1942年2月に録音された音楽

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1942年2月に録音された音楽

1942年2月は、第二次世界大戦(Second World War)の拡大が政治・軍事・社会制度・報道を大きく動かした月です。1日、アメリカ合衆国(United States of America)の国際放送ボイス・オブ・アメリカ(Voice of America)が放送を開始しました。9日、アメリカ合衆国(United States of America)では戦時時間(War Time)が導入されました。15日、シンガポールの戦い(Battle of Singapore)で連合国軍(Allied forces)が大日本帝国(Empire of Japan)側に降伏し、東南アジアの戦局は大きく変化しました。19日にはオーストラリア連邦(Commonwealth of Australia)のダーウィン空襲(Bombing of Darwin)と、フランクリン・デラノ・ルーズベルト(Franklin Delano Roosevelt, 1882–1945)による大統領令9066号(Executive Order 9066)が重なり、戦争は民間社会の統制にも及びました。24日、ユダヤ難民船ストルマ(MV Struma)が黒海で沈没しました。同日–25日にはロサンゼルスの戦い(Battle of Los Angeles)が起き、27日にはジャワ海海戦(Battle of the Java Sea)が始まりました。

この月の確認されている録音:0曲

1942年2月の録音に関する情報のまとめ

1942年2月の録音関連資料では、アメリカ合衆国(United States of America)の主要レーベルを中心に、戦時色の強い曲、ビッグバンド録音、ポピュラー歌手の録音、カントリー系録音の動きが確認できます。1942年8月に始まるアメリカ音楽家連盟(American Federation of Musicians)の録音禁止以前であり、同年2月時点では複数社が通常の商業録音を継続していました。一方で、当月の資料から直接確認できる範囲はレーベル・録音日・発売番号ごとに偏りがあるため、以下では1942年2月の録音または同月時点の販売・流通活動を確認できる企業・系列レーベルに絞ります。

ブルーバード・レコード

アールシーエー・マニュファクチャリング社(RCA Manufacturing Co., Inc.)傘下のブルーバード・レコード(Bluebird Records)では、1942年2月10日、グレン・ミラー・アンド・ヒズ・オーケストラ(Glenn Miller and His Orchestra)の「Chattanooga Choo Choo」に対し、アールシーエー・ヴィクター(RCA Victor)側から金色に塗装された記念盤が贈られました。これは後年のアメリカレコード協会(Recording Industry Association of America)による公式認定制度ではありませんが、販売実績を視覚的に表彰する「ゴールド・レコード」慣行の初期例として重要です。同じブルーバード・レコード(Bluebird Records)では、1942年2月18日にグレン・ミラー・アンド・ヒズ・オーケストラ(Glenn Miller and His Orchestra)が「Don’t Sit Under the Apple Tree」「The Lamplighter’s Serenade」「When Johnny Comes Marching Home」などを録音しました。また、ダイナ・ショア(Dinah Shore, 1916–1994)の「Blues in the Night」も、ブルーバード・レコード(Bluebird Records)盤として同月の市場で存在感を持っていました。

アールシーエー・ヴィクター

アールシーエー・マニュファクチャリング社(RCA Manufacturing Co., Inc.)のアールシーエー・ヴィクター(RCA Victor)では、1942年2月19日にトミー・ドーシー・アンド・ヒズ・オーケストラ(Tommy Dorsey and His Orchestra)がハリウッドで録音セッションを行いました。このセッションには「Snootie Little Cutie」「Poor You」「I’ll Take Tallulah」「The Last Call for Love」「Not So Quiet, Please」が含まれ、フランク・シナトラ(Frank Sinatra, 1915–1998)、コニー・ヘインズ(Connie Haines, 1921–2008)、ザ・パイド・パイパーズ(The Pied Pipers)などの参加が確認できます。さらに、1942年2月26日にはデューク・エリントン・アンド・ヒズ・フェイマス・オーケストラ(Duke Ellington and His Famous Orchestra)のヴィクター録音セッションがあり、「What Am I Here For?」「I Don’t Mind」「Someone」が確認できます。録音地については資料間でニューヨークとシカゴの表記差があります。

コロムビア・レコード

コロムビア・レコーディング社(Columbia Recording Corporation)系では、1942年2月10日にビリー・ホリデイ・ウィズ・テディ・ウィルソン・オーケストラ(Billie Holiday with Teddy Wilson Orchestra)のニューヨーク録音セッションが確認できます。同セッションでは「Wherever You Are」「Mandy Is Two」「It’s a Sin to Tell a Lie」「Until the Real Thing Comes Along」が記録されています。1942年2月12日には、ケイト・スミス(Kate Smith, 1907–1986)が「Blues in the Night」を録音し、コロムビア・レコード(Columbia Records)36534として確認できます。コロムビア・レコード(Columbia Records)では、戦時下の大衆歌謡、映画由来の人気曲、既存スタンダードの再録が同月の録音活動に並んでいました。

オーケー・レコード

コロムビア・レコーディング社(Columbia Recording Corporation)系のオーケー・レコード(OKeh Records)では、1942年2月20日にテッド・ダファンズ・テキサンズ(Ted Daffan’s Texans)がハリウッドで「Born to Lose」と「No Letter Today」を録音しました。両曲はオーケー・レコード(OKeh Records)6706として後に発売され、1943年のカントリー系市場で大きな成功を収めました。1942年2月の時点では発売実績ではなく録音活動として扱うのが適切ですが、後年のヒルビリー、ウェスタン・スウィング、ホンキー・トンク系の流れを考えるうえで重要な録音です。

デッカ・レコード・インコーポレイテッド

デッカ・レコード・インコーポレイテッド(Decca Records, Inc.)では、1942年2月14日付の『ビルボード』(The Billboard)で、ウディ・ハーマン・アンド・ヒズ・オーケストラ(Woody Herman and His Orchestra)の「Blues in the Night」が小売売上表の上位に達していたことが確認できます。この録音自体は1941年のものですが、1942年2月時点で同社の主要販売盤として市場に残っていました。また、ジミー・ランスフォード・アンド・ヒズ・オーケストラ(Jimmie Lunceford and His Orchestra)のデッカ・レコード(Decca Records)盤「Blues in the Night」も同月の同曲競作の一部でした。1942年2月27日には、テリー・シャンド・アンド・ヒズ・オーケストラ(Terry Shand and His Orchestra)が「Shhh, It’s a Military Secret」を録音し、デッカ・レコード(Decca Records)4284として1942年4月発売の資料が確認できます。