1944年1月に録音された音楽

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1944年1月に録音された音楽

1944年1月は、第二次世界大戦(World War II)の複数戦線で連合国軍の前進が確認された月です。太平洋では、1944年1月2日にニューギニア(New Guinea)のサイドル(Saidor)への上陸が行われ、1944年1月31日にはマーシャル諸島(Marshall Islands)のクェゼリン環礁(Kwajalein Atoll)攻略が始まりました。ヨーロッパでは、1944年1月22日にイタリア王国(Kingdom of Italy)のアンツィオ(Anzio)とネットゥーノ(Nettuno)への上陸作戦が行われ、1944年1月27日にはレニングラード(Leningrad)の包囲が解かれました。政治・人道面では、フランクリン・デラノ・ルーズベルト(Franklin Delano Roosevelt, 1882–1945)が1944年1月22日に大統領令9417号(Executive Order 9417)で戦争難民委員会(War Refugee Board)を設置しました。科学技術では、1944年1月8日にロッキードXP-80(Lockheed XP-80)が初飛行し、アメリカ合衆国のジェット機開発が実用段階へ進みました。文化・音楽面では、ザ・ビルボード(The Billboard)が1944年1月8日号で「最も多く再生されたジュークボックス民俗レコード(Most Played Juke Box Folk Records)」を開始し、商業録音の流通状況を示す新しい指標が現れました。

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1944年1月の録音に関する情報のまとめ

1944年1月のアメリカ合衆国(United States of America)の録音産業は、アメリカ音楽家連盟(American Federation of Musicians)の録音禁止の影響を受けながら動いていました。デッカ・レコード(Decca Records)とキャピトル・レコード(Capitol Records)はすでにアメリカ音楽家連盟(American Federation of Musicians)との和解により録音再開側にあり、ラジオ・コーポレーション・オブ・アメリカ(Radio Corporation of America)のアールシーエー・ヴィクター(RCA Victor)とコロムビア・レコーディング・コーポレーション(Columbia Recording Corporation)は、同月時点ではなお制約下にありました。一方で、サヴォイ・レコード(Savoy Records)やVディスク計画(V-Disc Program)では、1944年1月の録音セッションが資料上確認できます。

デッカ・レコード

デッカ・レコード(Decca Records)は、1944年1月のザ・ビルボード(The Billboard)で、ビング・クロスビー(Bing Crosby, 1903–1977)とアンドリューズ・シスターズ(The Andrews Sisters)による「Pistol Packin’ Mama」がジュークボックス市場で大きく扱われていることを確認できます。ザ・ビルボード(The Billboard)の「最も多く再生されたジュークボックス民俗レコード(Most Played Juke Box Folk Records)」は1944年1月8日号で始まり、同曲はオーケー・レコード(OKeh Records)のアル・デクスター・アンド・ヒズ・トゥルーパーズ(Al Dexter and His Troopers)による同曲と並んで初回首位扱いになりました。デッカ・レコード(Decca Records)は、アメリカ音楽家連盟(American Federation of Musicians)の録音禁止中に早く和解した会社の一つであり、1944年1月時点の商業レコード市場で新しい供給力を持つ会社として位置づけられます。

キャピトル・レコード

キャピトル・レコード(Capitol Records)は、1944年1月7日にロサンゼルス(Los Angeles)のC・P・マクレガー・スタジオ(C. P. MacGregor Studios)で、ザ・キャピトル・ジャズメン(The Capitol Jazzmen)の録音セッションを行いました。このセッションにはペギー・リー(Peggy Lee, 1920–2002)が参加し、「Ain’t Goin’ No Place」と「That Old Feeling」が録音されました。これらはキャピトル・レコード(Capitol Records)のジャズ系企画「New American Jazz」に関係する録音として扱われ、同社が1943年の和解後に録音活動を再開していたことを示す具体例です。

サヴォイ・レコード

サヴォイ・レコード(Savoy Records)は、1944年1月に複数の録音セッションを実施していたことが確認できます。1944年1月20日にはニューヨーク(New York)でボニー・デイヴィス・アンド・ザ・ピカデリー・パイパーズ(Bonnie Davis and the Piccadilly Pipers)が録音し、「You’re Not Doing Your Homework」「Embraceable You」「Shoo Shoo Baby」などが記録されました。1944年1月21日にはポール・マーテル・オーケストラ(Paul Martel Orchestra)のセッションがあり、「Chowder」「Git Wid It」などがサヴォイ125として整理されています。1944年1月27日にはレッド・リヴァー・デイヴ(Red River Dave, 1914–2002)のセッションがあり、同月内にはサヴォイ・ミュゼット・クインテット(Savoy Musette Quintet)の「Johnny Doughboy Polka」「Gay Vienna」も記録されています。

アールシーエー・ヴィクター

ラジオ・コーポレーション・オブ・アメリカ(Radio Corporation of America)のアールシーエー・ヴィクター(RCA Victor)は、1944年1月時点ではアメリカ音楽家連盟(American Federation of Musicians)の録音禁止の影響を強く受けていました。アールシーエー・ヴィクター(RCA Victor)20-1500番台の数値一覧では、1944年に流通した盤に1930年代から1942年録音の既存音源が多く含まれており、同月の市場活動は新規録音よりも既存音源の再流通・再編成が中心だったことが読み取れます。1944年1月に同社が通常の商業録音セッションを再開していた事実は、資料上確認できません。

コロムビア・レコード/オーケー・レコード

コロムビア・レコーディング・コーポレーション(Columbia Recording Corporation)本体は、1944年1月時点ではアメリカ音楽家連盟(American Federation of Musicians)の録音禁止問題を継続していました。一方、同社系のオーケー・レコード(OKeh Records)では、アル・デクスター・アンド・ヒズ・トゥルーパーズ(Al Dexter and His Troopers)による「Pistol Packin’ Mama」(OKeh 6708)が、1944年1月8日号のザ・ビルボード(The Billboard)で始まった「最も多く再生されたジュークボックス民俗レコード(Most Played Juke Box Folk Records)」の初回首位扱いに含まれました。ただし、同盤の録音日は1942年3月18日であり、1944年1月の新規録音ではなく、既存録音が同月のジュークボックス市場で稼働していた事例です。

Vディスク計画

Vディスク計画(V-Disc Program)は、アメリカ合衆国軍向けに一般市販を目的としないレコードを制作・配布する戦時録音事業でした。アメリカ音楽家連盟(American Federation of Musicians)の録音禁止は商業レコードに大きな影響を与えていましたが、軍向けのVディスク計画(V-Disc Program)は例外的な位置を占めました。1944年1月には、ニューヨーク(New York)のアールシーエー・スタジオ(RCA Studios)でチャーリー・スピヴァク(Charlie Spivak, 1905–1982)のVディスク録音セッションが行われ、「The General Jumped At Dawn」と「Besame Mucho」が記録されています。これは、同月に商業会社の通常録音が制約される一方で、軍用録音の制作が継続していたことを示します。