1943年4月に録音された音楽
1943年4月、第二次世界大戦(Second World War)は軍事、外交、社会、文化に大きな影響を及ぼしました。4月19日、ドイツ占領下ポーランドのワルシャワ・ゲットー(Warsaw Ghetto)でワルシャワ・ゲットー蜂起(Warsaw Ghetto Uprising)が始まり、住民の武装抵抗は5月まで続きました。4月にはカチンの森虐殺(Katyn Forest Massacre)をめぐる問題が国際化し、ポーランド亡命政府(Polish Government-in-Exile)とソビエト社会主義共和国連邦(Union of Soviet Socialist Republics)の関係は断絶へ進みました。4月18日、ソロモン諸島方面で山本五十六(1884–1943)がアメリカ合衆国陸軍航空軍(United States Army Air Forces)の復讐作戦(Operation Vengeance)により死亡しました。4月19日–28日にはバミューダ会議(Bermuda Conference)が開かれ、イギリス政府とアメリカ合衆国政府が難民救済を協議しました。4月13日には、ワシントンD.C.でフランクリン・デラノ・ルーズベルト(Franklin Delano Roosevelt, 1882–1945)がトーマス・ジェファーソン(Thomas Jefferson, 1743–1826)生誕200年に合わせてジェファーソン記念館(Thomas Jefferson Memorial)を献堂しました。科学では、アルバート・ホフマン(Albert Hofmann, 1906–2008)が4月19日にリゼルグ酸ジエチルアミド(Lysergic Acid Diethylamide)を自己投与し、その精神作用を記録しました。アメリカ合衆国では炭鉱労使対立も拡大し、4月には瀝青炭鉱労働者約90,000人の停止が記録され、5月以降の大規模停止につながりました。
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1943年4月の録音に関する情報のまとめ
1943年4月のアメリカ合衆国の商業録音・レコード市場は、1942年8月1日から続くアメリカン・フェデレーション・オブ・ミュージシャンズ(American Federation of Musicians)の録音禁止の影響下にありました。主要レコード会社は、器楽奏者を伴う通常の新規録音を大きく制約され、1942年以前に録音された未発売マスター、再発売、既存マスターの宣伝、歌手・声楽グループを中心とする録音、販売チャート上の動向によって市場を維持しました。1943年4月の資料上で確認できる重要な動きは、当月に新しく録音された作品の量ではなく、録音禁止下で各社が既存資産をどのように商品化し、販売につなげたかにあります。
アールシーエー・ヴィクター
ラジオ・コーポレーション・オブ・アメリカ(Radio Corporation of America)のアールシーエー・ヴィクター(RCA Victor)は、1943年4月の市場で、録音禁止以前のマスターや既存録音を販売面で活用していました。ビルボード(Billboard)の1943年4月各号の音楽人気表では、ヴィクター(Victor)盤が継続的に扱われ、トミー・ドーシー・アンド・ヒズ・オーケストラ(Tommy Dorsey and His Orchestra)の「ゼア・アー・サッチ・シングス(There Are Such Things)」や、グレン・ミラー・アンド・ヒズ・オーケストラ(Glenn Miller and His Orchestra)の「ザット・オールド・ブラック・マジック(That Old Black Magic)」など、録音禁止前後の既存マスターが1943年春の小売市場で存在感を保っていました。また、映画『カサブランカ(Casablanca)』の影響で再注目された「アズ・タイム・ゴーズ・バイ(As Time Goes By)」について、ニューヨーカー(The New Yorker)1943年4月24日号は、ルディ・ヴァリー(Rudy Vallée, 1901–1986)の旧録音が市場に戻った状況を伝えています。
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-All-Music/Billboard/40s/1943/Billboard%201943-04-17.pdf
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-All-Music/Billboard/40s/1943/Billboard%201943-04-24.pdf
- https://www.newyorker.com/magazine/1943/04/24/old-song-2
コロムビア・レコーディング・コーポレーション
