1943年2月に録音された音楽
1943年2月は、第二次世界大戦(World War II)の戦局が大きく動いた月です。2月2日、スターリングラード攻防戦(Battle of Stalingrad)はソビエト連邦(Union of Soviet Socialist Republics)側の勝利で終結し、東部戦線の主導権はドイツ国(German Reich)から離れ始めました。太平洋では、2月9日にアメリカ合衆国(United States of America)側がガダルカナル戦役(Guadalcanal campaign)で同島の確保を宣言しました。北アフリカでは、2月14日にカセリーヌ峠の戦い(Battle of Kasserine Pass)が始まり、チュニジア戦線でアメリカ軍は大きな損害を受けました。2月12日、フランクリン・デラノ・ルーズベルト(Franklin Delano Roosevelt, 1882–1945)は無条件降伏方針を改めて示しました。社会面では、アメリカ合衆国価格管理局(Office of Price Administration)による民間用革靴の配給制が2月に導入され、戦時統制は日常生活へ広がりました。ドイツ国(German Reich)では、白いバラ抵抗運動(White Rose opposition movement)のハンス・ショル(Hans Scholl, 1918–1943)、ゾフィー・ショル(Sophie Scholl, 1921–1943)、クリストフ・プロープスト(Christoph Probst, 1919–1943)が2月22日に処刑されました。自然科学では、メキシコ合衆国(United Mexican States)でパリクティン火山(Parícutin volcano)が2月20日に出現し、近代火山学上の重要な観察対象となりました。
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1943年2月の録音に関する情報のまとめ
1943年2月のアメリカ合衆国(United States of America)の録音産業は、1942年8月1日から続くアメリカ音楽家連盟(American Federation of Musicians of the United States and Canada)の商業録音禁止の影響下にありました。ザ・ビルボード(The Billboard)1943年2月27日号は、アメリカ合衆国最高裁判所(Supreme Court of the United States)が1943年2月15日にアメリカ音楽家連盟(American Federation of Musicians of the United States and Canada)側に有利な判断を示し、録音禁止をシャーマン反トラスト法(Sherman Antitrust Act of 1890)違反として扱わない下級審判断を維持したことを報じています。このため、当月の資料上で確認できる中心的な動きは、新規録音そのものではなく、既存マスターによる発売、ジュークボックス向け販売、映画音楽との連動、レーベル表示をめぐる訴訟、録音再開条件をめぐる交渉でした。
アールシーエー・ヴィクター
アールシーエー・ヴィクター部門(RCA Victor Division of Radio Corporation of America)は、1943年2月の時点で既存マスターを用いた発売と販売促進を継続していました。ザ・ビルボード(The Billboard)1943年2月27日号の新譜欄では、1943年2月22日–3月1日発売分として、Victor 20-1526に収められたルディ・ヴァリー(Rudy Vallée, 1901–1986)の「As Time Goes By」とアーティー・ショウ(Artie Shaw, 1910–2004)の「Two-in-One Blues」が確認できます。同号には同盤をジュークボックス向けに注文するよう促す広告も掲載されており、ヴィクター・レコード(Victor Records)とブルーバード・レコード(Bluebird Records)の配給網を通じた販売活動が続いていたことがわかります。また、同号はアールシーエー・ヴィクター部門(RCA Victor Division of Radio Corporation of America)が、クラシック盤の赤色レーベル表示をめぐってコロムビア・レコーディング社(Columbia Recording Corporation)とデッカ・レコーディング社(Decca Recording Corporation)を相手取った訴訟を報じています。
- https://archive.org/stream/bub_gb_lAwEAAAAMBAJ_2/bub_gb_lAwEAAAAMBAJ_djvu.txt
- https://books.google.com/books?id=lAwEAAAAMBAJ
コロムビア
