1943年12月に録音された音楽
1943年12月は、第二次世界大戦(Second World War)の戦局と戦後構想が同時に動いた月です。12月1日、テヘラン会談(Tehran Conference)が終結し、フランクリン・デラノ・ルーズベルト(Franklin Delano Roosevelt, 1882–1945)、ウィンストン・チャーチル(Winston Churchill, 1874–1965)、ヨシフ・スターリン(Joseph Stalin, 1878–1953)は対ドイツ戦の共同方針を確認しました。同日、カイロ宣言(Cairo Declaration)も公表され、日本への無条件降伏要求と朝鮮(Korea)の独立方針が示されました。12月2日にはイタリアのバーリ空襲(Air Raid on Bari)が発生し、連合国側の港湾機能に大きな損害が出ました。国際連合救済復興機関(United Nations Relief and Rehabilitation Administration)の第1回理事会はアトランティックシティで閉会し、戦後救済の制度化が進みました。ヨーロッパ戦線ではオルトーナの戦い(Battle of Ortona)が激化し、12月26日の北岬沖海戦(Battle of North Cape)ではドイツの戦艦シャルンホルスト(Scharnhorst)が沈没しました。科学技術では、トミー・フラワーズ(Tommy Flowers, 1905–1998)らが開発したコロッサス(Colossus)が実用段階に入り、暗号解読用電子計算機の歴史に重要な位置を占めました。文化面では、デッカ・レコード・インコーポレイテッド(Decca Records, Inc.)によるミュージカル『オクラホマ!』(Oklahoma!)のオリジナル・ブロードウェイ・キャスト録音が発売され、舞台音楽アルバムの商業的可能性を広げました。
この月の確認されている録音:0曲
1943年12月の録音に関する情報のまとめ
1943年12月の録音関連動向は、1942年8月から続いたアメリカン・フェデレーション・オブ・ミュージシャンズ(American Federation of Musicians)の商業録音禁止を背景に整理できます。デッカ・レコード・インコーポレイテッド(Decca Records, Inc.)とキャピトル・レコード・インコーポレイテッド(Capitol Records, Inc.)は1943年秋に同団体の条件を受け入れ、同年12月には商業録音・新譜販売の再開側に立っていました。一方、コロムビア・レコーディング・コーポレーション(Columbia Recording Corporation)とラジオ・コーポレーション・オブ・アメリカ(Radio Corporation of America)のアールシーエー・ヴィクター部門(RCA Victor Division)は、同月時点では未解決の主要会社として残っていました。大手会社の動きに加えて、キーノート・レコーズ(Keynote Records)のような小規模ジャズ・レーベルや、コモドア・ミュージック・ショップ(Commodore Music Shop)などの専門店系レーベルも、1943年12月の録音文化を支える重要な存在でした。
デッカ・レコード
デッカ・レコード・インコーポレイテッド(Decca Records, Inc.)は、1943年9月にアメリカン・フェデレーション・オブ・ミュージシャンズ(American Federation of Musicians)側の条件を受け入れた会社で、1943年12月には同社の録音・新譜活動が市場に明確に現れていました。ミュージカル『オクラホマ!』(Oklahoma!)のオリジナル・ブロードウェイ・キャスト録音は、録音禁止の影響で舞台初演直後には制作できませんでしたが、1943年12月1日に発売されました。ザ・ビルボード(The Billboard)1943年12月11日号でも同作のアルバムが当月の注目盤として扱われており、デッカ・レコード・インコーポレイテッド(Decca Records, Inc.)が録音再開後の商業展開をいち早く進めていたことが確認できます。ディスコグラフィー・オブ・アメリカン・ヒストリカル・レコーディングス(Discography of American Historical Recordings)でも、1943年12月21日の同社録音が確認できます。
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-All-Music/Billboard/40s/1943/Billboard%201943-12-11.pdf
- https://rodgersandhammerstein.com/record/oklahoma/1943-original-broadway-production/
- https://adp.library.ucsb.edu/index.php/date/browse/1943-12-21
キャピトル・レコード
キャピトル・レコード・インコーポレイテッド(Capitol Records, Inc.)は、1943年10月にアメリカン・フェデレーション・オブ・ミュージシャンズ(American Federation of Musicians)側の条件を受け入れ、同年12月には録音禁止後の新譜供給側に位置していました。ザ・ビルボード(The Billboard)1943年12月25日号の小売レコード順位では、エラ・メイ・モース(Ella Mae Morse, 1924–1999)の「シュー・シュー・ベイビー」(Shoo-Shoo Baby)がキャピトル盤として上位に現れています。この曲を1943年12月録音と断定する資料は確認できないため、ここでは当月の販売・市場露出として扱います。キャピトル・レコード・インコーポレイテッド(Capitol Records, Inc.)は、録音禁止期の大手未解決会社の空白を補う新興レーベルとして、1943年末の商業レコード市場で存在感を強めていました。
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-All-Music/Billboard/40s/1943/Billboard%201943-10-16.pdf
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-All-Music/Billboard/40s/1943/Billboard%201943-12-25.pdf
- https://exhibitions.lib.umd.edu/songsofwar/wwii/currents/recording-ban
キーノート・レコーズ
