1942年11月に録音された音楽

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1942年11月に録音された音楽

1942年11月は、第二次世界大戦(World War II)の戦局と戦時社会の方向性が大きく動いた月です。北アフリカでは11月4日に第二次エル・アラメインの戦い(Second Battle of El Alamein)が終結し、11月8日にはトーチ作戦(Operation Torch)として連合軍がフランス領北アフリカへ上陸しました。これを受けて、ドイツ国(German Reich)とイタリア王国(Kingdom of Italy)は11月11日にアントン作戦(Case Anton)を実行し、フランス国(French State)の未占領地域を占領しました。太平洋では11月12日–15日にガダルカナル海戦(Naval Battle of Guadalcanal)が行われ、ソロモン諸島方面の戦局に大きな影響を与えました。東部戦線では11月19日にウラヌス作戦(Operation Uranus)が始まり、スターリングラード方面の攻防は転換点を迎えました。北米では11月20日にアラスカ・ハイウェイ(Alaska Highway)が軍用交通に正式開通し、戦時輸送網の整備が進みました。イギリスではウィリアム・ベヴァリッジ(William Beveridge, 1879–1963)による『社会保険および関連サービス』(Social Insurance and Allied Services)が公表され、戦後福祉国家構想の重要な基礎となりました。文化面では映画『カサブランカ』(Casablanca)が11月26日にニューヨークで初公開され、社会面では11月28日にボストンのココナット・グローヴ火災(Cocoanut Grove fire)が発生し、492人が死亡しました。

この月の確認されている録音:0曲

1942年11月の録音に関する情報のまとめ

1942年11月の米国録音産業は、アメリカ音楽家連盟(American Federation of Musicians)が1942年8月1日に開始した商業録音禁止の影響下にありました。大手レコード会社では、禁止開始前に録音されたマスターの発売・販売が重要性を増し、既存録音の流通、人気盤の継続販売、廉価レーベルや独立系レーベルの動きが目立ちました。デッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)では『ホワイト・クリスマス』(White Christmas)が大きな需要を集め、コロムビア・レコーディング社(Columbia Recording Corporation)やアールシーエー・マニュファクチャリング社(RCA Manufacturing Co., Inc.)系の既存ヒット盤も市場で強い存在感を保ちました。さらに、サヴォイ・レコード社(Savoy Record Company)の参入や、クラシック・レコード社(Classic Record Company)のヒット・レコード(Hit Records)をめぐる報道は、録音禁止下で独立系事業者が存在感を高めつつあったことを示しています。

デッカ・レコード

デッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)は、1942年11月の米国レコード市場で、ビング・クロスビー(Bing Crosby, 1903–1977)の『ホワイト・クリスマス』(White Christmas)を中心に大きな販売成果を上げました。同曲は1942年5月29日に録音され、デッカ 18429として発売されました。録音クレジットは、ビング・クロスビー・ウィズ・ケン・ダービー・シンガーズ・アンド・ジョン・スコット・トロッター・アンド・ヒズ・オーケストラ(Bing Crosby with Ken Darby Singers and John Scott Trotter and His Orchestra)です。1942年11月には季節需要の拡大とともに同盤の人気が急伸し、『ビルボード』(The Billboard)の同月資料でも重要なヒット盤として扱われました。

サヴォイ・レコード

サヴォイ・レコード社(Savoy Record Company)は、1942年11月にニュージャージー州ニューアーク(Newark, New Jersey)から新たに市場へ参入しました。1942年11月14日の『ビルボード』(The Billboard)は、同社が発売準備済みのレコードを5枚そろえて業界に登場したと報じています。同社は、戦時下の素材事情を意識しつつ、既存盤の単純な再利用ではない商品展開を訴求しました。ハーマン・ルビンスキー(Herman Lubinsky, 1896–1974)が関与したサヴォイ・レコード社(Savoy Record Company)の登場は、1940年代の独立系レーベル拡大を考えるうえで重要な出来事です。

キャピトル・レコード

キャピトル・レコード社(Capitol Records, Inc.)は、1942年に創設された新興レーベルとして、録音禁止下の11月も活動を続けました。同社はジョニー・マーサー(Johnny Mercer, 1909–1976)、バディ・デシルヴァ(Buddy DeSylva, 1895–1950)、グレン・ウォリックス(Glenn Wallichs, 1910–1971)によって設立され、同年夏までに多数の初期録音を確保していました。1942年11月には、こうした既存マスターに支えられた発売・販売活動が継続し、録音禁止下でも新興レーベルとして市場での存在感を維持しました。

クラシック・レコード社のヒット・レコード

クラシック・レコード社(Classic Record Company)のヒット・レコード(Hit Records)は、1942年の録音禁止下で注目を集めた廉価盤ブランドです。1942年11月1日号の『ダウン・ビート』(Down Beat)は、エリ・オーバースタイン(Eli Oberstein, 1901–1960)が率いる同社の盤について、メキシコで制作されたマスターを使用したとする説明と、アメリカ音楽家連盟(American Federation of Musicians)側の問題視を報じました。記事では、ジョニー・ジョーンズ・アンド・ヒズ・オーケストラ(Johnny Jones and His Orchestra)名義の『アイ・ハッド・ザ・クレイジエスト・ドリーム』(I Had the Craziest Dream)や『ムーンライト・ムード』(Moonlight Mood)、アーサー・フィールズ・ウィズ・オーケストラ(Arthur Fields with Orchestra)名義の『ダー・フューラーズ・フェイス』(Der Fuehrer’s Face)などが取り上げられています。

アールシーエー・マニュファクチャリング

アールシーエー・マニュファクチャリング社(RCA Manufacturing Co., Inc.)系のヴィクター(Victor)とブルーバード(Bluebird)は、1942年11月も既存録音を中心に米国市場で強い存在感を保ちました。グレン・ミラー・アンド・ヒズ・オーケストラ(Glenn Miller and His Orchestra)の『カラマズー』((I’ve Got a Gal In) Kalamazoo)や『セレナーデ・イン・ブルー』(Serenade in Blue)は、録音禁止前に制作された盤として11月の人気資料に現れています。録音産業全体が新規制作を制限されるなか、アールシーエー・マニュファクチャリング社(RCA Manufacturing Co., Inc.)は、戦前から続く強力な商品群を背景に販売活動を継続しました。

コロムビア・レコーディング

コロムビア・レコーディング社(Columbia Recording Corporation)は、1942年11月の市場で戦時色の強い人気盤を展開しました。ケイ・カイザー・アンド・ヒズ・オーケストラ(Kay Kyser and His Orchestra)の『プレイズ・ザ・ロード・アンド・パス・ジ・アミュニション』(Praise the Lord and Pass the Ammunition)は、1942年秋に大きな注目を集めた盤であり、同年11月の『ビルボード』(The Billboard)でも主要ヒットの一つとして扱われました。録音禁止下の同月、コロムビア・レコーディング社(Columbia Recording Corporation)は、戦時世相と結びついた既存録音の販売を通じて市場での存在感を保ちました。