1944年に録音された音楽
1944年は、第二次世界大戦(World War II, 1939–1945)の帰趨が「不可逆に傾いた年」として記憶されます。西部戦線では、ドワイト・D・アイゼンハワー(Dwight D. Eisenhower, 1890–1969)が最高司令官として指揮したノルマンディー上陸作戦(Operation Overlord)が1944年6月6日に決行され、ドイツ占領下の西ヨーロッパ解放へ向けた恒常的な橋頭堡が築かれました。続くフランス国内の戦闘と進撃は、パリ解放(Liberation of Paris)として結実し、シャルル・ド・ゴール(Charles de Gaulle, 1890–1970)が臨時政府の指導者として首都で権威を回復します。一方、東部戦線ではソビエト連邦(Soviet Union)が大攻勢バグラチオン作戦(Operation Bagration)を発動し、ドイツ陸軍中央軍集団の戦力を大きく損耗させ、戦局を決定的に動かしました。年末にはドイツ軍がアルデンヌ攻勢(Battle of the Bulge)を開始し、西側連合国に大きな損害と混乱を与えたものの、戦略的主導権を取り戻すには至りませんでした。
同時に1944年は、軍事の転回と並行して「国家暴力の極限」が可視化された年でもあります。ハンガリーでは、ドイツ親衛隊(Schutzstaffel, SS)の指導下で、ハンガリー当局が1944年5月15日–7月9日に約44万人のユダヤ人をアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所(Auschwitz-Birkenau)へ移送し、その多くが到着後に殺害されました。ポーランドでは、ポーランド国内軍(Armia Krajowa)によるワルシャワ蜂起(Warsaw Uprising)が1944年8月1日に始まり、ドイツ占領当局は蜂起を鎮圧し、都市中心部の破壊を進めます。ドイツ国内でも、クラウス・フォン・シュタウフェンベルク(Claus von Stauffenberg, 1907–1944)らによる1944年7月20日事件(20 July plot, Operation Valkyrie)が発生し、アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler, 1889–1945)暗殺と政権転覆は失敗に終わりました。さらに、ドイツは報復兵器V1(V-1 flying bomb)を1944年6月13日にロンドンへ向けて初めて発射し、都市と市民を標的化する戦争が「技術の体系」として前面化します。占領下のオランダでは、1944年後半から1944–1945年オランダ飢饉(Dutch famine of 1944–1945, Hunger Winter)が深刻化し、戦争が軍需だけでなく食料・物流・生活基盤をも破壊することを示しました。
太平洋戦域では、アメリカ合衆国(United States)がマリアナ諸島への攻勢を強め、サイパンの戦い(Battle of Saipan, 1944年6月15日–7月9日)などを通じて日本本土への戦略爆撃の前提を固めていきます。フィリピンではレイテ沖海戦(Battle of Leyte Gulf, 1944年10月23日–26日)が起こり、日本海軍の統合作戦能力が大きく損なわれました。中国大陸では日本軍が一号作戦(Operation Ichi-Go, 1944年4月–12月)を展開し、南方の航空基地群や交通回廊をめぐる戦略が、現地社会の疲弊と結びついて進行します。こうした総力戦の拡大は、政治・経済・技術の再編も促しました。1944年7月には連合国通貨金融会議(United Nations Monetary and Financial Conference)が開催され、国際通貨基金(International Monetary Fund)と国際復興開発銀行(International Bank for Reconstruction and Development)の枠組みが合意されます。国際連合(United Nations)の制度設計に向けても、ダンバートン・オークス会議(Dumbarton Oaks Conference)が1944年8月21日–10月7日に行われ、戦後秩序の「設計図」が具体化しました。航空分野では国際民間航空条約(Convention on International Civil Aviation, Chicago Convention)が1944年12月7日に署名され、国際的な空のルールが制度化へ向かいます。
社会と文化の側面でも、1944年は「戦争が生んだ制度とメディアの加速」が目立ちます。アメリカ合衆国では復員軍人援護法(Servicemen’s Readjustment Act of 1944, G.I. Bill)が1944年6月22日に成立し、戦後の教育・住宅・雇用を国家政策として支える回路が整えられました。情報技術では、ブレッチリー・パーク(Bletchley Park)の暗号解読に用いられたコロッサス(Colossus)が1944年2月上旬に稼働し、計算機が軍事情報の中枢に組み込まれます。医療ではペニシリン(Penicillin)の増産が戦時医療を変え、感染症が「治療可能なリスク」として再定義されていきました。音楽産業も例外ではなく、アメリカ音楽家連盟(American Federation of Musicians)の1942–1944年録音ストライキが1944年11月に終結し、戦時下で停滞した商業録音の流通が再起動します。同時期、アメリカ政府は軍向けにVディスク(V-Disc, Victory Discs)を製作・配布し、慰問と士気のための音楽が国家的物流に乗って世界へ運ばれました。1944年は、戦場の地図だけでなく、制度・計算・薬・レコードといった「近代の装置」が戦争の圧力で急加速した年でもあります。