コロムビア・レコーディング・コーポレーション(Columbia Recording Corporation)は、1943年4月の販売チャート上で強い存在感を示しました。ビルボード(Billboard)の1943年4月各号では、ハリー・ジェイムス・アンド・ヒズ・オーケストラ(Harry James and His Orchestra)の「アイヴ・ハード・ザット・ソング・ビフォア(I’ve Heard That Song Before)」が小売市場の中心的なヒットとして扱われています。同録音は1942年7月31日の録音とされ、1943年4月に新たに録音されたものではありませんが、録音禁止下でコロムビア・レコーディング・コーポレーション(Columbia Recording Corporation)が既存マスターを主力商品として維持した例として重要です。同社系のオーケー・レコード(Okeh Records)では、アル・デクスター・アンド・ヒズ・トゥルーパーズ(Al Dexter and His Troopers)の「ピストル・パッキン・ママ(Pistol Packin’ Mama)」/「ロザリータ(Rosalita)」が1943年春のヒルビリー市場を大きく押し上げる盤となりましたが、録音日は1942年とされるため、1943年4月録音とは扱いません。
- https://hdl.loc.gov/loc.mbrsrs/eadmbrs.rs005002.3
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-All-Music/Billboard/40s/1943/Billboard%201943-04-10%20B.pdf
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-All-Music/Billboard/40s/1943/Billboard%201943-04-17.pdf
デッカ・レコード
デッカ・レコード(Decca Records, Inc.)は、1943年4月時点ではアメリカン・フェデレーション・オブ・ミュージシャンズ(American Federation of Musicians)との全面的な和解前にありましたが、歌手・声楽グループを中心とする商品展開と既存マスターの販売により市場で活動を続けていました。インク・スポッツ(The Ink Spots)による「ドント・ゲット・アラウンド・マッチ・エニモア(Don’t Get Around Much Anymore)」および関連盤は、1943年春の黒人音楽市場と大衆市場の双方で注目されたデッカ・レコード(Decca Records, Inc.)の重要商品でした。録音禁止の対象は主に器楽奏者であったため、1943年の商業録音では、歌手や声楽グループを中心にした録音・発売が相対的に重要になりました。デッカ・レコード(Decca Records, Inc.)がアメリカン・フェデレーション・オブ・ミュージシャンズ(American Federation of Musicians)と和解して通常録音を再開するのは1943年9月以降であり、1943年4月の段階ではまだ移行前の市場活動として扱う必要があります。
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-All-Music/Billboard/40s/1943/Billboard%201943-04-10%20B.pdf
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-All-Music/Billboard/40s/1943/Billboard%201943-04-24.pdf
- https://exhibitions.lib.umd.edu/songsofwar/wwii/currents/recording-ban
キャピトル・レコード
キャピトル・レコード(Capitol Records)は、1942年に新興レーベルとして始動した後、1943年春の市場でも録音禁止下の環境に置かれていました。1943年4月の時点では、アメリカン・フェデレーション・オブ・ミュージシャンズ(American Federation of Musicians)との和解前であり、器楽奏者を伴う通常の新規録音を自由に行える状態ではありませんでした。それでも、ポール・ホワイトマン・アンド・ヒズ・オーケストラ(Paul Whiteman and His Orchestra)名義でビリー・ホリデイ(Billie Holiday, 1915–1959)が歌った「トラヴリン・ライト(Trav’lin’ Light)」など、1942年録音の既存商品は1943年のリズム・アンド・ブルース系統の市場で参照され続けました。キャピトル・レコード(Capitol Records)がアメリカン・フェデレーション・オブ・ミュージシャンズ(American Federation of Musicians)と合意するのは1943年10月以降であり、4月時点の動きは既存マスターと販売継続を中心に見るのが適切です。
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-All-Music/Billboard/40s/1943/Billboard%201943-Year-Book.pdf
- https://exhibitions.lib.umd.edu/songsofwar/wwii/currents/recording-ban
- https://downbeat.com/news/detail/the-petrillo-ban-of-194244-past-future-at-war
