1942年8月に録音された音楽

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1942年8月に録音された音楽

1942年8月は、第二次世界大戦(Second World War)の戦局、植民地独立運動、科学技術、文化産業が同時に動いた月です。8月1日、アメリカ音楽家連盟(American Federation of Musicians)の録音禁止が始まり、レコード産業は新規録音の制約を受けました。8月7日、連合国(Allies)はウォッチタワー作戦(Operation Watchtower)でガダルカナル島(Guadalcanal)に上陸し、大日本帝国(Empire of Japan)に対する太平洋での本格的反攻を開始しました。8月8日、英領インド(British India)では全インド会議委員会(All India Congress Committee)でモーハンダース・カラムチャンド・ガンディー(Mohandas Karamchand Gandhi, 1869–1948)がインドを立ち去れ運動(Quit India Movement)を訴えました。8月13日、アメリカ合衆国陸軍工兵隊(United States Army Corps of Engineers)はマンハッタン工兵管区(Manhattan Engineer District)を設置し、同日、ウォルト・ディズニー・プロダクションズ(Walt Disney Productions)の映画『バンビ』(Bambi)がアメリカ合衆国(United States of America)で公開されました。8月19日、ジュビリー作戦(Operation Jubilee)によるディエップ襲撃(Dieppe Raid)は大きな損害を出して失敗しました。8月22日、ブラジル合衆国(United States of Brazil)はドイツ国(German Reich)とイタリア王国(Kingdom of Italy)に対する戦争状態を認めました。8月23日、スターリングラードの戦い(Battle of Stalingrad)ではドイツ国(German Reich)側の攻撃が市街地に及び、東部戦線の焦点がスターリングラード(Stalingrad)に集中しました。

この月の確認されている録音:0曲

1942年8月の録音に関する情報のまとめ

1942年8月の録音関連情報で中心になるのは、アメリカ音楽家連盟(American Federation of Musicians)が1942年8月1日から組合員による商業録音と放送用トランスクリプション録音を止めたことです。アメリカ合衆国(United States of America)の主要レコード会社は、録音禁止前の1942年7月までに作った未発売マスター、既録音の再利用、在庫、歌手中心の企画、国外録音などに依存する状況に入りました。同時に、同じ1942年8月でもアメリカ音楽家連盟(American Federation of Musicians)の管轄外にあるロンドンやカルカッタでは録音活動が確認でき、録音禁止の影響は地域と組合所属によって差がありました。

アメリカ音楽家連盟

アメリカ音楽家連盟(American Federation of Musicians)は、ジェームズ・シーザー・ペトリロ(James Caesar Petrillo, 1892–1984)のもとで、1942年8月1日からレコード会社とトランスクリプション会社向けの録音を停止させました。対象は商業レコードだけでなく、放送用に反復使用されるトランスクリプション録音にも及びました。映画用録音や私的録音など一部の例外はありましたが、レコード会社にとっては新規器楽録音の供給が急停止する措置でした。これにより、同月以降のアメリカ合衆国(United States of America)における録音産業は、録音そのものよりも既存マスターの消化、販売、契約交渉、禁止措置への対応が主な活動になりました。

アールシーエー・ヴィクター

ラジオ・コーポレーション・オブ・アメリカ(Radio Corporation of America)のアールシーエー・ヴィクター部門(RCA Victor Division)は、1942年8月1日以降、アメリカ音楽家連盟(American Federation of Musicians)に属する演奏家を用いた通常の新規器楽商業録音を行えない状態に入りました。ヴィクター・レコード(Victor Records)とブルーバード・レコード(Bluebird Records)は、同社系の主要レーベルとして既録音マスターと発売済み商品を中心に市場対応を続けました。1942年8月17日のトミー・ドーシー・アンド・ヒズ・オーケストラ(Tommy Dorsey and His Orchestra)による「Well, Git It!」は資料上「放送」として確認できるもので、同月の商業レコード録音とは区別して扱う必要があります。

