1944年3月に録音された音楽

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1944年3月に録音された音楽

1944年3月は、第二次世界大戦の戦局がアジア・ヨーロッパの双方で大きく動いた月でした。日本軍はビルマ方面でウ号作戦(Operation U-Go)を開始し、インパールとコヒマをめぐる戦闘が本格化しました。イタリア戦線では3月15日にモンテ・カッシーノの戦い(Battle of Monte Cassino)の第3次攻勢が始まりました。3月19日にはナチス・ドイツがマルガレーテ作戦(Operation Margarethe)によりハンガリーを占領し、中東欧の政治情勢は急変しました。航空戦では3月6日にアメリカ合衆国陸軍航空軍(United States Army Air Forces)がベルリンへの大規模昼間爆撃を実施しました。3月24日–25日にはスタラグ・ルフト第三収容所(Stalag Luft III)からの大量脱走が起きました。自然災害ではヴェスヴィオ火山(Mount Vesuvius)が3月18日以降に激しい噴火段階へ入り、周辺地域に被害を与えました。文化面では3月2日に第16回アカデミー賞(16th Academy Awards)が開催され、『カサブランカ』(Casablanca)が作品賞を受賞しました。

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1944年3月の録音に関する情報のまとめ

1944年3月のアメリカ録音界では、アメリカ音楽家連盟(American Federation of Musicians)による商業録音停止の影響がなお続いていました。デッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)とキャピトル・レコード社(Capitol Records, Inc.)は前年に録音再開へ進んでいましたが、コロムビア・レコーディング社(Columbia Recording Corporation)とアールシーエー・マニュファクチュアリング社(RCA Manufacturing Co., Inc.)のアールシーエー・ヴィクター部門(RCA-Victor Division)は、同月時点でなお争議の渦中にありました。その一方で、独立系レーベルではジャズ、ブルース、民俗音楽の録音が活発に行われ、軍用Vディスク計画(V-Disc Program)も継続していました。1944年3月は、大手各社の録音再開状況の差と、独立系レーベルの機動的な活動が同時に確認できる月です。

デッカ・レコード社

デッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)は、1944年3月も新録音を継続していました。3月1日にはルイ・ジョーダン・アンド・ヒズ・ティンパニー・ファイヴ(Louis Jordan and His Tympany Five)の録音が確認でき、「How High Am I?」「The Truth of the Matter」などが同日のセッションに含まれています。さらに3月15日には、同じくルイ・ジョーダン・アンド・ヒズ・ティンパニー・ファイヴ(Louis Jordan and His Tympany Five)が「G.I. Jive」を録音しました。デッカ・レコード社(Decca Records, Inc.)は、録音停止問題が完全には解消していない状況のなかでも、ポピュラー音楽と黒人音楽市場に向けた新規制作を進めていました。

キャピトル・レコード社

キャピトル・レコード社(Capitol Records, Inc.)では、1944年3月6日にキング・コール・トリオ(The King Cole Trio)の録音セッションが行われました。同セッションはハリウッドのシー・ピー・マグレガー・スタジオ(C. P. MacGregor Studios)で実施され、同社が商業録音再開後も小編成ジャズとポピュラー音楽の制作を積極的に続けていたことを示しています。キング・コール・トリオ(The King Cole Trio)は、1940年代前半のキャピトル・レコード社(Capitol Records, Inc.)における重要な録音主体の一つでした。

コロムビア・レコーディング社

コロムビア・レコーディング社(Columbia Recording Corporation)は、1944年3月時点でアメリカ音楽家連盟(American Federation of Musicians)との録音停止問題をなお解決していませんでした。1944年3月の同時代業界紙では、大手各社とアメリカ音楽家連盟(American Federation of Musicians)との交渉が継続している状況が報じられています。資料上、1944年3月に同社が通常の楽団録音を本格再開したことは確認できません。したがって、同月のコロムビア・レコーディング社(Columbia Recording Corporation)は、新規録音の拡大局面ではなく、録音再開をめぐる交渉局面にあったと整理できます。

