1944年7月に録音された音楽
1944年7月は、戦争の展開と戦後秩序の構想が同時に進んだ月でした。7月1日–22日には国際連合通貨金融会議(United Nations Monetary and Financial Conference)が開かれ、戦後の国際金融体制を支える制度設計が進められました。日本では7月18日に東條英機(1884–1948)内閣が総辞職し、7月22日に小磯國昭(1880–1950)内閣が成立しました。ドイツでは7月20日に1944年7月20日事件(20 July plot)が発生し、アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler, 1889–1945)政権内部の亀裂が表面化しました。太平洋戦線では7月21日にグアムの戦い(Battle of Guam)が始まり、東部戦線では7月23日にソビエト連邦軍がルブリン=マイダネク強制収容所(Lublin-Majdanek concentration camp)を解放しました。社会面では7月17日にポート・シカゴ災害(Port Chicago disaster)が発生し、多数の死傷者を出しました。科学技術面では、イギリス空軍(Royal Air Force)がジェット戦闘機グロスター・ミーティア(Gloster Meteor)の実戦配備を進め、7月27日に初の作戦出撃が行われました。文化面では、7月29日にナショナル・ネグロ・オペラ・カンパニー(National Negro Opera Company)がワシントンD.C.で《ファウスト(Faust)》を上演した記録が確認できます。
この月の確認されている録音:0曲
1944年7月の録音に関する情報のまとめ
1944年7月の録音業界は、アメリカ音楽家連盟(American Federation of Musicians)との交渉が継続するなかで、主要レコード会社が録音再開の条件を探りつつ、既存商品の販売と流通網の維持・拡大を進めていた時期でした。『ビルボード(The Billboard)』1944年7月号では、デッカ・レコード・インコーポレイテッド(Decca Records, Inc.)の録音業務の一時停止、ラジオ・コーポレーション・オブ・アメリカ(Radio Corporation of America)のアールシーエー・ヴィクター部門(RCA Victor Division)とコロムビア・レコーディング・コーポレーション(Columbia Recording Corporation)による交渉継続、さらにキャピトル・レコード・インコーポレイテッド(Capitol Records, Inc.)の販売拠点拡充が確認できます。1944年7月は、新規録音の正常化がなお不透明な一方で、各社が戦時下の市場維持に向けて具体的な対応を進めていた月でした。
デッカ・レコード
デッカ・レコード・インコーポレイテッド(Decca Records, Inc.)については、『ビルボード(The Billboard)』1944年7月22日号が、同社の録音業務が一時的に停止している状況を伝えています。記事では、当月の録音活動が通常通りには行われていないことが示されており、戦時下の録音環境が依然として不安定であったことが確認できます。少なくとも1944年7月時点で、同社は録音制作の平常運転に戻っていませんでした。
ラジオ・コーポレーション・オブ・アメリカ
ラジオ・コーポレーション・オブ・アメリカ(Radio Corporation of America)のアールシーエー・ヴィクター部門(RCA Victor Division)は、1944年7月6日にアメリカ音楽家連盟(American Federation of Musicians)側との交渉に臨みました。『ビルボード(The Billboard)』1944年7月15日号は、同部門とコロムビア・レコーディング・コーポレーション(Columbia Recording Corporation)が、ジェームズ・シーザー・ペトリロ(James Caesar Petrillo, 1892–1984)を中心とする組合側と協議を続けていたことを報じています。録音再開をめぐる条件整理は、1944年7月の時点でもなお業界最大の懸案の一つでした。
コロムビア・レコーディング・コーポレーション
コロムビア・レコーディング・コーポレーション(Columbia Recording Corporation)も、1944年7月6日にアメリカ音楽家連盟(American Federation of Musicians)との交渉に参加しました。『ビルボード(The Billboard)』1944年7月15日号は、同社がラジオ・コーポレーション・オブ・アメリカ(Radio Corporation of America)のアールシーエー・ヴィクター部門(RCA Victor Division)と並び、録音再開をめぐる協議の当事者であったことを伝えています。1944年7月の資料からは、同社の企業活動が新作発売の拡大よりも、まず録音事業を再び安定させるための交渉に重点を置いていたことが読み取れます。
キャピトル・レコード
キャピトル・レコード・インコーポレイテッド(Capitol Records, Inc.)については、『ビルボード(The Billboard)』1944年7月15日号が、シカゴでの流通拠点整備とクリーブランド支店計画を報じています。これは、録音環境が制約を受けるなかでも、同社が販売網の拡張を進めていたことを示す動きです。1944年7月の同社は、新規録音の動向そのものよりも、急速に成長するレーベルとして市場到達力を高める企業活動が明確に確認できます。