コロムビア・レコーディング

コロムビア・レコーディング・コーポレーション(Columbia Recording Corporation)は、1942年8月の録音禁止で大きな影響を受けた主要会社の一つです。1942年夏までに、同社を含む主要レコード会社は録音禁止前の駆け込み録音で未発売マスターを確保していましたが、8月1日以降はアメリカ音楽家連盟(American Federation of Musicians)の組合員を用いた新規器楽録音を通常どおり追加できなくなりました。コロムビア・レコーディング・コーポレーション(Columbia Recording Corporation)は、その後も既録音マスター、旧録音、再発売、在庫流通によって市場供給を維持しましたが、1942年8月内に同社が通常の新規器楽商業録音を再開した事実は確認できません。

デッカ・レコード

デッカ・レコード・インコーポレイテッド(Decca Records, Inc.)は、1942年8月時点でアメリカ音楽家連盟(American Federation of Musicians)の録音禁止を受けた主要レコード会社です。デッカ・レコード・インコーポレイテッド(Decca Records, Inc.)は、録音禁止前に確保したマスターと発売済み商品を使って流通を継続しました。『ザ・ビルボード』(The Billboard)1942年8月15日号では、ローレンス・ウェルク(Lawrence Welk, 1903–1992)のデッカ・レコード(Decca Records)盤が小売店や音楽機械業者の間で動いていることが確認でき、録音停止下でも販売面の動きは続いていました。デッカ・レコード・インコーポレイテッド(Decca Records, Inc.)と同社のワールド・ブロードキャスティング・システム(World Broadcasting System)がアメリカ音楽家連盟(American Federation of Musicians)と契約して録音再開へ進むのは、1943年9月以降です。

キャピトル・レコード

キャピトル・レコード・インコーポレイテッド(Capitol Records, Inc.)は、1942年7月1日に最初の9枚のレコードを発売した直後に、1942年8月1日の録音禁止を迎えました。同社は西海岸を拠点にした新興レーベルとして販売を始めていましたが、録音禁止の時点で利用できるマスター数は限られていました。したがって、1942年8月のキャピトル・レコード・インコーポレイテッド(Capitol Records, Inc.)は、新規器楽録音を拡大する段階ではなく、発売済み商品と録音禁止前のマスターを使って初期カタログを維持する段階でした。初期盤にはポール・ホワイトマン・アンド・ヒズ・オーケストラ(Paul Whiteman and His Orchestra)、フレディ・スラック・アンド・ヒズ・オーケストラ(Freddie Slack and His Orchestra)、ジョニー・マーサー(Johnny Mercer, 1909–1976)らの録音が含まれていました。

クラシック・レコード社とヒット・レーベル

クラシック・レコード社(Classic Record Company)とヒット・レーベル(Hit label)は、イーライ・オーバースタイン(Eli Oberstein, 1901–1960)が関与した小規模レーベルとして、1942年の録音禁止期に例外的な動きを見せました。資料では、ヒット・レーベル(Hit label)が1942年に導入され、アメリカ音楽家連盟(American Federation of Musicians)の録音禁止下でも新譜供給が続いたため、録音の出所をめぐって問題化したことが確認できます。ただし、1942年8月内の特定日に同社がどのセッションを行ったかまでは確定できません。そのため、1942年8月ページでは、同社を録音禁止下で新譜供給をめぐる疑義が生じた小規模レーベルとして扱うのが適切です。

コロムビア系国外録音

1942年8月の国外録音では、アメリカ音楽家連盟(American Federation of Musicians)の録音禁止とは別に、エレクトリック・アンド・ミュージカル・インダストリーズ社(Electric and Musical Industries Ltd.)系のコロムビア・レーベル(Columbia label)で録音が確認できます。ロンドンでは、1942年8月19日にナット・ゴネラ・アンド・ヒズ・ジョージアンズ(Nat Gonella and His Georgians)が「Jingle, Jangle, Jingle」を録音し、Col FB-2851として確認できます。カルカッタでは、1942年8月ごろ、テディ・ウェザーフォード(Teddy Weatherford, 1903–1945)が「Blues In The Night」「Basin Street Blues」「Memphis Blues」「St. Louis Blues」を録音した記録があります。ただし、カルカッタ録音は「1942年8月ごろ」とされるため、日付を特定して断定することはできません。