1943年1月に録音された音楽

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1943年1月に録音された音楽

1943年1月、第二次世界大戦(World War II)は複数の戦線で転機を迎えました。1943年1月14日–24日、カサブランカ会談(Casablanca Conference)でフランクリン・デラノ・ルーズベルト(Franklin Delano Roosevelt, 1882–1945)とウィンストン・レナード・スペンサー・チャーチル(Winston Leonard Spencer Churchill, 1874–1965)は、連合国側の戦争方針と枢軸国への無条件降伏要求を確認しました。東部戦線ではスターリングラードの戦い(Battle of Stalingrad)が終局に近づき、1943年1月31日にフリードリヒ・パウルス(Friedrich Paulus, 1890–1957)がソビエト社会主義共和国連邦(Union of Soviet Socialist Republics)側に降伏しました。1943年1月18日、ワルシャワ・ゲットー(Warsaw Ghetto)では強制移送に対する武装抵抗が起こり、4月の大規模蜂起に先立つ重要な抵抗となりました。アメリカ合衆国では1943年1月15日にペンタゴン(The Pentagon)が完成し、戦時行政の巨大な拠点となりました。科学技術の分野では、交流電力技術の発展に大きな影響を与えたニコラ・テスラ(Nikola Tesla, 1856–1943)が1943年1月7日に死去しました。文化面では、1943年1月23日にデューク・エリントン(Duke Ellington, 1899–1974)がカーネギー・ホール(Carnegie Hall)で『ブラック・ブラウン・アンド・ベージュ(Black, Brown and Beige)』を初演しました。

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1943年1月の録音に関する情報のまとめ

1943年1月のアメリカ合衆国の商業録音は、アメリカ音楽家連盟(American Federation of Musicians)が1942年8月1日から続けていた録音禁止の影響下にありました。ジェームズ・シーザー・ペトリロ(James Caesar Petrillo, 1892–1984)が録音禁止を維持していたため、大手レコード会社では新録音よりも、録音禁止前に作られた原盤、既発盤、在庫盤、広告、販売チャート、カタログ資料の動きが中心になります。さらに戦時下のシェラック不足と政府配給制限も、レコード生産と流通を制約していました。一方、映画会社のサウンドトラック録音や、一部の独立レーベルをめぐる録音禁止下の問題は当月資料に現れており、1943年1月の録音史を理解するうえで重要です。

アメリカ音楽家連盟

アメリカ音楽家連盟(American Federation of Musicians)は、1943年1月時点でもレコード会社に対する録音禁止を継続していました。ビルボード(The Billboard)1943年1月16日号には「Petrillo Stands Pat」として、ジェームズ・シーザー・ペトリロ(James Caesar Petrillo, 1892–1984)が録音禁止を維持していた状況が記録されています。このため、1943年1月の主要レコード会社の活動は、当月新録音ではなく、既存原盤の販売、発売済み商品の宣伝、戦時下の在庫運用として読む必要があります。

アールシーエー・ヴィクター

ラジオ・コーポレーション・オブ・アメリカ・アールシーエー・ヴィクター部門(RCA Victor Division of Radio Corporation of America)は、1943年1月にヴィクター(Victor)およびブルーバード・レコード(Bluebird Records)の既存原盤を中心に市場へ供給していました。アメリカ議会図書館(Library of Congress)のジョン・D・リード文書(John D. Reid Papers)には「The latest Victor and Bluebird popular records January 1943」が確認でき、1943年1月時点で同部門がヴィクター(Victor)とブルーバード・レコード(Bluebird Records)の当月用販売資料を出していたことが分かります。トミー・ドーシー・アンド・ヒズ・オーケストラ(Tommy Dorsey and His Orchestra)とフランク・シナトラ(Frank Sinatra, 1915–1998)、パイド・パイパーズ(The Pied Pipers)によるヴィクター(Victor)27974「ゼア・アー・サッチ・シングス(There Are Such Things)」は、1942年録音の既発盤で、1943年1月の販売動向を示す代表的な例です。

