1942年5月に録音された音楽

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1942年5月に録音された音楽

1942年5月は、第二次世界大戦(Second World War)が複数地域で拡大した月です。1942年5月4日–8日のコーラル・シー海戦(Battle of the Coral Sea)では、日本軍のポートモレスビー(Port Moresby)攻略が中止されました。1942年5月6日にはジョナサン・メイヒュー・ウェインライト四世(Jonathan Mayhew Wainwright IV, 1883–1953)がコレヒドール(Corregidor)で降伏し、フィリピン防衛戦が終結しました。北アフリカでは1942年5月26日にガザラの戦い(Battle of Gazala)が始まり、リビア戦線の情勢が大きく動きました。アメリカ合衆国(United States of America)では1942年5月15日に女性陸軍補助部隊(Women’s Army Auxiliary Corps)が設置され、同日、東部17州でガソリン配給制が始まりました。1942年5月22日にはメキシコ合衆国(United Mexican States)が枢軸国(Axis Powers)に対する戦争状態を宣言しました。1942年5月31日夜には大日本帝国海軍(Imperial Japanese Navy)の特殊潜航艇がシドニー港攻撃(Attack on Sydney Harbour)を行い、戦争がオーストラリア本土近くの都市生活圏にも及びました。

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1942年5月の録音に関する情報のまとめ

1942年5月の録音業界では、戦時下のシェラック使用制限を背景に、レコード会社の価格帯、レーベル運用、発売計画が変化していました。大手ではデッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)、コロムビア・レコーディング社(Columbia Recording Corporation)、ラジオ・コーポレーション・オブ・アメリカ(Radio Corporation of America)のアールシーエー・ヴィクター(RCA Victor)が制作・販売を続けました。一方、後にキャピトル・レコード社(Capitol Records, Inc.)となるリバティ・レコード(Liberty Records)は社名変更と販売網整備を進め、ビーコン・レコード社(Beacon Record Company)やクラシック・レコード社(Classic Record Company)のヒット・レコード(Hit Records)も独立系レーベルとして市場に現れました。

キャピトル・レコード

後にキャピトル・レコード社(Capitol Records, Inc.)となるリバティ・レコード(Liberty Records)は、1942年5月に創業直後の体制整備を進めていました。同社は1942年4月にリバティ・レコードとして法人化され、1942年5月27日に名称変更の修正証明書を提出し、1942年6月1日にキャピトル・レコードへの変更が承認されました。1942年5月は、録音制作、社名変更、販売網準備が並行した時期でした。創業者として、ジョニー・マーサー(Johnny Mercer, 1909–1976)、バディ・デシルヴァ(Buddy DeSylva, 1895–1950)、グレン・ウォーリックス(Glenn Wallichs, 1910–1971)が確認されています。

デッカ・レコード

デッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)は、1942年5月も主要歌手・楽団の録音と発売活動を続けました。1942年5月29日には、ビング・クロスビー・ウィズ・ケン・ダービー・シンガーズ・アンド・ジョン・スコット・トロッター・アンド・ヒズ・オーケストラ(Bing Crosby with Ken Darby Singers and John Scott Trotter and His Orchestra)が「ホワイト・クリスマス(White Christmas)」をデッカ・レコード社で録音しました。楽曲はアーヴィング・バーリン(Irving Berlin, 1888–1989)の作品で、1942年7月30日に発売されました。デッカ・レコード社は、シェラック削減に伴う価格帯再編のなかで、主要アーティストを標準価格帯へ移す動きを進めていました。

アールシーエー・ヴィクター

ラジオ・コーポレーション・オブ・アメリカ(Radio Corporation of America)のアールシーエー・ヴィクター(RCA Victor)は、1942年5月もヴィクター(Victor)およびブルーバード(Bluebird)系の録音・発売を続けました。1942年5月20日には、グレン・ミラー・アンド・ヒズ・オーケストラ(Glenn Miller and His Orchestra)が、カリフォルニア州ハリウッドのヴィクター・スタジオ(Victor Studios)で「(I’ve Got a Gal In) Kalamazoo」を録音しました。この録音は、映画『オーケストラの妻たち(Orchestra Wives)』と結びつき、1942年後半に大きなヒットとなりました。アールシーエー・ヴィクターは、戦時下のレコード材料削減に対応しながら、主要ラインと廉価ラインの運用を続けていました。

コロムビア/オーケー

コロムビア・レコーディング社(Columbia Recording Corporation)は、1942年5月時点でコロムビア(Columbia)本体とオーケー・レコード(Okeh Records)系のラインを戦時下の条件に合わせて運用していました。アメリカ議会図書館(Library of Congress)のジョン・D・リード文書(John D. Reid Papers)には「New Okeh records, May 1942」が残されており、同月のオーケー・レコード新譜資料が確認できます。1942年5月18日付のタイム(Time)では、シェラック削減に伴うレーベル再編の一環として、コロムビア・レコーディング社によるオーケー・レコードの扱いが報じられました。1942年5月は、オーケー・レコードの新譜告知と、戦時統制に伴うレーベル整理が重なった時期でした。

ビーコン・レコード

ビーコン・レコード社(Beacon Record Company)は、1942年に市場へ現れた独立系レーベルです。1942年5月9日号のビルボード(The Billboard)には、ビーコン・レコード関連のレビューと動向が掲載されました。後年のレーベル情報では、ビーコン・レコード社の商標使用開始日が1942年5月22日とされています。1942年5月は、ビーコン・レコード社が戦時下のレコード市場に参入した初期段階にあたります。

クラシック・レコード

クラシック・レコード社(Classic Record Company)は、1942年にヒット・レコード(Hit Records)を通じて廉価・時事性の強いレコード市場へ参入しました。ビルボード(The Billboard)1942年5月9日号には、ヒット・レコード関連の広告・告知が掲載されています。ヒット・レコードは、エリ・オーバースタイン(Eli Oberstein, 1901–1960)が関わった独立系レーベル群の一部として扱われます。1942年5月のクラシック・レコード社は、大手各社がシェラック削減に対応してレーベル構成を整理するなか、流行曲を素早く商品化する独立系レーベルとして動いていました。