アールシーエー・ヴィクター部門

アールシーエー・マニュファクチュアリング社(RCA Manufacturing Co., Inc.)のアールシーエー・ヴィクター部門(RCA-Victor Division)も、1944年3月時点ではアメリカ音楽家連盟(American Federation of Musicians)との録音停止問題が継続していました。1944年3月4日付『ビルボード』(The Billboard)は、同部門が交渉妥結を見込み、録音再開に備えた準備を進めていると報じています。ただし、同月中に通常の商業録音を本格的に再開したことを直接示す資料は確認できません。1944年3月のアールシーエー・ヴィクター部門(RCA-Victor Division)は、録音事業の再始動に向けた過渡期にありました。

キーノート・レコーディングズ社

キーノート・レコーディングズ社(Keynote Recordings, Inc.)では、1944年3月22日にレスター・ヤング(Lester Young, 1909–1959)を含む録音セッションが行われました。ニューヨークで実施された同日のセッションでは、カンザス・シティ・セヴン(Kansas City Seven)による「After Theatre Jump」「Lester Leaps Again」などが確認できます。キーノート・レコーディングズ社(Keynote Recordings, Inc.)は、1944年3月の時点で、戦時下の独立系ジャズ録音を担う重要なレーベルの一つでした。

コモドア・レコード社

コモドア・レコード社(Commodore Record Co., Inc.)では、1944年3月25日にビリー・ホリデイ(Billie Holiday, 1915–1959)の録音セッションが行われました。同日の録音では、エディ・ヘイウッド・アンド・ヒズ・オーケストラ(Eddie Heywood and His Orchestra)との共演により、「How Am I to Know?」「My Old Flame」「I’ll Get By」「I Cover the Waterfront」が制作されました。コモドア・レコード社(Commodore Record Co., Inc.)は、大手企業とは異なる独立系レーベルとして、著名歌手による重要なジャズ録音を継続していました。

ブルー・ノート・レコード

ブルー・ノート・レコード(Blue Note Records)では、1944年3月に複数のジャズ録音セッションが確認できます。3月4日にはジェームズ・ピー・ジョンソンズ・ブルー・ノート・ジャズ・メン(James P. Johnson’s Blue Note Jazz Men)の録音が行われ、3月18日と3月22日にはアート・ホーデス・シカゴアンズ(Art Hodes Chicagoans)のセッションが続きました。ブルー・ノート・レコード(Blue Note Records)は、戦時下にも伝統派ジャズと小編成ジャズの録音を着実に進めていました。

サヴォイ・レコード社

サヴォイ・レコード社(Savoy Record Company)では、1944年3月に複数の録音セッションが確認できます。3月7日にはオリジナル・キングズ・オブ・ハーモニー(Original Kings of Harmony)、3月13日にはコージー・コール・オール・スターズ(Cozy Cole All Stars)、3月14日にはレッド・リヴァー・デイヴ(Red River Dave)のセッションが記録されています。また、1944年3月11日付と3月25日付『ビルボード』(The Billboard)には、サヴォイ・レコード社(Savoy Record Company)の広告が掲載されています。同社は1944年3月時点で、録音制作と販売促進を並行して進めていました。

アッシュ・レコード

アッシュ・レコード(Asch Records)では、1944年3月にウディ・ガスリー(Woody Guthrie, 1912–1967)の大規模な録音活動が確認できます。スミソニアン・フォークウェイズ・レコーディングズ(Smithsonian Folkways Recordings)は、モーゼス・アッシュ(Moses Asch, 1905–1986)がウディ・ガスリー(Woody Guthrie, 1912–1967)に録音機会を与え、1944年3月の1日だけで75曲が録音されたと説明しています。このセッション群は、のちに「アッシュ録音(The Asch Recordings)」として整理される重要な基盤となりました。アッシュ・レコード(Asch Records)は、商業ポピュラー音楽とは異なる領域で、民俗音楽と社会的主題を持つ録音を蓄積していました。

Vディスク計画

軍用Vディスク計画(V-Disc Program)は、アメリカ合衆国軍関係者向けの非売品レコードを制作する戦時事業として、1944年3月も録音を継続していました。アメリカ議会図書館(Library of Congress)の解説では、1944年3月にオラン・“ホット・リップス”・ペイジ(Oran “Hot Lips” Page, 1908–1954)が「Uncle Sam Blues」をVディスクとして録音したことが確認できます。商業録音停止の制約が残るなかで、Vディスク計画(V-Disc Program)は、軍慰問と音楽供給を目的とする別系統の録音活動を維持していました。