1943年3月に録音された音楽

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1943年3月に録音された音楽

1943年3月は、第二次世界大戦(World War II)が欧州・太平洋・占領地社会のすべてで深まった月です。3月2日–5日のビスマルク海海戦(Battle of the Bismarck Sea)では、連合国軍(Allied Powers)の航空攻撃により日本側輸送船団が壊滅的損害を受け、太平洋戦線で制空権の重要性が明確になりました。3月3日にはロンドンのベスナル・グリーン地下鉄防空壕災害(Bethnal Green Tube shelter disaster)で173人が死亡しました。3月5日にはグロスター・エアクラフト社(Gloster Aircraft Company)のグロスター・ミーティア(Gloster Meteor)が初飛行しました。3月13日–16日にはクラクフ・ゲットー解体(Liquidation of the Krakow Ghetto)が行われ、3月22日にはハティニ虐殺(Khatyn massacre)で149人が殺害されました。アメリカ合衆国(United States of America)では3月から肉類の配給が始まり、3月31日にはリチャード・ロジャース(Richard Rodgers, 1902–1979)とオスカー・ハマースタイン2世(Oscar Hammerstein II, 1895–1960)の『オクラホマ!(Oklahoma!)』がニューヨークのセント・ジェームズ劇場(St. James Theatre)で開幕しました。

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1943年3月の録音に関する情報のまとめ

1943年3月のアメリカ合衆国(United States of America)の録音産業は、アメリカ音楽家連盟(American Federation of Musicians)による録音禁止の継続下にありました。1943年3月6日付『ザ・ビルボード(The Billboard)』は、録音会社・トランスクリプション会社側が同連盟の提案を拒否し、交渉が停止したことを報じています。このため、当月の主要な動きは、組合所属器楽奏者を使う新録音ではなく、1942年8月1日以前に作られた未発売原盤、既発原盤の再利用、ヴォーカル主体の発売、映画宣伝との連動、スクラップ盤回収、シェラック不足への対応、ジュークボックス市場への供給維持に集中しました。

アメリカ音楽家連盟

アメリカ音楽家連盟(American Federation of Musicians)は、ジェームズ・シーザー・ペトリロ(James Caesar Petrillo, 1892–1984)のもとで録音禁止を継続していました。1943年3月6日付『ザ・ビルボード(The Billboard)』は、録音会社・トランスクリプション会社が同連盟の提案を拒否したことで交渉が止まり、当面レコード制作が行われない状況になったと伝えています。同号の業界記事では、多くの会社が禁止開始前に作った原盤を持っており、少量の発売を続ける余地はあるものの、新しい演奏録音の供給は制限されていたことが示されています。

ミュージクラフト

ミュージクラフト社(Musicraft Corporation)は、1943年3月11日付でジェームズ・シーザー・ペトリロ(James Caesar Petrillo, 1892–1984)宛に、録音禁止解決に関する自社提案への判断を求める書簡を送りました。同社は、アメリカ音楽家連盟(American Federation of Musicians)の失業保険基金に対し、50セント盤、75セント盤、1ドル盤の販売価格に応じた拠出を行う案を示していました。しかし同連盟の執行委員会は3月16日–17日の会合でこの提案を受け入れず、3月25日付でミュージクラフト社(Musicraft Corporation)に不採用を通知しました。1943年3月の同社は、主要会社より早く個別解決を探った会社として確認できます。

デッカ

デッカ・レコード・インコーポレイテッド(Decca Records, Inc.)は、1943年3月時点ではアメリカ音楽家連盟(American Federation of Musicians)との和解前であり、組合所属器楽奏者を用いた新規商業録音の再開は確認できません。1943年3月6日付『ザ・ビルボード(The Billboard)』の発売欄には、アンドリューズ・シスターズ(The Andrews Sisters)のDecca 18533、フランセス・ラングフォード(Frances Langford, 1913–2005)のDecca 4246などが掲載されています。また、映画音楽と連動した既存原盤の市場投入も見え、同号ではジュディ・ガーランド(Judy Garland, 1922–1969)とジーン・ケリー(Gene Kelly, 1912–1996)のDecca 18480などがジュークボックス向けに注目されていました。デッカ・レコード・インコーポレイテッド(Decca Records, Inc.)がアメリカ音楽家連盟(American Federation of Musicians)と和解して録音再開へ進むのは1943年9月です。

