1942年1月に録音された音楽

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1942年1月に録音された音楽

1942年1月は、第二次世界大戦(World War II)が連合国の共同戦争体制と太平洋戦線の拡大を同時に進めた月です。1月1日、ワシントンで連合国共同宣言(Declaration by United Nations)が署名され、26か国が枢軸国(Axis Powers)との戦争継続と単独講和拒否を掲げました。フィリピンでは日本軍の攻勢により、アメリカ合衆国極東陸軍(United States Army Forces in the Far East)とフィリピン・コモンウェルス軍(Philippine Commonwealth Army)がバターン半島(Bataan Peninsula)で防衛戦を続けました。マラヤでは1月11日にクアラルンプール(Kuala Lumpur)が日本軍に占領され、シンガポール方面の危機が深まりました。アメリカ合衆国(United States of America)では、1月12日に全国戦時労働委員会(National War Labor Board)、1月16日に戦時生産委員会(War Production Board)が設置され、労働と生産の戦時統制が強化されました。1月20日にはヴァンゼー会議(Wannsee Conference)が開かれ、ナチス・ドイツ(Nazi Germany)によるヨーロッパ・ユダヤ人殺害政策の行政調整が行われました。文化面では、1月29日に英国放送協会(British Broadcasting Corporation)のデザート・アイランド・ディスクス(Desert Island Discs)が初放送されました。

この月の確認されている録音:0曲

1942年1月の録音に関する情報のまとめ

1942年1月のアメリカ合衆国の録音関連資料では、主要レコード会社が戦時下でも商業録音、発売、宣伝を継続していたことが確認できます。アメリカ音楽家連盟(American Federation of Musicians)による商業録音禁止は1942年8月開始であり、1月時点では大手会社と独立系会社の録音活動がなお継続していました。当月は、ビッグバンド、映画主題歌、戦時下の大衆歌謡、独立系ジャズ録音、フォーク系記録録音が併存しており、録音禁止直前期の市場の広がりがうかがえます。

アールシーエー・ビクター/ブルーバード

アールシーエー・マニュファクチャリング社(RCA Manufacturing Co., Inc.)のアールシーエー・ヴィクター部門(RCA-Victor Division)とブルーバード・レコード(Bluebird Records)では、1942年1月もポピュラー音楽とダンス音楽の録音活動が続いていました。グレン・ミラー・アンド・ヒズ・オーケストラ(Glenn Miller and His Orchestra)は同月に録音を行い、戦時期にも高い需要を保ったダンス・バンド路線を支えました。また、ダイナ・ショア(Dinah Shore, 1916–1994)は1月12日に「ブルース・イン・ザ・ナイト(Blues in the Night)」を録音しており、映画主題歌をめぐる1942年初頭の競作状況を示す代表例となっています。

デッカ

デッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)では、1942年1月も流行歌手とビッグバンドの録音が継続しました。ビング・クロスビー(Bing Crosby, 1903–1977)は1月27日にジョン・スコット・トロッター(John Scott Trotter, 1908–1975)楽団と「ブルース・イン・ザ・ナイト(Blues in the Night)」を録音し、同曲の大衆的浸透を担う重要な録音の一つとなりました。また、ウディ・ハーマン・アンド・ヒズ・オーケストラ(Woody Herman and His Orchestra)は1月28日に「スカイラーク(Skylark)」を録音しており、同社が1942年初頭も話題性の高い新曲を積極的に扱っていたことが確認できます。

コロンビア/オーケー

コロンビア・レコーディング・コーポレーション(Columbia Recording Corporation)は、コロンビア・レコード(Columbia Records)とオーケー・レコード(OKeh Records)を通じて、1942年1月もビッグバンドとポピュラー録音を展開しました。ベニー・グッドマン・アンド・ヒズ・オーケストラ(Benny Goodman and His Orchestra)は同月に「ジャージー・バウンス(Jersey Bounce)」を録音し、スウィング期末期の市場を代表する録音を残しました。ハリー・ジェイムス・アンド・ヒズ・オーケストラ(Harry James and His Orchestra)は1月29日に「スカイラーク(Skylark)」を録音しており、1942年初頭のコロンビア系レーベルがスター楽団を軸に商業録音を継続していたことが分かります。

コモドア

コモドア・ミュージック・ショップ(Commodore Music Shop)とコモドア・レコード社(Commodore Record Co., Inc.)では、1942年1月21日にエディ・コンドン・アンド・ヒズ・バンド(Eddie Condon and His Band)の録音セッションが行われました。このセッションは、大手会社のビッグバンド録音とは異なる、小編成ジャズを専門的に記録する独立系レーベルの活動を示しています。コモドア・レコード社(Commodore Record Co., Inc.)は、戦時下においてもコレクターやジャズ愛好者を意識した録音制作を継続していました。

アッシュ・レコーディングス

アッシュ・レコーディングス(Asch Recordings)では、1942年1月にレッドベリー(Lead Belly, 1888–1949)の録音が行われました。この録音群は、同年に展開される民謡・労働歌の記録事業と結びつくものであり、大手レコード会社の商業ポピュラー録音とは異なる方向から、戦時期アメリカの音楽文化を記録する活動として位置づけられます。モーゼス・アッシュ(Moses Asch, 1905–1986)による独立系録音活動は、1942年1月の録音史を考えるうえで重要な要素です。