コロムビア・レコーディング社(Columbia Recording Corporation)は、1943年2月の資料上で、既存マスターを用いた発売と映画音楽を利用した市場展開を確認できます。ザ・ビルボード(The Billboard)1943年2月27日号の新譜欄には、1943年2月22日–3月1日発売分として、ケイ・カイザー(Kay Kyser, 1905–1985)のColumbia 36671が掲載されています。同号の人気盤・ジュークボックス関連欄では、ハリー・ジェームズ(Harry James, 1916–1983)とヘレン・フォレスト(Helen Forrest, 1917–1999)によるColumbia 36668「I Had the Craziest Dream」も確認できます。さらに、映画『キャビン・イン・ザ・スカイ』(Cabin in the Sky)関連楽曲の広告には、ベニー・グッドマン(Benny Goodman, 1909–1986)のColumbia 35849が掲載されており、映画公開とレコード販売を結びつけた販促が続いていました。
- https://archive.org/stream/bub_gb_lAwEAAAAMBAJ_2/bub_gb_lAwEAAAAMBAJ_djvu.txt
- https://books.google.com/books?id=lAwEAAAAMBAJ
デッカ
デッカ・レコーディング社(Decca Recording Corporation)は、1943年2月の時点で、既存マスターを用いた新譜・アルバム販売を継続していました。ザ・ビルボード(The Billboard)1943年2月27日号の新譜欄には、1943年2月22日–3月1日発売分として、Decca 6081、Decca 7904、カーメン・キャバレロ(Carmen Cavallaro, 1913–1989)によるアルバム『Strauss Waltzes』のDecca A-339が掲載されています。同号の映画『キャビン・イン・ザ・スカイ』(Cabin in the Sky)関連広告には、エラ・フィッツジェラルド(Ella Fitzgerald, 1917–1996)のDecca 3470およびDecca 3490も挙げられています。さらに、赤色レーベル表示をめぐる訴訟では、デッカ・レコーディング社(Decca Recording Corporation)とデッカ・ディストリビューティング社(Decca Distributing Corporation)も対象として報じられており、大手レーベル間の商標・表示をめぐる競争も当月の業界動向として確認できます。
- https://archive.org/stream/bub_gb_lAwEAAAAMBAJ_2/bub_gb_lAwEAAAAMBAJ_djvu.txt
- https://books.google.com/books?id=lAwEAAAAMBAJ
スタンダード・フォノ社
スタンダード・フォノ社(Standard Phono Co.)は、1943年2月のザ・ビルボード(The Billboard)に広告を出し、Standard T-2087の初回出荷が配給業者へ向かっていることを告知していました。同広告では、人気作曲家が自ら演奏するピアノ演奏盤として宣伝されており、録音禁止下でも小規模会社・販売会社が既存録音または録音済み素材を用いて新譜流通を進めていたことがわかります。大手会社だけでなく、ジュークボックスや小売店向けの補充需要を狙う独立系の動きも、1943年2月の録音産業の特徴でした。
- https://archive.org/stream/bub_gb_lAwEAAAAMBAJ_2/bub_gb_lAwEAAAAMBAJ_djvu.txt
- https://books.google.com/books?id=lAwEAAAAMBAJ
ミュージックラフト
ミュージックラフト・コーポレーション(Musicraft Corporation)は、1943年2月に録音禁止の解除条件をめぐってアメリカ音楽家連盟(American Federation of Musicians of the United States and Canada)側へ接触した独立系レコード会社として後年資料上で確認できます。同社社長のポール・プーナー(Paul Puner, 生没年不明)は、会社規模を理由に大手会社より低い料率での解決をジェームズ・シーザー・ペトリロ(James Caesar Petrillo, 1892–1984)へ提案したとされています。この時点で合意成立までは確認できませんが、1943年2月の録音産業では、大手レコード会社だけでなく独立系会社も録音再開条件を模索していました。
- https://mainspringpress.org/2024/11/23/the-man-who-crippled-the-recording-industry-james-caesar-petrillo-and-the-american-federation-of-musicians-recording-bans/
- https://archives.libraries.rutgers.edu/repositories/6/resources/697
