1942年3月に録音された音楽

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1942年3月に録音された音楽

1942年3月は、戦争の拡大と戦時統制の強化が各地域で同時に進んだ月です。東南アジアでは、オランダ領東インド(Netherlands East Indies)のジャワ島防衛が崩れ、イギリス領ビルマ(British Burma)ではラングーン(Rangoon)が失陥しました。ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur, 1880–1964)はフィリピン(Philippines)から脱出してオーストラリア(Australia)へ到着し、連合国(Allies)の南西太平洋方面の再編が進みました。インド(India)では、スタッフォード・クリップス(Stafford Cripps, 1889–1952)によるクリップス使節団(Cripps Mission)が3月22日からデリー(Delhi)で交渉を始めました。アメリカ合衆国(United States of America)では、フランクリン・デラノ・ルーズベルト(Franklin Delano Roosevelt, 1882–1945)が3月18日に大統領令第9102号(Executive Order 9102)でアメリカ合衆国戦時転住局(War Relocation Authority)を設置しました。北米では、アラスカ・ハイウェイ(Alaska Highway)の軍事建設が始まり、アメリカ合衆国とカナダ(Canada)の建設合意も3月17日–18日に結ばれました。ヨーロッパでは、3月27日にフランス(France)のコンピエーニュ通過収容所(Compiègne transit camp)からアウシュヴィッツ強制収容所(Auschwitz Concentration Camp)へ第1護送列車が出発し、3月28日にはイギリス(United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)がドイツ占領下のサン=ナゼール(Saint-Nazaire)でチャリオット作戦(Operation Chariot)を実行しました。

この月の確認されている録音:0曲

1942年3月の録音に関する情報のまとめ

1942年3月のアメリカ合衆国の録音・レコード産業では、大手会社が戦時下の流行歌、ダンス・バンド、ジャズ、愛国歌、娯楽歌の録音と発売を継続する一方、西海岸では新しいレーベル設立の動きも進みました。デッカ・レコード、コロムビア・レコーディング・コーポレーション、ラジオ・コーポレーション・オブ・アメリカのアールシーエー・ビクター部門では、1942年3月中の録音セッションを確認できます。また、ジャズ・マン・レコード・ショップは、伝統的ジャズ復興の文脈でルー・ワターズ関連の録音を行い、後のキャピトル・レコードにつながるリバティ・レコードの設立手続きも当月に進みました。

デッカ

デッカ・レコード(Decca Records, Inc.)では、1942年3月にダンス・バンド、女性歌手、戦時色のあるポピュラー曲を含む録音が続きました。代表的な動きとして、ボブ・クロスビー・アンド・ヒズ・オーケストラ(Bob Crosby and His Orchestra)による「Don’t Sit Under The Apple Tree」、ジミー・ドーシー・アンド・ヒズ・オーケストラ(Jimmy Dorsey and His Orchestra)関連の複数セッション、エラ・フィッツジェラルド(Ella Fitzgerald, 1917–1996)やマキシン・サリヴァン(Maxine Sullivan, 1911–1987)の録音が確認できます。曲名には「Keep ’Em Flying」や「Hats Off To MacArthur」なども含まれ、戦時下の主題が大衆音楽の録音にも反映されていました。

コロムビア

コロムビア・レコーディング・コーポレーション(Columbia Recording Corporation)では、1942年3月にポピュラー、ジャズ、カントリー系の録音が確認できます。ケイト・スミス(Kate Smith, 1907–1986)による「We’ll Meet Again」、ベニー・グッドマン・セクステット(Benny Goodman Sextet)とベニー・グッドマン・アンド・ヒズ・オーケストラ(Benny Goodman and His Orchestra)の録音、ジーン・オートリー(Gene Autry, 1907–1998)の録音などが当月の重要な動きです。コロムビア・レコーディング・コーポレーションは、戦時期の大衆歌とダンス音楽を供給しながら、ベニー・グッドマン関連の小編成ジャズ録音も継続していました。

ラジオ・コーポレーション・オブ・アメリカ

ラジオ・コーポレーション・オブ・アメリカ(Radio Corporation of America)アールシーエー・ビクター部門(RCA Victor Division)の低価格レーベル、ブルーバード(Bluebird)では、1942年3月にダンス・バンドとジャズ系録音が継続されました。代表的な録音として、アルヴィノ・レイ・アンド・ヒズ・オーケストラ(Alvino Rey and His Orchestra)、ヴォーン・モンロー・アンド・ヒズ・オーケストラ(Vaughn Monroe and His Orchestra)、アール・ハインズ・アンド・ヒズ・オーケストラ(Earl Hines and His Orchestra)などのセッションが確認できます。とくにファッツ・ウォーラー・アンド・ヒズ・リズム(Fats Waller and His Rhythm)の「The Jitterbug Waltz」は、当月のブルーバード録音のなかでも後年まで言及される重要な録音です。

ジャズ・マン・レコード・ショップ

ジャズ・マン・レコード・ショップ(Jazz Man Record Shop)は、1942年3月にサンフランシスコ(San Francisco)でルー・ワターズ(Lu Watters, 1911–1989)関連の録音を行いました。3月22日にはルー・ワターズ、ウォリー・ローズ(Wally Rose, 1913–1997)らの小編成録音が行われ、3月29日にはルー・ワターズ・イェルバ・ブエナ・ジャズ・バンド(Lu Watters’ Yerba Buena Jazz Band)の録音が確認できます。大手会社の戦時ポピュラー録音とは別に、ジャズ・マン・レコード・ショップは地域の専門店・小レーベルを基盤に、ニューオーリンズ系ジャズの復興的録音を進めていました。

リバティ・レコード

1942年3月には、ジョニー・マーサー(Johnny Mercer, 1909–1976)、バディ・デシルヴァ(Buddy DeSylva, 1895–1950)、グレン・ウォリックス(Glenn Wallichs, 1910–1971)による新レーベル設立の動きも確認できます。後のキャピトル・レコード(Capitol Records)につながるこの事業は、3月27日にリバティ・レコード(Liberty Records)として設立手続きが進んだとされ、同年春にキャピトル・レコードへ改称されました。1942年3月時点では録音セッションそのものよりも会社設立段階の動きですが、東海岸中心だったアメリカ合衆国の大手レコード産業に対し、ハリウッド(Hollywood)を基盤とする西海岸レーベルが成立していく出発点として重要です。初期録音は1942年4月以降に確認されるため、3月の段階で録音済みとは断定できません。