1943年6月に録音された音楽

この記事は約9分で読めます。
スポンサーリンク

1943年6月に録音された音楽

1943年6月は、戦時下の軍事作戦、政治再編、科学技術、労働・人種問題が同時に動いた月です。6月1日、英国海外航空会社777便(British Overseas Airways Corporation Flight 777)がビスケー湾上空で撃墜され、レスリー・ハワード(Leslie Howard, 1893–1943)を含む乗員乗客17人が死亡しました。6月3日にはアルジェでフランス国民解放委員会(French Committee of National Liberation)が成立し、シャルル・ド・ゴール(Charles de Gaulle, 1890–1970)とアンリ・ジロー(Henri Giraud, 1879–1949)が共同議長となりました。6月4日には1943年アルゼンチン革命(1943 Argentine Revolution)により、ラモン・カスティーリョ(Ramón Castillo, 1873–1944)政権が倒れました。6月5日、アメリカ合衆国陸軍兵器部(United States Army Ordnance Department)とペンシルベニア大学(University of Pennsylvania)は電子式数値積分器及び計算機(Electronic Numerical Integrator and Computer)の開発契約を結びました。6月3日–8日にはロサンゼルスでズート・スーツ暴動(Zoot Suit Riots)が起こり、6月20日–22日にはデトロイト人種暴動(1943 Detroit race riot)が発生しました。地中海では6月11日にパンテッレリーア島(Pantelleria)が連合国軍へ降伏し、太平洋では6月30日にカートホイール作戦(Operation Cartwheel)が始まりました。アメリカ合衆国では6月11日にアメリカ合衆国炭鉱労働者組合(United Mine Workers of America)のストライキも再燃し、戦時生産と労働統制の緊張が強まりました。

この月の確認されている録音:0曲

1943年6月の録音に関する情報のまとめ

1943年6月のアメリカ合衆国の録音産業では、1942年8月1日から続くアメリカ合衆国・カナダ音楽家連盟(American Federation of Musicians of the United States and Canada)による商業録音禁止が中心的条件でした。通常の器楽伴奏を伴う商業録音は大きく制限され、主要会社は旧録音、未発表原盤、再発盤、声のみまたは声中心の録音で新譜供給を補いました。6月には、声だけの録音をめぐる運用、組合許可外の録音への処分、放送用トランスクリプションをめぐる対立が表面化しました。

コロムビア・レコーディング・コーポレーション

コロンビア・ブロードキャスティング・システム(Columbia Broadcasting System, Inc.)傘下のコロムビア・レコーディング・コーポレーション(Columbia Recording Corporation)は、1943年6月にフランク・シナトラ(Frank Sinatra, 1915–1998)の声中心の録音を行いました。録音目録では、1943年6月7日に《Close to You》と《You’ll Never Know》、6月22日に《Sunday, Monday or Always》と《If You Please》が、ボビー・タッカー・シンガーズ(Bobby Tucker Singers)を伴って録音されたと確認できます。これは、アメリカ合衆国・カナダ音楽家連盟(American Federation of Musicians of the United States and Canada)の録音禁止により、器楽伴奏ではなく声のみに近い編成で商業盤を成立させた事例です。1943年6月1日にコロムビア・レコーディング・コーポレーション(Columbia Recording Corporation)へ移ったフランク・シナトラ(Frank Sinatra, 1915–1998)にとって、同月の録音はソロ歌手としての同社初期録音に位置づけられます。

デッカ・レコード・インコーポレイテッド

デッカ・レコード・インコーポレイテッド(Decca Records, Inc.)は、1943年6月時点でアメリカ合衆国・カナダ音楽家連盟(American Federation of Musicians of the United States and Canada)との和解に至っておらず、通常の器楽奏者を伴う商業録音は再開していませんでした。同社は、録音禁止の長期化によって未発表原盤の供給余地が狭まるなか、声のみまたは声中心の録音を利用しました。ディック・ヘイムズ(Dick Haymes, 1918–1980)とソング・スピナーズ(The Song Spinners)による《You’ll Never Know》は1943年5月27日録音であり、1943年6月当月録音ではありませんが、録音禁止下のデッカ・レコード・インコーポレイテッド(Decca Records, Inc.)が採った声中心の新譜供給策を示す代表例です。1943年6月時点では、同社の動きは通常録音の再開ではなく、録音禁止下の市場維持と交渉継続に位置づけられます。

ラジオ・コーポレーション・オブ・アメリカのアールシーエー・ヴィクター

ラジオ・コーポレーション・オブ・アメリカ(Radio Corporation of America)のアールシーエー・ヴィクター(RCA Victor)も、1943年6月時点ではアメリカ合衆国・カナダ音楽家連盟(American Federation of Musicians of the United States and Canada)による録音禁止の影響下にありました。資料上、同社が1943年6月に通常の商業録音を再開した事実は確認できません。1943年6月の同社は、コロムビア・レコーディング・コーポレーション(Columbia Recording Corporation)やデッカ・レコード・インコーポレイテッド(Decca Records, Inc.)と同じく、既存原盤、旧録音、声中心の録音手法、交渉対応によって市場を維持する側にありました。録音禁止はその後も長期化し、アールシーエー・ヴィクター(RCA Victor)とコロムビア・レコーディング・コーポレーション(Columbia Recording Corporation)が本格的に折れるのは1944年11月でした。

クラシック・レコード社

クラシック・レコード社(Classic Record Company)のヒット・レコード(Hit Records)は、1943年6月の録音禁止をめぐる重要な例外的事例です。イーライ・オーバースタイン(Eli Oberstein, 1901–1960)は、アメリカ合衆国・カナダ音楽家連盟(American Federation of Musicians of the United States and Canada)の許可を得ない器楽録音を継続したとされ、1943年6月に同連盟から除名され、録音許可を取り消されました。ヒット・レコード(Hit Records)には、実在確認が難しい指揮者名や変名が使われた器楽録音があり、録音に参加した演奏者名は資料上確定できません。1943年6月5日の『ビルボード』(The Billboard)では、ジェームズ・シーザー・ペトリロ(James Caesar Petrillo, 1892–1984)が音楽出版社に対し、組合に反する録音業者へ楽曲使用を認めないよう圧力をかけた動きが報じられています。

放送用トランスクリプション制作各社

1943年6月には、市販レコードだけでなく、放送用トランスクリプション制作各社とアメリカ合衆国・カナダ音楽家連盟(American Federation of Musicians of the United States and Canada)の対立も表面化しました。ジェームズ・シーザー・ペトリロ(James Caesar Petrillo, 1892–1984)は、戦時関連の放送用録音にも制限を及ぼそうとしましたが、制作会社側はこれを戦時努力への妨害として問題化し、全国戦時労働委員会(National War Labor Board)への付託を求めました。1943年6月23日、業界側の声明後にジェームズ・シーザー・ペトリロ(James Caesar Petrillo, 1892–1984)は調停に応じ、少なくとも同月時点で、商業盤とは別に放送用録音をめぐる交渉が重要な争点となっていたことが確認できます。