ系楽団録音が続きました。4月10日にはエラ・フィッツジェラルド(Ella Fitzgerald, 1917–1996)の録音、4月17日にはルイ・アームストロング・アンド・ヒズ・オーケストラ(Louis Armstrong and His Orchestra)の録音が行われました。4月30日にはチャーリー・バーネット・アンド・ヒズ・オーケストラ(Charlie Barnet and His Orchestra)の録音も行われ、同社は歌手、黒人ジャズ楽団、白人スウィング楽団を横断して録音活動を維持しました。

コロムビア・レコーディング社

コロムビア・レコーディング社(Columbia Recording Corporation)では、1942年4月初旬にジャズとスウィングの録音が集中しました。4月1日にはクーティー・ウィリアムズ・アンド・ヒズ・オーケストラ(Cootie Williams and His Orchestra)が録音を行い、「Fly Right」はセロニアス・スフィア・モンク(Thelonious Sphere Monk, 1917–1982)に関係する初期録音となりました。4月2日にはジーン・クルーパ・アンド・ヒズ・オーケストラ(Gene Krupa and His Orchestra)、4月3日にはカウント・ベイシー・アンド・ヒズ・オーケストラ(Count Basie and His Orchestra)のシカゴ録音が行われました。カウント・ベイシー・アンド・ヒズ・オーケストラ(Count Basie and His Orchestra)の同月録音には「Basie Blues」と「I’m Gonna Move To The Outskirts Of Town」が含まれ、オーケー・レコード(Okeh Records)を含むコロムビア系録音網が戦時下でも黒人スウィング楽団を扱っていました。

デッカ・レコード社(イギリス)

イギリスのデッカ・レコード社(The Decca Record Company Limited)では、1942年4月28日にロンドンでジョージ・シアリング(George Shearing, 1919–2011)のピアノ独奏録音が行われました。同日の録音には「Moonray」「Rosetta」「I’ll Never Let A Day Pass By」「Coquette」が含まれます。これらはアメリカ合衆国のデッカ・レコード・インコーポレイテッド(Decca Records, Inc.)とは別系統の録音であり、戦時下のイギリスでもジャズ系ピアノ録音が継続していたことを示しています。

リトム

ベルギーのリトム(Rythme)では、1942年4月16日にブリュッセルでジャンゴ・ラインハルト(Django Reinhardt, 1910–1953)の録音が行われました。同日の録音では、ジャンゴ・ラインハルト(Django Reinhardt, 1910–1953)がギターとヴァイオリンを担当し、イヴォン・ド・ビー(Ivon de Bie, 1914–1989)がピアノで参加しました。「Vous Et Moi」「Distraction」「Blues En Mineur」「Studio 24」などが記録され、ドイツ占領下のベルギーでもジャズ録音が続いていました。