キャピトル

キャピトル・レコード・インコーポレイテッド(Capitol Records, Inc.)は、1943年3月6日付『ザ・ビルボード(The Billboard)』の発売欄で、ジョニー・ジョンストン(Johnnie Johnston, 1915–1996)のCapitol 130、レイ・マッキンリー(Ray McKinley, 1910–1995)のCapitol 131、フレディ・スラック(Freddie Slack, 1910–1965)のCapitol 129、テックス・リッター(Tex Ritter, 1905–1974)のCapitol 132を掲載されていました。同号は、映画『レヴェイユ・ウィズ・ビヴァリー(Reveille with Beverly)』がレコード店との連動に適しており、フレディ・スラック(Freddie Slack, 1910–1965)の「Cow Cow Boogie」の場面でキャピトル(Capitol)のレーベル表示が目立つことも伝えています。録音禁止下であっても、キャピトル・レコード・インコーポレイテッド(Capitol Records, Inc.)は映画宣伝、既存原盤、若いレーベルとしての話題性を組み合わせて販売活動を続けていました。

アールシーエー・ヴィクターとブルーバード

ラジオ・コーポレーション・オブ・アメリカ(Radio Corporation of America)のアールシーエー・ヴィクター部門(RCA Victor Division)は、1943年3月時点ではアメリカ音楽家連盟(American Federation of Musicians)との和解前で、既存原盤と既発売系統の供給を続けていました。1943年3月6日付『ザ・ビルボード(The Billboard)』は、戦時動員と軍需工場への人員移動により、ニュージャージー州カムデンのアールシーエー・ヴィクター部門(RCA Victor Division)の広告・宣伝スタッフがほぼ女性中心になったことを伝えています。同号の発売欄では、ダイナ・ショア(Dinah Shore, 1916–1994)のVictor 20-1525、テディ・パウエル(Teddy Powell, 1905–1993)のBluebird 30-0809、ザ・フォー・ヴァガボンズ(The Four Vagabonds)のBluebird 30-0810が確認できます。ブルーバード(Bluebird)は、ジュークボックス市場向けにも新譜・近作を供給していました。

コロムビア

コロムビア・レコーディング社(Columbia Recording Corporation)は、1943年3月時点ではアメリカ音楽家連盟(American Federation of Musicians)との和解前であり、同月中の組合所属器楽奏者による新規録音再開は確認できません。1943年3月6日付『ザ・ビルボード(The Billboard)』では、ケイ・カイザー(Kay Kyser, 1905–1985)のColumbia 36671、ベニー・グッドマン(Benny Goodman, 1909–1986)のColumbia 36652、ホレス・ハイト(Horace Heidt, 1901–1986)のColumbia 36670などが市場欄に現れています。また、ニューヨークのコロムビア(Columbia)系ディスク販売会社であるタイムズ・アプライアンス社(Times Appliance Company, Inc.)の役員人事と、スクラップ盤問題への対応も同号に見えます。1943年3月のコロムビア・レコーディング社(Columbia Recording Corporation)は、新録音の再開ではなく、既存原盤、販売網、映画・ジュークボックス市場での既発盤運用が中心でした。

スタンダード・レコード

スタンダード・レコード(Standard Records)は、1943年3月6日付『ザ・ビルボード(The Billboard)』で、3枚組アルバム『オールド・タイマーズ(Old-Timers)』を発売した会社として確認できます。同号によれば、同アルバムには「Annie Laurie」「I’ll Take You Home Again, Kathleen」「Auld Lang Syne」などの旧来の人気曲が収められ、キャンドル・ライターズ(The Candle Lighters)によって歌われ、ハロルド・グラント(Harold Grant, 生没年不明)がオーケストレーションを担当していました。また、アンリ・ルネ(Henri René, 1906–1993)のヴィクター(Victor)およびスタンダード(Standard)盤が、ポルカ系楽譜の需要を刺激したことも報じられています。録音禁止下で新しいヒット供給が制限されるなか、旧曲・ポルカ・再利用可能な素材が市場で意味を持っていました。

レコード小売・ジュークボックス市場

1943年3月6日付『ザ・ビルボード(The Billboard)』は、録音禁止とシェラック不足のもとでもレコード業界が完全に止まっていなかったことを伝えています。同号では、戦時下でインド方面からのシェラック供給が減少したため、レコード製造で使うシェラック比率が低下し、業界がスクラップ盤回収に依存していたことが説明されています。また、ジュークボックス運営者は新しいヒット盤の不足を補うため、B面、旧譜、知名度の低い演奏者の盤、ポルカ盤を積極的に使っていました。レコードは兵士の士気維持にも必要なものとして扱われ、1943年3月の録音文化は、新録音よりも既存レコードをどう流通・再利用するかが中心になっていました。