デッカ・レコード

デッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)は、1943年1月も録音禁止前原盤と既発盤の販売を中心に活動していました。ビング・クロスビー(Bing Crosby, 1903–1977)がデッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)で録音した「ホワイト・クリスマス(White Christmas)」は1942年録音・発売の盤ですが、1943年1月のビルボード(The Billboard)小売販売チャートで継続的に確認できます。1943年1月時点でデッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)がアメリカ音楽家連盟(American Federation of Musicians)と録音再開契約に達していた事実はなく、同社の当月活動は、戦時下の旧原盤運用とヒット盤販売として位置づけられます。

コロムビア

コロムビア・レコーディング・コーポレーション(Columbia Recording Corporation)は、1943年1月に既存原盤と発売済み盤を中心に市場で活動していました。1943年1月のビルボード(The Billboard)資料では、ハリー・ジェイムズ・アンド・ヒズ・オーケストラ(Harry James and His Orchestra)とヘレン・フォレスト(Helen Forrest, 1917–1999)によるコロムビア(Columbia)36668「アイヴ・ハード・ザット・ソング・ビフォー(I’ve Heard That Song Before)」が、1943年の大ヒットへ向かう盤として重要です。また、1943年1月30日号では、キャブ・キャロウェイ(Cab Calloway, 1907–1994)関連のコロムビア(Columbia)36662も広告・批評面で確認できます。いずれも当月資料から読み取れるのは、録音禁止下での販売・宣伝活動であり、1943年1月当月の新録音とは断定できません。

キャピトル・レコード

キャピトル・レコード社(Capitol Records, Inc.)は、1942年創業後まもない独立系レーベルとして、1943年1月にも既存原盤を活用して販売を続けていました。フレディ・スラック・アンド・ヒズ・オーケストラ(Freddie Slack and His Orchestra)とエラ・メイ・モース(Ella Mae Morse, 1924–1999)によるキャピトル(Capitol)102「カウ・カウ・ブギー(Cow-Cow Boogie)」は、1943年1月のビルボード(The Billboard)小売販売チャートで確認できる代表例です。キャピトル・レコード社(Capitol Records, Inc.)がアメリカ音楽家連盟(American Federation of Musicians)と録音再開契約に至るのは1943年10月であり、1943年1月の活動は録音禁止前の原盤と既発ヒットの流通を中心としていました。

クラシック・レコード社

クラシック・レコード社(Classic Record Company)は、イーライ・オーバースタイン(Eli Oberstein, 1901–1960)が関与した独立系レコード会社として、録音禁止下の動きが1943年1月の業界紙に現れます。ビルボード(The Billboard)1943年1月16日号には、同社系のヒット・レコード(Hit Records)をめぐり、「ピーター・パイパー(Peter Piper)」の録音がアメリカ音楽家連盟第802支部(American Federation of Musicians Local 802)の問題として取り上げられています。この事例は、大手会社の新録音が止まるなか、独立レーベルが録音禁止の境界線上で活動していたことを示す重要な当月資料です。

ビーコン・レコード

ビーコン・レコード社(Beacon Record Company)は、ジョー・デイヴィス(Joe Davis, 1896–1978)が1942年に創設した独立系レーベルです。1943年1月当月の新録音・新譜発売を直接示す資料は限定的ですが、1943年の業界名鑑ではビーコン・レコード社(Beacon Record Company)の所在地とジョー・デイヴィス(Joe Davis, 1896–1978)の役割が確認できます。戦時下のシェラック不足と録音禁止のなかで、同社は後にファイヴ・レッド・キャップス(The Five Red Caps)などの発売で存在感を示すため、1943年初頭の独立レーベル動向を補う要素として位置づけられます。

メトロ・ゴールドウィン・メイヤー

メトロ・ゴールドウィン・メイヤー(Metro-Goldwyn-Mayer)は、1943年1月に映画音楽録音の領域で当月の録音活動を確認できます。1943年1月12日、カリフォルニア州カルヴァー・シティのメトロ・ゴールドウィン・メイヤー・スタジオ(Metro-Goldwyn-Mayer Studios)では、映画『ガール・クレイジー(Girl Crazy)』のためのサウンドトラック録音が行われ、トミー・ドーシー・アンド・ヒズ・オーケストラ(Tommy Dorsey and His Orchestra)関連の録音記録が確認できます。これは一般商業レコード会社の新譜録音ではありませんが、アメリカ音楽家連盟(American Federation of Musicians)の録音禁止下でも、映画製作に伴う録音活動が別の経路で継続していたことを示します。