キーノート・レコーズ(Keynote Records)は、1943年12月に日付を確認できる重要なジャズ録音を残しました。1943年12月28日、ニューヨークでレスター・ヤング・カルテット(Lester Young Quartet)が録音を行い、レスター・ヤング(Lester Young, 1909–1959)、ジョニー・ガルニエリ(Johnny Guarnieri, 1917–1985)、スラム・スチュワート(Slam Stewart, 1914–1987)、シド・キャトレット(Sid Catlett, 1910–1951)による「ジャスト・ユー、ジャスト・ミー」(Just You, Just Me)、「アイ・ネヴァー・ニュー」(I Never Knew)、「アフタヌーン・オブ・ア・ベイシーアイト」(Afternoon of a Basie-ite)、「サムタイムズ・アイム・ハッピー」(Sometimes I’m Happy)などが記録されました。翌12月29日には、ダイナ・ワシントン(Dinah Washington, 1924–1963)を中心とするセクステット・ウィズ・ダイナ・ワシントン(Sextet with Dinah Washington)がニューヨークで録音し、「イーヴル・ギャル・ブルース」(Evil Gal Blues)、「アイ・ノウ・ハウ・トゥ・ドゥ・イット」(I Know How to Do It)、「ソルティ・パパ・ブルース」(Salty Papa Blues)、「ホームワード・バウンド」(Homeward Bound)を残しました。これらは、大手会社の録音制約が続く時期に小規模レーベルがジャズ録音を支えた事例として重要です。
- https://www.jazzdisco.org/mercury-records/keynote-records-catalog-78rpm-500-600-1300-100-series/
- https://www.newyorker.com/magazine/1987/02/09/1987-02-09-078-tny-cards-000135697
- https://secondhandsongs.com/release/157379
コロムビア・レコーディング・コーポレーション
コロムビア・レコーディング・コーポレーション(Columbia Recording Corporation)は、1943年12月時点ではアメリカン・フェデレーション・オブ・ミュージシャンズ(American Federation of Musicians)との商業録音再開問題が未解決の主要会社として残っていました。そのため、同月の同社活動は、組合員演奏家を用いた新規商業録音ではなく、既存原盤、再発、声楽中心の録音、販売継続の文脈で扱う必要があります。ザ・ニューヨーカー(The New Yorker)1943年12月11日号では、フランク・シナトラ(Frank Sinatra, 1915–1998)関連のコロムビア盤が贈答期のレコードとして紹介されており、録音禁止期にも同社の市場露出が続いていたことが確認できます。同社がアメリカン・フェデレーション・オブ・ミュージシャンズ(American Federation of Musicians)側の条件を受け入れるのは1944年11月であり、1943年12月の新規録音再開としては扱えません。
- https://www.newyorker.com/magazine/1943/12/11/records-for-christmas
- https://mainspringpress.org/2024/11/23/the-man-who-crippled-the-recording-industry-james-caesar-petrillo-and-the-american-federation-of-musicians-recording-bans/
- https://exhibitions.lib.umd.edu/songsofwar/wwii/currents/recording-ban
アールシーエー・ヴィクター部門
ラジオ・コーポレーション・オブ・アメリカ(Radio Corporation of America)のアールシーエー・ヴィクター部門(RCA Victor Division)も、1943年12月時点ではアメリカン・フェデレーション・オブ・ミュージシャンズ(American Federation of Musicians)との録音再開問題が未解決でした。ザ・ニューヨーカー(The New Yorker)1943年12月11日号では、同部門の既存盤・アルバムが贈答期の候補として取り上げられていますが、これは当月の販売活動を示すものであり、同月に組合員演奏家を用いた新規商業録音が再開されたことを示す資料ではありません。1943年12月の同部門については、既存原盤による販売継続と、録音禁止問題の未解決状態を併記するのが妥当です。
- https://www.newyorker.com/magazine/1943/12/11/records-for-christmas
- https://mainspringpress.org/2024/11/23/the-man-who-crippled-the-recording-industry-james-caesar-petrillo-and-the-american-federation-of-musicians-recording-bans/
- https://downbeat.com/news/detail/the-petrillo-ban-of-194244-past-future-at-war
コモドア・ミュージック・ショップ
コモドア・ミュージック・ショップ(Commodore Music Shop)は、1943年12月のニューヨークの専門店系レコード市場で確認できる存在です。ザ・ニューヨーカー(The New Yorker)1943年12月11日号では、同店が自社録音を扱う専門店として紹介され、エディ・コンドン(Eddie Condon, 1905–1973)、ジェス・ステイシー(Jess Stacy, 1904–1995)、ボビー・ハケット(Bobby Hackett, 1915–1976)、ピー・ウィー・ラッセル(Pee Wee Russell, 1906–1969)、ジョー・サリヴァン(Joe Sullivan, 1906–1971)らのジャズ録音が挙げられています。資料上確認できる範囲では、これらを1943年12月録音と断定する根拠はないため、当月の専門店系レーベル販売・流通活動として扱います。大手レコード会社の録音制約が残るなか、コモドア・ミュージック・ショップ(Commodore Music Shop)のような専門店系の流通は、ジャズ録音の受容を支える役割を持っていました。
- https://www.newyorker.com/magazine/1943/12/11/records-for-christmas
- https://syncopatedtimes.com/commodore-records/
リバティ・ミュージック・ショップ
リバティ・ミュージック・ショップ(Liberty Music Shop)は、1943年12月の資料で、自社録音を扱うニューヨークの専門店として確認できます。ザ・ニューヨーカー(The New Yorker)1943年12月11日号では、サイ・ウォルター(Cy Walter, 1915–1968)、グレーテ・ケラー(Grete Keller, 1903–1977)、リー・ワイリー(Lee Wiley, 1908–1975)らの録音が紹介され、都市型の小規模レーベル・専門店が贈答期のレコード市場で存在感を持っていたことが分かります。一方、リバティ・ミュージック・ショップ(Liberty Music Shop)の新規録音は1941年末または1942年初め以後確認されていないとされるため、1943年12月の当月録音としては扱わず、販売・流通上の活動として整理します。
- https://www.newyorker.com/magazine/1943/12/11/records-for-christmas
- https://adp.library.ucsb.edu/index.php/labels/detail/1869/Liberty_Music_Shop
